人間椅子 7

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タグ文学 小説
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1 プーノピー 5868 A+ 6.2 94.3% 776.0 4844 290 96 2024/03/12

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問題文

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(そのほか、わたしはまだいろいろと、めずらしい、ふしぎな、)

その外、私はまだ色々と、珍しい、不思議な、

(あるいはきみわるい、かずかずのけいけんをいたしましたが、)

或は気味悪い、数々の経験を致しましたが、

(それらを、ここにさいじょすることは、このてがみのもくてきでありませんし、)

それらを、ここに細叙することは、この手紙の目的でありませんし、

(それにだいぶながくなりましたから、いそいで、)

それに大分長くなりましたから、急いで、

(かんじんのてんにおはなしをすすめることにいたしましょう。)

肝心の点にお話を進めることに致しましょう。

(さて、わたしがほてるへまいりましてから、なんかげつかのあと、)

さて、私がホテルへ参りましてから、何ヶ月かの後、

(わたしのみのうえにひとつのへんかがおこったのでございます。)

私の身の上に一つの変化が起ったのでございます。

(といいますのは、ほてるのけいえいしゃが、)

といいますのは、ホテルの経営者が、

(なにかのつごうできこくすることになり、あとをいぬきのまま、)

何かの都合で帰国することになり、あとを居抜きのまま、

(あるにほんじんのかいしゃにゆずりわたしたのであります。)

ある日本人の会社に譲り渡したのであります。

(すると、にほんじんのかいしゃは、じゅうらいのぜいたくなえいぎょうほうしんをあらため、)

すると、日本人の会社は、従来の贅沢な営業方針を改め、

(もっといっぱんむきのりょかんとして、ゆうりなけいえいをもくろむことになりました。)

もっと一般向きの旅館として、有利な経営を目論むことになりました。

(そのためにふようになったちょうどなどは、あるおおきなかぐしょうにいたくして、)

その為に不用になった調度などは、ある大きな家具商に委託して、

(きょうばいせしめたのでありますが、そのきょうばいもくろくのうちに、)

競売せしめたのでありますが、その競売目録の内に、

(わたしのいすもくわわっていたのでございます。)

私の椅子も加わっていたのでございます。

(わたしは、それをしると、いちじはがっかりいたしました。)

私は、それを知ると、一時はガッカリ致しました。

(そして、それをきとして、もういちどしゃばへたちかえり、)

そして、それを機として、もう一度娑婆へ立帰り、

(あたらしいせいかつをはじめようかとおもったほどでございます。)

新しい生活を始めようかと思った程でございます。

(そのじふんには、ぬすみためたかねがそうとうのがくにのぼっていましたから、)

その時分には、盗みためた金が相当の額に上っていましたから、

(たとえ、よのなかへでても、いぜんのように、)

仮令、世の中へ出ても、以前の様に、

など

(みじめなくらしをすることはないのでした。)

みじめな暮しをすることはないのでした。

(が、またおもいかえしてみますと、がいじんのほてるをでたということは、)

が、又思い返して見ますと、外人のホテルを出たということは、

(いっぽうにおいては、おおきなしつぼうでありましたけれど、たほうにおいては、)

一方に於ては、大きな失望でありましたけれど、他方に於ては、

(ひとつのあたらしいきぼうをいみするものでございました。)

一つの新しい希望を意味するものでございました。

(といいますのは、わたしはすうかげつのあいだも、)

といいますのは、私は数ヶ月の間も、

(それほどいろいろのいせいをあいしたにもかかわらず、)

それ程色々の異性を愛したにも拘らず、

(あいてがすべていこくじんであったために、それがどんなりっぱな、)

相手が凡て異国人であった為に、それがどんな立派な、

(このもしいにくたいのもちぬしであっても、)

好もしい肉体の持主であっても、

(せいしんてきにみょうなものたりなさをかんじないわけにはいきませんでした。)

精神的に妙な物足りなさを感じない訳には行きませんでした。

(やっぱり、にほんじんは、おなじにほんじんにたいしてでなければ、)

やっぱり、日本人は、同じ日本人に対してでなければ、

(ほんとうのこいをかんじることができないのではあるまいか。)

本当の恋を感じることが出来ないのではあるまいか。

(わたしはだんだん、そんなふうにかんがえていたのでございます。)

