紫式部 源氏物語 須磨 4 與謝野晶子訳

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問題文

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(げんじがにじょうのいんへかえってみると、ここでもにょうぼうはよいからずっと)

源氏が二条の院へ帰って見ると、ここでも女房は宵からずっと

(なげきあかしたふうで、ところどころにかたまってはよのなりゆきをかなしんでいた。)

歎き明かしたふうで、所々にかたまっては世の成り行きを悲しんでいた。

(かしょくのつめしょをみると、したしいじしんはげんじについていくはずで、そのよういと、)

家職の詰め所を見ると、親しい侍臣は源氏について行くはずで、その用意と、

(かぞくたちとのわかれをおしむためにかくじがいえのほうへいっていてだれもいない。)

家族たちとの別れを惜しむために各自が家のほうへ行っていてだれもいない。

(かしょくいがいのものもしじゅうあつまってきていたものであるが、たずねてくることは)

家職以外の者も始終集まって来ていたものであるが、訪ねて来ることは

(かんぺんのめがおそろしくてだれもできないのである。これまでもんぜんにおおかった)

官辺の目が恐ろしくてだれもできないのである。これまで門前に多かった

(うまやくるまはもとよりかげもないのである。じんせいとはこんなに)

馬や車はもとより影もないのである。人生とはこんなに

(さびしいものであったのだとげんじはおもった。しょくどうのだいしょくたくなどもしようするにんずうが)

寂しいものであったのだと源氏は思った。食堂の大食卓なども使用する人数が

(すくなくて、はんぶんほどはちりをつもらせていた。たたみはところどころうらむけにしてあった。)

少なくて、半分ほどは塵を積もらせていた。畳は所々裏向けにしてあった。

(じぶんがいるうちにすでにこうである、ましてさってしまったあとのいえはどんなに)

自分がいるうちにすでにこうである、まして去ってしまったあとの家はどんなに

(こうりょうたるものになるだろうとげんじはおもった。にしのたいへいくと、こうしをよいのまま)

荒涼たるものになるだろうと源氏は思った。西の対へ行くと、格子を宵のまま

(おろさせないで、ものおもいをするふじんがよどおしおきていたあとであったから、)

おろさせないで、物思いをする夫人が夜通し起きていたあとであったから、

(えんがわのところどころにねていたどうじょなどが、このじこくにやっとみなおきだして、)

縁側の所々に寝ていた童女などが、この時刻にやっと皆起き出して、

(よるのすがたのままでおうらいするのもおもむきのあることであったが、きのよわくなっている)

夜の姿のままで往来するのも趣のあることであったが、気の弱くなっている

(げんじはこんなときにも、なんねんかのるすのあいだにはこうしたひとたちもちりぢりにほかへ)

源氏はこんな時にも、何年かの留守の間にはこうした人たちも散り散りにほかへ

(うつっていってしまうだろうと、そんなはずのないことまでもそうぞうされて)

移って行ってしまうだろうと、そんなはずのないことまでも想像されて

(こころぼそくなるのであった。げんじはふじんに、さだいじんけをわかれにたずねて、よがふけて)

心細くなるのであった。源氏は夫人に、左大臣家を別れに訪ねて、夜がふけて

(いっぱくしたことをいった。 「それをあなたはほかのことにうたがって、)

一泊したことを言った。 「それをあなたはほかの事に疑って、

(くやしがっていませんでしたか。もうわずかしかないわたくしのきょうのじかんだけは、)

くやしがっていませんでしたか。もうわずかしかない私の京の時間だけは、

(せめてあなたといっしょにいたいとわたくしはのぞんでいるのだけれど、いよいよとおくへ)

せめてあなたといっしょにいたいと私は望んでいるのだけれど、いよいよ遠くへ

など

(いくことになると、ここにもかしこにもいっておかねばならないいえが)

行くことになると、ここにもかしこにも行っておかねばならない家が

(おおいのですよ。にんげんはだれがいつしぬかもしれませんから、)

多いのですよ。人間はだれがいつ死ぬかもしれませんから、

(うらめしいなどとおもわせたままになってはわるいとおもうのですよ」)

恨めしいなどと思わせたままになっては悪いと思うのですよ」

(「あなたのことがこうなったいがいのくやしいことなどわたくしにはない」)

「あなたのことがこうなった以外のくやしいことなど私にはない」

(とだけいっているふじんのようすにも、ほかのだれよりもふかいかなしみのみえるのを、)

とだけ言っている夫人の様子にも、他のだれよりも深い悲しみの見えるのを、

(げんじはもっともであるとおもった。ちちのしんのうははじめからこのにょおうに、)

源氏はもっともであると思った。父の親王は初めからこの女王に、

(てもとでそだてておいでになるひめぎみほどのふかいあいをもっておいでに)

手もとで育てておいでになる姫君ほどの深い愛を持っておいでに

(ならなかったし、またげんざいではこうたいごうはをはばかって、よそよそしいたいどを)

ならなかったし、また現在では皇太后派をはばかって、よそよそしい態度を

(おとりになり、げんじのふこうもみまいにおいでにならないのを、)

