紫式部 源氏物語 須磨 7 與謝野晶子訳
関連タイピング
-
プレイ回数2.6万長文かな779打
-
プレイ回数934長文3362打
-
プレイ回数5長文2816打
-
プレイ回数126長文2829打
-
プレイ回数206長文2359打
-
プレイ回数715長文2743打
-
プレイ回数308長文かな3736打
-
プレイ回数1501長文3047打
問題文
(しゅったつのぜんやにげんじはいんのおはかへえっするためにきたやまへむかった。あけがたにかけて)
出立の前夜に源氏は院のお墓へ謁するために北山へ向かった。明け方にかけて
(つきのでるころであったから、それまでのじかんにげんじはにゅうどうのみやへおいとまごいに)
月の出るころであったから、それまでの時間に源氏は入道の宮へお暇乞いに
(しこうした。おいまのみすのまえにげんじのざがもうけられて、みやごじしんでおはなしに)
伺候した。お居間の御簾の前に源氏の座が設けられて、宮御自身でお話しに
(なるのであった。みやはとうぐうのことをかぎりもなくふあんにおぼしめすごようすである。)
なるのであった。宮は東宮のことを限りもなく不安に思召す御様子である。
(そうめいなだんじょがねつをうちにつつんでわかれのことばをかわしたのであるが、それには)
聡明な男女が熱を内に包んで別れの言葉をかわしたのであるが、それには
(せんれんされたひあいというようなものがあった。むかしにすこしもかわっておいでにならない)
洗練された悲哀というようなものがあった。昔に少しも変っておいでにならない
(なつかしいうつくしいかんじのうけとれるげんじは、かこのじゅうすうねんにわたる)
なつかしい美しい感じの受け取れる源氏は、過去の十数年にわたる
(しぼにたいして、つめたいりちのいちめんよりおみせにならなかったうらみも)
思慕に対して、冷たい理智の一面よりお見せにならなかった恨みも
(いってみたいきになるのであったが、いまはあまであって、いっそうどうぎてきになって)
言ってみたい気になるのであったが、今は尼であって、いっそう道義的になって
(おいでになるかたにうとましいとおもわれまいともかんがえ、じぶんながらもそのくちびを)
おいでになる方にうとましいと思われまいとも考え、自分ながらもその口火を
(きってしまえば、どこまであたまがこんらんしてしまうかわからないおそれもあって)
切ってしまえば、どこまで頭が混乱してしまうか分からない恐れもあって
(こころをおさえた。 「こういたしましたいがいなつみにとわれますことに)
心をおさえた。 「こういたしました意外な罪に問われますことに
(なりましても、わたくしはりょうしんにおもいあわされることがひとつございまして)
なりましても、私は良心に思い合わされることが一つございまして
(そらおそろしくぞんじます。わたくしはどうなりましてもとうぐうがごぶじにそくいあそばせば)
空恐ろしく存じます。私はどうなりましても東宮が御無事に即位あそばせば
(わたくしはまんぞくいたします」 とだけいった。それはしんじつのこくはくであった。)
私は満足いたします」 とだけ言った。それは真実の告白であった。
(みやもみなわかっておいでになることであったからげんじのこのことばでおおきなしょうどうを)
宮も皆わかっておいでになることであったから源氏のこの言葉で大きな衝動を
(おうけになっただけで、なんともおへんじはあそばさなかった。はつこいびとへのえんこん、)
お受けになっただけで、何ともお返辞はあそばさなかった。初恋人への怨恨、
(ふせいあい、べつりのかなしみがひとつになってなくげんじのすがたはあくまでもゆうがであった。)
父性愛、別離の悲しみが一つになって泣く源氏の姿はあくまでも優雅であった。
(「これからごりょうへまいりますが、おことづてがございませんか」)
「これから御陵へ参りますが、お言づてがございませんか」
(とげんじはいったが、みやのおへんじはしばらくなかった。)
と源氏は言ったが、宮のお返辞はしばらくなかった。
(ちゅうちょをしておいでになるごようすである。 )
躊躇をしておいでになる御様子である。
(みしはなくあるはかなしきよのはてをそむきしかいもなくなくぞふる )
見しは無く有るは悲しき世のはてを背きしかひもなくなくぞ経る
(みやはおかなしみのじっかんがあまって、うたとしてはかんぜんなものがおできにならなかった。)
宮はお悲しみの実感が余って、歌としては完全なものがおできにならなかった。
(わかれしにかなしきことはつきにしをまたもこのよのうさはまされる )
別れしに悲しきことは尽きにしをまたもこの世の憂さは勝れる
(これはげんじのさくである。やっとつきがでたので、さんじょうのみやをげんじはでて)