私は段々、そんな風に考えていたのでございます。

(そこへ、ちょうどわたしのいすがきょうばいにでたのであります。)

そこへ、丁度私の椅子が競売に出たのであります。

(こんどは、ひょっとすると、にほんじんにかいとられるかもしれない。)

今度は、ひょっとすると、日本人に買いとられるかも知れない。

(そして、にほんじんのかていにおかれるかもしれない。)

そして、日本人の家庭に置かれるかも知れない。

(それが、わたしのあたらしいきぼうでございました。)

それが、私の新しい希望でございました。

(わたしは、ともかくも、もうすこしいすのなかのせいかつをつづけてみることにいたしました。)

私は、兎も角も、もう少し椅子の中の生活を続けて見ることに致しました。

(どうぐやのみせさきで、にさんにちのあいだ、ひじょうにくるしいおもいをしましたが、)

道具屋の店先で、二三日の間、非常に苦しい思いをしましたが、

(でも、きょうばいがはじまると、しあわせなことには、)

でも、競売が始まると、仕合せなことには、

(わたしのいすはさっそくかいてがつきました。ふるくなっても、)

私の椅子は早速買手がつきました。古くなっても、

(じゅうぶんひとめをひくほど、りっぱないすだったからでございましょう。)

十分人目を引く程、立派な椅子だったからでございましょう。

(かいてはyしからほどとおからぬ、だいとかいにすんでいた、)

買手はY市から程遠からぬ、大都会に住んでいた、

(あるかんりでありました。どうぐやのみせさきから、)

ある官吏でありました。道具屋の店先から、

(そのひとのていまで、なんりかのみちを、)

その人の邸まで、何里かの道を、

(ひじょうにしんどうのはげしいとらっくではこばれたときには、)

非常に震動の烈しいトラックで運ばれた時には、

(わたしはいすのなかでしぬほどのくるしみをなめましたが、)

私は椅子の中で死ぬ程の苦しみを嘗めましたが、

(でも、そんなことは、かいてが、)

でも、そんなことは、買手が、

(わたしののぞみどおりにほんじんであったというよろこびにくらべては、もののかずでもございません。)

私の望み通り日本人であったという喜びに比べては、物の数でもございません。

(かいてのおやくにんは、かなりりっぱなやしきのもちぬしで、わたしのいすは、)

買手のお役人は、可成立派な邸の持主で、私の椅子は、

(そこのようかんの、ひろいしょさいにおかれましたが、)

そこの洋館の、広い書斎に置かれましたが、

(わたしにとってひじょうにまんぞくであったことには、)

私にとって非常に満足であったことには、

(そのしょさいは、しゅじんよりは、むしろ、そのいえの、)

その書斎は、主人よりは、寧ろ、その家の、

(わかくうつくしいふじんがしようされるものだったのでございます。)

若く美しい夫人が使用されるものだったのでございます。

(それいらい、やくいっかげつのあいだ、わたしはたえず、ふじんとともにおりました。)

それ以来、約一ヶ月の間、私は絶えず、夫人と共に居りました。

(ふじんのしょくじと、しゅうしんのじかんをのぞいては、ふじんのしなやかなしんたいは、)

夫人の食事と、就寝の時間を除いては、夫人のしなやかな身体は、

(いつもわたしのうえにありました。それというのが、ふじんは、)

いつも私の上に在りました。それというのが、夫人は、

(そのあいだ、しょさいにつめきって、あるちょさくにぼっとうしていられたからでございます。)

その間、書斎につめきって、ある著作に没頭していられたからでございます。

(わたしがどんなにかのじょをあいしたか、それは、)

私がどんなに彼女を愛したか、それは、

(ここにくだくだしくもうしあげるまでもありますまい。)

ここに管々しく申し上げるまでもありますまい。

(かのじょは、わたしのはじめてせっしたにほんじんで、)

彼女は、私の始めて接した日本人で、

(しかもじゅうぶんうつくしいにくたいのもちぬしでありました。)

而も十分美しい肉体の持主でありました。

(わたしは、そこに、はじめてほんとうのこいをかんじました。)

私は、そこに、始めて本当の恋を感じました。

(それにくらべては、ほてるでの、かずおおいけいけんなどは、)

