紫式部 源氏物語 須磨 3 與謝野晶子訳
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問題文
(だいじんはいろいろないけんをのべた。さんみちゅうじょうもきて、さけがでたりなどして)
大臣はいろいろな意見を述べた。三位中将も来て、酒が出たりなどして
(よがふけたのでげんじはとまることにした。にょうぼうたちをそのざしきにあつめて)
夜がふけたので源氏は泊まることにした。女房たちをその座敷に集めて
(はなしあうのであったが、げんじのかくれたこいびとであるちゅうなごんのきみが、ひとにはいえない)
話し合うのであったが、源氏の隠れた恋人である中納言の君が、人には言えない
(かなしみをひとりでしているようすをげんじはあわれにおもえてならないのである。)
悲しみを一人でしている様子を源氏は哀れに思えてならないのである。
(みながねたあとにげんじはちゅうなごんをなぐさめてやろうとした。げんじのとまったりゆうは)
皆が寝たあとに源氏は中納言を慰めてやろうとした。源氏の泊まった理由は
(そこにあったのである。よくあさはくらいあいだにげんじはかえろうとした。あけがたのつきが)
そこにあったのである。翌朝は暗い間に源氏は帰ろうとした。明け方の月が
(うつくしくて、いろいろなはるのはなのきがみなさかりをうしなって、すこしのはながわかばのかげに)
美しくて、いろいろな春の花の木が皆盛りを失って、少しの花が若葉の蔭に
(さきのこったにわに、あわくきりがかかって、はなをつつんだかすみがぼうとそのなかを)
咲き残った庭に、淡く霧がかかって、花を包んだ霞がぼうとその中を
(しろくしているびは、あきのよるのびよりもみにしむことがふかい。すみのらんかんに)
白くしている美は、秋の夜の美よりも身にしむことが深い。隅の欄干に
(よりかかって、しばらくげんじはにわをながめていた。ちゅうなごんのきみはみおくろうとして)
よりかかって、しばらく源氏は庭をながめていた。中納言の君は見送ろうとして
(つまどをあけてすわっていた。 「あなたとまたさいかいができるかどうか。)
妻戸をあけてすわっていた。 「あなたとまた再会ができるかどうか。
(むずかしいきのすることだ。こんなうんめいになることをしらないで、)
むずかしい気のすることだ。こんな運命になることを知らないで、
(あえばあうことのできたころにのんきでいたのがざんねんだ」)
逢えば逢うことのできたころにのんきでいたのが残念だ」
(とげんじはいうのであったが、おんなはなにもいわずにないているばかりである。)
と源氏は言うのであったが、女は何も言わずに泣いているばかりである。
(わかぎみのめのとのさいしょうのきみがつかいになって、だいじんふじんのみやのごあいさつをつたえた。)
若君の乳母の宰相の君が使いになって、大臣夫人の宮の御挨拶を伝えた。
(「おめにかかっておはなしもうかがいたかったのですが、かなしみがさきだちまして、)
「お目にかかってお話も伺いたかったのですが、悲しみが先だちまして、
(どうしようもございませんでしたうちに、もうこんなにはやくおでかけに)
どうしようもございませんでしたうちに、もうこんなに早くお出かけに
(なるそうです。そうなさらないではならないことになっておりますことも)
なるそうです。そうなさらないではならないことになっておりますことも
(なんというかなしいことでございましょう。あわれなひとがねむりからさめますまで)
何という悲しいことでございましょう。哀れな人が眠りからさめますまで
(おまちになりませんで」 きいていてげんじは、なきながら、)
お待ちになりませんで」 聞いていて源氏は、泣きながら、
(とりべやまもえしけむりもまがうやとあまのしおやくうらみにぞいく )
鳥部山燃えし煙もまがふやと海人の塩焼く浦見にぞ行く
(これをおへんじのことばともなくいっていた。 「よあけにするわかれはみなこんなに)
これをお返事の詞ともなく言っていた。 「夜明けにする別れはみなこんなに
(かなしいものだろうか。あなたがたはけいけんをもっていらっしゃるでしょう」)
悲しいものだろうか。あなた方は経験を持っていらっしゃるでしょう」
(「どんなときにもわかれはかなしゅうございますが、けさのかなしゅうございますことは)
「どんな時にも別れは悲しゅうございますが、今朝の悲しゅうございますことは
(なににもひかくができるとはおもえません」 さいしょうのきみのこえははなごえになっていて、)
何にも比較ができるとは思えません」 宰相の君の声は鼻声になっていて、
(ことばどおりふかくかなしんでいるふうであった。)
言葉どおり深く悲しんでいるふうであった。
(「ぜひおはなししたくぞんじますこともあるのでございますが、さてそれも)
「ぜひお話ししたく存じますこともあるのでございますが、さてそれも
(もうしあげられませんではんもんをしておりますこころをおさっしください。)
申し上げられませんで煩悶をしております心をお察しください。
(ただいまよくねむっておりますひとにけさまたあってまいることは、)
ただ今よく眠っております人に今朝また逢ってまいることは、
(わたくしのたびのおもいたちをちゅうちょさせることになるでございましょうから、)
私の旅の思い立ちを躊躇させることになるでございましょうから、
(れいこくであるでしょうがこのまままいります」)
冷酷であるでしょうがこのまままいります」
(とげんじはみやへごあいさつをかえしたのである。かえっていくげんじのすがたをにょうぼうたちはみな)
と源氏は宮へ御挨拶を返したのである。帰って行く源氏の姿を女房たちは皆
(のぞいていた。おちようとするつきがいちだんあかるくなったひかりのなかを、せいえんなすがたで、)
のぞいていた。落ちようとする月が一段明るくなった光の中を、清艶な姿で、
(ものおもいをしながらでていくげんじをみては、とらもおおかみもなかずには)
物思いをしながら出て行く源氏を見ては、虎も狼も泣かずには
(いられないであろう。ましてこのひとたちはげんじのしょうねんじだいからじして)
いられないであろう。ましてこの人たちは源氏の少年時代から侍して
(いられたのであるから、いいようもなくこのわかれをかなしくおもったのである。)
いられたのであるから、言いようもなくこの別れを悲しく思ったのである。
(げんじのうたにたいしてみやのおかえしになったうたは、 )
源氏の歌に対して宮のお返しになった歌は、
(なきひとのわかれやいとどへだたらんけむりとなりしくもいならでは )
亡き人の別れやいとど隔たらん煙となりし雲井ならでは
(というのである。いまのかなしみにいぜんのしべつのひのなみだもそって)
というのである。今の悲しみに以前の死別の日の涙も添って
(ながれるひとたちばかりで、さだいじんけはおんなのむせびなきのこえにみたされた。)
流れる人たちばかりで、左大臣家は女のむせび泣きの声に満たされた。