駆込み訴え2
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問題文
(わたしはこうみえても、けっしてりんしょくのおとこじゃない。)
私はこう見えても、決して吝嗇(りんしょく)の男じゃ無い。
(それどころかわたしは、よっぽどたかいしゅみかなのです。)
それどころか私は、よっぽど高い趣味家なのです。
(わたしはあのひとを、うつくしいひとだとおもっている。)
私はあの人を、美しい人だと思っている。
(わたしからみれば、こどものようによくがなく、)
私から見れば、子供のように慾が無く、
(わたしがひびのぱんをえるために、おかねをせっせとためたっても、)
私が日々のパンを得るために、お金をせっせと貯めたっても、
(すぐにそれをいちりんのこさず、むだなことにつかわせてしまって。)
すぐにそれを一厘残さず、むだな事に使わせてしまって。
(けれどもわたしは、それをうらみにおもいません。)
けれども私は、それを恨みに思いません。
(あのひとはうつくしいひとなのだ。)
あの人は美しい人なのだ。
(わたしは、もともとまずしいしょうにんではありますが、)
私は、もともと貧しい商人ではありますが、
(それでもせいしんかというものをりかいしているとおもっています。)
それでも精神家というものを理解していると思っています。
(だから、あのひとが、わたしのしんくしてためておいたりゅうりゅうのこがねを、)
だから、あの人が、私の辛苦して貯めて置いた粒々の小金を、
(どんなにばからしくむだづかいしても、わたしは、なんともおもいません。)
どんなに馬鹿らしくむだ使いしても、私は、なんとも思いません。
(おもいませんけれども、それならば、)
思いませんけれども、それならば、
(たまにはわたしにも、やさしいことばのひとつくらいはかけてくれてもよさそうなのに、)
たまには私にも、優しい言葉の一つ位は掛けてくれてもよさそうなのに、
(あのひとは、いつでもわたしにいじわるくしむけるのです。)
あの人は、いつでも私に意地悪くしむけるのです。
(いちど、あのひとが、はるのうみべをぶらぶらあるきながら、ふと、わたしのなをよび、)
一度、あの人が、春の海辺をぶらぶら歩きながら、ふと、私の名を呼び、
(「おまえにも、おせわになるね。おまえのさびしさは、わかっている。)
「おまえにも、お世話になるね。おまえの寂しさは、わかっている。
(けれども、そんなにいつもふきげんなかおをしていては、いけない。)
けれども、そんなにいつも不機嫌な顔をしていては、いけない。
(さびしいときに、さびしそうなおももちをするのは、)
寂しいときに、寂しそうな面容(おももち)をするのは、
(それはぎぜんしゃのすることなのだ。)
それは偽善者のすることなのだ。
(さびしさをひとにわかってもらおうとして、)
寂しさを人にわかって貰おうとして、
(ことさらにかおいろをかえてみせているだけなのだ。)
ことさらに顔色を変えて見せているだけなのだ。
(まことにかみをしんじているならば、おまえは、)
まことに神を信じているならば、おまえは、
(さびしいときでもそしらぬふりしてかおをきれいにあらい、)
寂しい時でも素知らぬ振りして顔を綺麗に洗い、
(あたまにあぶらをぬり、ほほえんでいなさるがよい。)
頭に膏(あぶら)を塗り、微笑んでいなさるがよい。
(わからないかね。)
わからないかね。
(さびしさを、ひとにわかってもらわなくても、)
寂しさを、人にわかって貰わなくても、
(どこかめにみえないところにいるおまえのまことのちちだけが、)
どこか眼に見えないところにいるお前の誠の父だけが、
(わかっていてくださったなら、)
わかっていて下さったなら、
(それでよいではないか。そうではないかね。)
それでよいではないか。そうではないかね。
(さびしさは、だれにだってあるのだよ」)
寂しさは、誰にだって在るのだよ」
(そうおっしゃってくれて、わたしはそれをきいてなぜだかこえだしてなきたくなり、)
そうおっしゃってくれて、私はそれを聞いてなぜだか声出して泣きたくなり、
(いいえ、わたしはてんのちちにわかっていただかなくても、またせけんのものにしられなくても、)
いいえ、私は天の父にわかって戴かなくても、また世間の者に知られなくても、