これは源氏の作である。やっと月が出たので、三条の宮を源氏は出て
(ごりょうへいこうとした。ともはただご、ろくにんつれただけである。したのさむらいも)
御陵へ行こうとした。供はただ五、六人つれただけである。下の侍も
(したしいものばかりにしてうまでいった。いまさらなことではあるがいぜんのげんじの)
親しい者ばかりにして馬で行った。今さらなことではあるが以前の源氏の
(がいしゅつにくらべてなんというさびしいいっこうであろう。かじゅうたちもみなかなしんでいたが、)
外出に比べてなんという寂しい一行であろう。家従たちも皆悲しんでいたが、
(そのなかにさいいんのみそぎのひにたいしょうのかりのずいしんになってしたがってでたくろうどをかねた)
その中に斎院の御禊の日に大将の仮の随身になって従って出た蔵人を兼ねた
(うこんえしょうそうは、とうぜんことしはあがるはずのいかいもすすめられず、くろうどどころのしゅっしは)
右近衛将曹は、当然今年は上がるはずの位階も進められず、蔵人所の出仕は
(とめられ、かんをうばわれてしまったので、これもすすんですまへいくひとりに)
止められ、官を奪われてしまったので、これも進んで須磨へ行く一人に
(なっているのであるが、このおとこがしもがものやしろがはるかにみわたされるところへくると、)
なっているのであるが、この男が下加茂の社がはるかに見渡される所へ来ると、
(ふとむかしがめにうかんできて、うまからとびおりるとすぐに)
ふと昔が目に浮かんで来て、馬から飛びおりるとすぐに
(げんじのうまのくちをとってうたった。 )
源氏の馬の口を取って歌った。
(ひきつれてあおいかざせしそのかみをおもえばつらしかものみづがき )
ひきつれて葵かざせしそのかみを思へばつらし加茂のみづがき
(どんなにこのおとこのこころはかなしいであろう、そのじだいにはだれよりもすぐれて)
どんなにこの男の心は悲しいであろう、その時代にはだれよりもすぐれて
(はなやかなせいねんであったのだから、とおもうとげんじはくるしかった。)
はなやかな青年であったのだから、と思うと源氏は苦しかった。
(じしんもまたうまからおりてかものやしろをようはいしておいとまごいをかみにした。 )
自身もまた馬からおりて加茂の社を遥拝してお暇乞いを神にした。
(うきよをばいまぞはなるるとどまらんなをばただすのかみにまかせて )
うき世をば今ぞ離るる留まらん名をばただすの神にまかせて
(とうたうげんじのゆうびさにぶんがくてきなこのせいねんはかんげきしていた。)
と歌う源氏の優美さに文学的なこの青年は感激していた。
(ちちみかどのごりょうにきてたったげんじは、むかしがいまになったようにおもわれて、)
父帝の御陵に来て立った源氏は、昔が今になったように思われて、
(ございせいちゅうのことがめのまえにみえるきがするのであったが、しかしとうといくんしゅも)
御在世中のことが目の前に見える気がするのであったが、しかし尊い君主も
(かこのかたになっておしまいになっては、さいあいのみこのまえへもすがたを)
過去の方になっておしまいになっては、最愛の御子の前へも姿を
(おだしになることができないのはかなしいことである。いろいろのことをげんじは)
お出しになることができないのは悲しいことである。いろいろのことを源氏は
(なくなくうったえたが、なんのおこたえもうけたまわることができない。じぶんのために)
泣く泣く訴えたが、何のお答えも承ることができない。自分のために
(あそばされたかずかずのごゆいごんはどこへみなうしなわれたものであろうと、そんなことが)
あそばされた数々の御遺言はどこへ皆失われたものであろうと、そんなことが
(またここでかなしまれるげんじであった。おはかのあるところはたかいざっそうがはえていて、)
またここで悲しまれる源氏であった。御墓のある所は高い雑草がはえていて、
(わけてはいるひとはつゆにぜんしんがうるおうのである。このときはつきもちょうどくものなかへ)
分けてはいる人は露に全身が潤うのである。この時は月もちょうど雲の中へ
(かくれていて、ぜんぽうのもりがくらくつづいているためにきわまりもなくものすごい。)
隠れていて、前方の森が暗く続いているためにきわまりもなくものすごい。
(もうこのままかえらないでもいいようなきがして、いっしんにげんじがおがんでいるときに、)
もうこのまま帰らないでもいいような気がして、一心に源氏が拝んでいる時に、
(むかしのままのおすがたがまぼろしにみえた。それはさむけがするほど)
昔のままのお姿が幻に見えた。それは寒けがするほど
(はっきりとみえたまぼろしであった。 )
はっきりと見えた幻であった。
(なきかげやいかでみるらんよそえつつながむるつきもくもかくれぬる)
亡き影やいかで見るらんよそへつつ眺むる月も雲隠れぬる