おとりになり、源氏の不幸も見舞いにおいでにならないのを、

(ふじんはひとぎきもはずかしいことであるとおもって、そんざいをしられないままで)

夫人は人聞きも恥ずかしいことであると思って、存在を知られないままで

(いたほうがかえってよかったともくやんでいた。ままははであるみやのふじんが、)

いたほうがかえってよかったとも悔やんでいた。継母である宮の夫人が、

(あるひとに、 「あのひとがとつぜんこうふくなおんなになってしゅつげんしたかとおもうと、)

ある人に、 「あの人が突然幸福な女になって出現したかと思うと、

(すぐにもうそのゆめはきえてしまうじゃないか。おかあさん、おばあさん、)

すぐにもうその夢は消えてしまうじゃないか。お母さん、お祖母さん、

(こんどはおっとというじゅんにだれにもみじかいえんよりないひとらしい」 といったことばを、)

今度は良人という順にだれにも短い縁よりない人らしい」 と言った言葉を、

(みやのおやしきのじじょうをよくしっているひとがあってはなしたので、にょおうはなさけなく)

宮のお邸の事情をよく知っている人があって話したので、女王は情けなく

(うらめしくおもって、こちらからもおんしんをしないぜっこうじょうたいであって、そのほかには)

恨めしく思って、こちらからも音信をしない絶交状態であって、そのほかには

(だれひとりたよりになるひとをもたないこどくのにょおうであった。)

だれ一人たよりになる人を持たない孤独の女王であった。

(「わたくしがいつまでもげんじょうにおかれるのだったら、どんなひどいわびずまいであっても)

「私がいつまでも現状に置かれるのだったら、どんなひどい侘び住居であっても

(あなたをむかえます。いまそれをじっこうすることはひとぎきがおだやかでないから、)

あなたを迎えます。今それを実行することは人聞きが穏やかでないから、

(わたくしはえんりょしてしないだけです。ちょっかんのひとというものは、あかるいにちげつのしたへ)

私は遠慮してしないだけです。勅勘の人というものは、明るい日月の下へ

(でることもゆるされていませんからね。のんきになっていてはつみをかさねることに)

出ることも許されていませんからね。のんきになっていては罪を重ねることに

(なるのです。わたくしはおかしたつみのないことはじしんしているが、ぜんしょうのいんねんかなにかで)

なるのです。私は犯した罪のないことは自信しているが、前生の因縁か何かで

(こんなことにされているのだから、ましてあいさいといっしょにはいしょへ)

こんなことにされているのだから、まして愛妻といっしょに配所へ

(いったりすることはれいのないことだから、じょうしきではかんがえることもできないような)

行ったりすることは例のないことだから、常識では考えることもできないような

(ことをするせいふにまたわたくしをはくがいするこうじつをあたえるようなものですからね」)

ことをする政府にまた私を迫害する口実を与えるようなものですからね」

(などとげんじはかたっていた。ひるにちかいころまでげんじはしんしつにいたが、そのうちに)

などと源氏は語っていた。昼に近いころまで源氏は寝室にいたが、そのうちに

(そつのみやがおいでになり、さんみちゅうじょうもらいていした。めんかいをするためにげんじはきがえを)

帥の宮がおいでになり、三位中将も来邸した。面会をするために源氏は着替えを

(するのであったが、 「わたくしはむいのにんげんだから」)

するのであったが、 「私は無位の人間だから」

(といって、むじののうしにした。それでかえってえんなすがたになったようである。)

と言って、無地の直衣にした。それでかえって艶な姿になったようである。

(びんをかくためにきょうだいにむかったげんじは、やせのみえるかおがわれながらきれいに)

鬢を掻くために鏡台に向かった源氏は、痩せの見える顔が我ながらきれいに

(おもわれた。 「ずいぶんおとろえたものだ。こんなにやせているのがあわれですね」)

思われた。 「ずいぶん衰えたものだ。こんなに痩せているのが哀れですね」

(とげんじがいうと、にょおうはめになみだをうかべてかがみのほうをみた。)

と源氏が言うと、女王は目に涙を浮かべて鏡のほうを見た。

(げんじのこころはかなしみにくらくなるばかりである。 )

源氏の心は悲しみに暗くなるばかりである。

(みはかくてさすらえぬともきみがあたりさらぬかがみのかげははなれじ )

身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡のかげははなれじ

(とげんじがいうと、 )

と源氏が言うと、

(わかれてもかげだにとまるものならばかがみをみてもなぐさめてまし )

別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし

(いうともなくこういいながら、はしらにかくされるようにしてなみだをまぎらしているわかむらさきの)

言うともなくこう言いながら、柱に隠されるようにして涙を紛らしている若紫の

(ゆうがなびは、なおだれよりもすぐれたこいびとであるとげんじにもみとめさせた。)

優雅な美は、なおだれよりもすぐれた恋人であると源氏にも認めさせた。

(しんのうとさんみちゅうじょうはみにしむはなしをしてゆうがたかえった。)

親王と三位中将は身にしむ話をして夕方帰った。

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