それに比べては、ホテルでの、数多い経験などは、

(けっしてこいとめいづくべきものではございません。)

決して恋と名づくべきものではございません。

(そのしょうこには、これまでいちども、そんなことをかんじなかったのに、)

その証拠には、これまで一度も、そんなことを感じなかったのに、

(そのふじんにたいしてだけわたしは、)

その夫人に対して丈け私は、

(ただひみつのあいぶをたのしむのみではあきたらず、)

ただ秘密の愛撫を楽しむのみではあき足らず、

(どうかして、わたしのそんざいをしらせようと、)

どうかして、私の存在を知らせようと、

(いろいろくしんしたのでもさやかでございましょう。)

色々苦心したのでも明かでございましょう。

(わたしは、できるならば、ふじんのほうでも、)

私は、出来るならば、夫人の方でも、

(いすのなかのわたしをいしきしてほしかったのでございます。)

椅子の中の私を意識して欲しかったのでございます。

(そして、むしのいいはなしですが、わたしをあいしてもらいたくおもったのでございます。)

そして、虫のいい話ですが、私を愛して貰い度く思ったのでございます。

(でも、それをどうしてあいずいたしましょう。)

でも、それをどうして合図致しましょう。

(もし、そこににんげんがかくれているということを、)

若し、そこに人間が隠れているということを、

(あからさまにしらせたなら、かのじょはきっと、)

あからさまに知らせたなら、彼女はきっと、

(おどろきのあまり、しゅじんやめしつかいたちに、そのことをつげるにそういありません。)

驚きの余り、主人や召使達に、その事を告げるに相違ありません。

(それではすべてがだめになってしまうばかりか、)

それでは凡てが駄目になって了うばかりか、

(わたしは、おそろしいざいめいをきて、ほうりつじょうのけいばつをさえうけなければなりません。)

私は、恐ろしい罪名を着て、法律上の刑罰をさえ受けなければなりません。

(そこで、わたしは、せめてふじんに、わたしのいすを、)

そこで、私は、せめて夫人に、私の椅子を、

(このうえにもいごこちよくかんじさせ、それにあいちゃくをおこさせようとつとめました。)

この上にも居心地よく感じさせ、それに愛着を起させようと努めました。

(げいじゅつかであるかのじょは、きっとじょうじんいじょうの、)

芸術家である彼女は、きっと常人以上の、

(びみょうなかんかくをそなえているにそういありません。)

微妙な感覚を備えているに相違ありません。

(もしも、かのじょが、わたしのいすにせいめいをかんじてくれたなら、)

若しも、彼女が、私の椅子に生命を感じて呉れたなら、

(ただのぶっしつとしてではなく、)

ただの物質としてではなく、

(ひとつのいきものとしてあいちゃくをおぼえてくれたなら、)

一つの生きものとして愛着を覚えてくれたなら、

(それだけでも、わたしはじゅうぶんまんぞくなのでございます。)

それ丈けでも、私は十分満足なのでございます。

(わたしは、かのじょがわたしのうえにみをなげたときには、)

私は、彼女が私の上に身を投げた時には、

(できるだけふーわりとやさしくうけるようにこころがけました。)

出来る丈けフーワリと優しく受ける様に心掛けました。

(かのじょがわたしのうえでつかれたじふんには、わからぬほどにそろそろとひざをうごかして、)

彼女が私の上で疲れた時分には、分らぬ程にソロソロと膝を動かして、

(かのじょのしんたいのいちをかえるようにいたしました。)

彼女の身体の位置を換える様に致しました。

(そして、かのじょが、うとうとと、いねむりをはじめるようなばあいには、)

そして、彼女が、うとうとと、居眠りを始める様な場合には、

(わたしは、ごくごくゆうに、ひざをゆすって、)

私は、極く極く幽に、膝をゆすって、

(ようらんのやくめをつとめたことでございます。)

揺籃の役目を勤めたことでございます。

(そのこころやりがむくいられたのか、)

その心遣りが報いられたのか、

(それとも、たんにわたしのきのまよいか、)

それとも、単に私の気の迷いか、

(ちかごろでは、ふじんは、なんとなくわたしのいすをあいしているようにおもわれます。)

近頃では、夫人は、何となく私の椅子を愛している様に思われます。

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