紫式部 源氏物語 須磨 13 與謝野晶子訳
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問題文
(ないしのかみはげんじのついほうされたちょくせつのげんいんになったじょせいであるから、)
尚侍は源氏の追放された直接の原因になった女性であるから、
(せけんからはちょうしょうてきにちゅうもくされ、こいびとにはとおくはなれて、ふかいなげきのなかに)
世間からは嘲笑的に注目され、恋人には遠く離れて、深い歎きの中に
(おぼれているのを、だいじんはもっともあいしているむすめであったからあわれにおもって、)
溺れているのを、大臣は最も愛している娘であったから憐れに思って、
(ねっしんにたいこうへとりなしをしたし、みかどへもおわびをもうしあげたので、)
熱心に太后へ取りなしをしたし、帝へもお詫びを申し上げたので、
(ないしのかみはこうしきのにょかんちょうであって、えんしんにじするにょご、こういなどがおこしたもんだいでは)
尚侍は公式の女官長であって、燕寝に侍する女御、更衣などが起こした問題では
(ないから、かしつとしてちょくめんがあればそれでよいということになった。)
ないから、過失として勅免があればそれでよいということになった。
(みかどのごあいちょうをうらぎってじょうじんをもったてんをおにくみになったのであるが、)
帝の御愛寵を裏切って情人を持った点をお憎みになったのであるが、
(しゃめんのせんじがでてきゅうちゅうへまたはいることになっても、ないしのかみのこころはげんじのこいしさに)
赦免の宣旨が出て宮中へまたはいることになっても、尚侍の心は源氏の恋しさに
(みたされていた。しちがつになってそのことがじつげんされた。ひじょうなおきにいりで)
満たされていた。七月になってその事が実現された。非常なお気に入りで
(あったのであるから、ひとのそしりもおぼしめさずに、おつねごてんのとのいどころにばかり)
あったのであるから、人の譏りも思召さずに、お常御殿の宿直所にばかり
(ないしのかみはおかれていた。おうらみになったり、えいきゅうにかわらぬあいのちかいを)
尚侍は置かれていた。お恨みになったり、永久に変わらぬ愛の誓いを
(おおせられたりするみかどのごふうさいはごりっぱで、ゆうびなかたなのであるが、)
仰せられたりする帝の御風采はごりっぱで、優美な方なのであるが、
(これをあきたらぬものとはじかくしていないが、なおないしのかみにはげんじばかりが)
これを飽き足らぬものとは自覚していないが、なお尚侍には源氏ばかりが
(こいしいというのはもったいないしだいである。おんがくのがっそうをじしんたちに)
恋しいというのはもったいない次第である。音楽の合奏を侍臣たちに
(させておいでになるときに、みかどはないしのかみへ、 「あのひとがいないことは)
させておいでになる時に、帝は尚侍へ、 「あの人がいないことは
(さびしいことだ。わたくしでもそうおもうのだから、ほかにはもっとつうせつに)
寂しいことだ。私でもそう思うのだから、ほかにはもっと痛切に
(そうおもわれるひとがあるだろう。なんのうえにもひかりというものがなくなったきがする」)
そう思われる人があるだろう。何の上にも光というものがなくなった気がする」
(とおおせられるのであった。それからまた、 「いんのごゆいごんにそむいてしまった。)
と仰せられるのであった。それからまた、 「院の御遺言にそむいてしまった。
(わたくしはしんだあとでばっせられるにちがいない」 となみだぐみながらおいいになるのを)
私は死んだあとで罰せられるに違いない」 と涙ぐみながらお言いになるのを
(きいて、ないしのかみはなかずにいられなかった。 「じんせいはつまらないものだという)
聞いて、尚侍は泣かずにいられなかった。 「人生はつまらないものだという
(きがしてきて、それとともにもうけっしてながくはいきていられないように)
気がしてきて、それとともにもう決して長くは生きていられないように
(おもわれる。わたくしがなくなってしまったとき、あなたはどうおもいますか。)
思われる。私がなくなってしまった時、あなたはどう思いますか。
(たびへひとのいったときのわかれいじょうにかなしんでくれないでわたくしはしつぼうする。)
旅へ人の行った時の別れ以上に悲しんでくれないで私は失望する。
(いきているかぎりあいしあおうというやくそくをしてまんぞくしているひとたちに、)
生きている限り愛し合おうという約束をして満足している人たちに、
(わたくしのあなたをおもうあいのふかさはわからないだろう。わたくしはらいせにいってまで)
私のあなたを思う愛の深さはわからないだろう。私は来世に行ってまで
(あなたとあいしあいたいのだ」 となつかしいちょうしでおおせられる、)
あなたと愛し合いたいのだ」 となつかしい調子で仰せられる、
(それにはおこころのそこからあふれるようなあいがしめされていることであったから、)
それにはお心の底からあふれるような愛が示されていることであったから、
(ないしのかみのなみだはほろほろとこぼれた。 「そら、なみだがおちる、どちらのために」)
尚侍の涙はほろほろとこぼれた。 「そら、涙が落ちる、どちらのために」
(とみかどはおいいになった。 「いままでわたくしにおとこのこのないのがさびしい。)
と帝はお言いになった。 「今まで私に男の子のないのが寂しい。
(とうぐうをいんのおことばどおりにじぶんのこのようにわたくしはかんがえているのだが、)
東宮を院のお言葉どおりに自分の子のように私は考えているのだが、
(いろいろなにんげんがあいだにいて、わたくしのあいがてっていしないからこころぐるしくてならない」)
いろいろな人間が間にいて、私の愛が徹底しないから心苦しくてならない」
(などとおかたりになる。ごいしによらないせいじをおこなうものがあって、)
などとお語りになる。御意志によらない政治を行う者があって、
(それをわかいおこころのよわさはどうなされようもなくてごはんもんがたえないらしい。)
それを若いお心の弱さはどうなされようもなくて御煩悶が絶えないらしい。