紫式部 源氏物語 須磨 6 與謝野晶子訳

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(げんじはいよいよたびのよういにかかった。げんじにせいいをもってつかえて、) 源氏はいよいよ旅の用意にかかった。源氏に誠意を持って仕えて、 (げんざいのけんせいにこびることをおもわないひとたちをえらんで、けいしとしてるすちゅうの) 現在の権勢に媚びることを思わない人たちを選んで、家司として留守中の (じむをあつかうものをまずうえからしたまでさだめた。ずいこうするのはとくにまたそのなかから) 事務を扱う者をまず上から下まで定めた。随行するのは特にまたその中から (えらばれたしせいのしである。いんせいのようにもっていくのはひびひつようなものだけで、) 選ばれた至誠の士である。隠栖の用に持って行くのは日々必要な物だけで、 (それもかざりけのないしっそなものをえらんだ。それからしょせきるい、ししゅうなどをいれたはこ、) それも飾りけのない質素な物を選んだ。それから書籍類、詩集などを入れた箱、 (そのほかにはきんをひとつだけたずさえていくことにした。たくさんにあるてどうぐや) そのほかには琴を一つだけ携えて行くことにした。たくさんにある手道具や (かしゃなこうげいひんはすこしももっていかない。いちへいみんのしっそないんせいしゃになろうと) 華奢な工芸品は少しも持って行かない。一平民の質素な隠栖者になろうと (するのである。げんじはいままでめしつかっていただんじょをはじめ、いえのことぜんぶを) するのである。源氏は今まで召し使っていた男女をはじめ、家のこと全部を (にしのたいへまかせることにした。しりょうのしょうえん、ぼくじょう、そのほかしょゆうけんのあるものの) 西の対へ任せることにした。私領の荘園、牧場、そのほか所有権のあるものの (しょうけんもみなふじんのてもとへおいていくのであった。なおそのほかにぶっしの) 証券も皆夫人の手もとへ置いて行くのであった。なおそのほかに物資の
(ちくぞうされてあるいくつのそうこ、おさめどのなどのことも、しんようするしょうなごんのめのとを) 蓄蔵されてある幾つの倉庫、納殿などのことも、信用する少納言の乳母を (うえにしてなんにんかのけいしをそれにつけて、ふじんのものとしてあるざいさんの) 上にして何人かの家司をそれにつけて、夫人の物としてある財産の (かんりじょうのじむをとらせることにはからったのである。) 管理上の事務を取らせることに計らったのである。 (これまでひがしのたいのにょうぼうとしてげんじにちょくせつつかわれていたなかの、なかつかさ、) これまで東の対の女房として源氏に直接使われていた中の、中務、 (ちゅうじょうなどというげんじのあいじんらは、げんじのれいたんさにうらめしいところはあっても、) 中将などという源氏の愛人らは、源氏の冷淡さに恨めしいところはあっても、 (せっきんしてくらすことにこうふくをみとめてまんぞくしていたひとたちで、こんごはなにをたのしみに) 接近して暮らすことに幸福を認めて満足していた人たちで、今後は何を楽しみに (にょうぼうづとめができようとおもったのであるが、「ながいきができてまたきょうへ) 女房勤めができようと思ったのであるが、「長生きができてまた京へ (かえるかもしれないわたくしのところにいたいとおもうひとはにしのたいでつとめているがいい」) 帰るかもしれない私の所にいたいと思う人は西の対で勤めているがいい」 (とげんじはいって、うえからしたまですべてのにょうぼうをにしのたいへこさせた。) と源氏は言って、上から下まですべての女房を西の対へ来させた。 (そしておんなのせいかつにひつようなけんぷるいをほうふにわけてあたえた。さだいじんけにいるわかぎみの) そして女の生活に必要な絹布類を豊富に分けて与えた。左大臣家にいる若君の
など
(めのとたちへも、またはなちるさとへもそのことをした。かびなものもあったが、) 乳母たちへも、また花散里へもそのことをした。華美な物もあったが、 (なんねんかんかにひつようなじつようてきなものもおおくそろえておくったのである。げんじはまた) 何年間かに必要な実用的な物も多くそろえて贈ったのである。源氏はまた (とちゅうのひとめをきづかいながらないしのかみのところへもわかれのてがみをおくった。) 途中の人目を気づかいながら尚侍の所へも別れの手紙を送った。 (あなたからなんともいってくださらないのもどうりなようにはおもえますが、) あなたから何とも言ってくださらないのも道理なようには思えますが、 (いよいよきょうをさるときになってみますと、かなしいとおもわれることも、) いよいよ京を去る時になってみますと、悲しいと思われることも、 (うらめしさもつよくかんぜられます。 ) 恨めしさも強く感ぜられます。 (おうせなきなみだのかわにしずみしやながるるみおのはじめなりけん ) 逢瀬なき涙の川に沈みしや流るるみをの初めなりけん (こんなにひとへのしゅうちゃくがつよくてはほとけさまにすくわれるのぞみもありません。) こんなに人への執着が強くては仏様に救われる望みもありません。 (あいだでぬすみみされることがあやぶまれてこまかにはかけなかったのである。) 間で盗み見されることがあやぶまれて細かには書けなかったのである。 (てがみをよんだないしのかみはひじょうにかなしがった。ながれてでるなみだはとめどもなかった。 ) 手紙を読んだ尚侍は非常に悲しがった。流れて出る涙はとめどもなかった。 (なみだがわうかぶみなわもきえぬべしわかれてのちのせをもまたずて ) 涙川浮ぶ水沫も消えぬべし別れてのちの瀬をもまたずて (なきなきみだれごころでかいた、みだれがきのじのうつくしいのをみても、げんじのこころは) 泣き泣き乱れ心で書いた、乱れ書きの字の美しいのを見ても、源氏の心は (おおくひかれて、このひととさいごのかいけんをしないでじぶんはいかれるであろうかとも) 多く惹かれて、この人と最後の会見をしないで自分は行かれるであろうかとも (おもったが、いろいろなことがげんじをはんせいさせた。こいしいひとのいちぞくがげんじのはいせきを) 思ったが、いろいろなことが源氏を反省させた。恋しい人の一族が源氏の排斥を (くわだてたのであることをおもって、またそのひとのたちばのくるしさをもおしはかって、) 企てたのであることを思って、またその人の立場の苦しさをも推し量って、 (てがみをおくるいじょうのことはしなかった。) 手紙を送る以上のことはしなかった。
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