(ただ、あなたおひとりさえ、おわかりになっていてくださったら、)
ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、
(それでもう、よいのです。)
それでもう、よいのです。
(わたしはあなたをあいしています。)
私はあなたを愛しています。
(ほかのでしたちが、どんなにふかくあなたをあいしていたって、)
ほかの弟子たちが、どんなに深くあなたを愛していたって、
(それとはくらべものにならないほどにあいしています。だれよりもあいしています。)
それとは較べものにならないほどに愛しています。誰よりも愛しています。
(ぺてろややこぶたちは、ただ、あなたについてあるいて、)
ペテロやヤコブたちは、ただ、あなたについて歩いて、
(なにかいいこともあるかと、そればかりをかんがえているのです。)
何かいいこともあるかと、そればかりを考えているのです。
(けれども、わたしだけはしっています。あなたについてあるいたって、)
けれども、私だけは知っています。あなたについて歩いたって、
(なんのとくするところもないということをしっています。)
なんの得するところも無いということを知っています。
(それでいながら、わたしはあなたからはなれることができません。)
それでいながら、私はあなたから離れることが出来ません。
(どうしたのでしょう。)
どうしたのでしょう。
(あなたがこのよにいなくなったら、わたしもすぐにしにます。)
あなたが此の世にいなくなったら、私もすぐに死にます。
(いきていることができません。)
生きていることが出来ません。
(わたしには、いつでもひとりでこっそりかんがえていることがあるんです。)
私には、いつでも一人でこっそり考えていることが在るんです。
(それはあなたが、くだらないでしたちぜんぶからはなれて、)
それはあなたが、くだらない弟子たち全部から離れて、
(またてんのちちのおおしえとやらをとかれることもおよしになり、)
また天の父の御教えとやらを説かれることもお止(よ)しになり、
(つつましいたみのひとりとして、おかかのまりやさまと、わたしと、それだけで)
つつましい民のひとりとして、お母のマリヤ様と、私と、それだけで
(しずかないっしょうを、ながくくらしていくことであります。)
静かな一生を、永く暮して行くことであります。
(わたしのむらには、まだわたしのちいさいいえがのこってあります。)
私の村には、まだ私の小さい家が残って在ります。
(としおいたちちもははもおります。)
年老いた父も母も居ります。
(ずいぶんひろいももばたけもあります。)
ずいぶん広い桃畠(ももばたけ)もあります。
(はる、いまごろは、もものはながさいてみごとであります。)
春、いまごろは、桃の花が咲いて見事であります。
(いっしょう、あんらくにおくらしできます。)
一生、安楽にお暮しできます。
(わたしがいつでもおそばについて、ごほうこうもうしあげたくおもいます。)
私がいつでもお傍について、御奉公申し上げたく思います。
(よいおくさまをおもらいなさいまし。)
よい奥さまをおもらいなさいまし。
(そうわたしがいったら、あのひとは、うすくおわらいになり、)
そう私が言ったら、あの人は、薄くお笑いになり、
(「ぺてろやしもんはすなどりだ。うつくしいもものはたけもない。)
「ペテロやシモンは漁人(すなどり)だ。美しい桃の畠も無い。
(やこぶもよはねもせきひんのすなどりだ。)
ヤコブもヨハネも赤貧の漁人だ。
(あのひとたちには、そんな、いっしょうをあんらくにくらせるようなとちが、)
あのひとたちには、そんな、一生を安楽に暮せるような土地が、
(どこにもないのだ」)
どこにも無いのだ」
(とひくくひとりごとのようにつぶやいて、またうみべをしずかにあるきつづけたのでしたが、)
と低く独りごとのように呟いて、また海辺を静かに歩きつづけたのでしたが、
(あとにもさきにも、あのひとと、しんみりおはなしできたのは、そのときいちどだけで、)
後にもさきにも、あの人と、しんみりお話できたのは、そのとき一度だけで、
(あとは、けっしてわたしにうちとけてくださったことがなかった。)
あとは、決して私に打ち解けて下さったことが無かった。