太宰治 鬱屈禍
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問題文
(このしんぶん(ていだいしんぶん)のへんしゅうしゃは、)
この新聞(帝大新聞)の編輯者は、
(わたしのしょうせつが、いつもしっぱいさくばかりで)
私の小説が、いつも失敗作ばかりで
(のびきっていないのをそうめいにもみてとったのにちがいない。)
伸び切っていないのを聡明にも見てとったのに違いない。
(そうして、この、いじけた、りゅうこうしないあくさっかにどうじょうをよせ、)
そうして、この、いじけた、流行しない悪作家に同情を寄せ、
(「ぶんがくのてき、といったらおおげさおおげさだが、さいきんのぶんがくについて、)
「文学の敵、と言ったら大袈裟おおげさだが、最近の文学に就いて、
(それをどくするとおもわれるもの、まあ、そういったようなもの」)
それを毒すると思われるもの、まあ、そういったようなもの」
(をかいてみなさいといってきたのである。)
を書いてみなさいと言って来たのである。
(へんしゅうしゃのどうじょうにむくいるためにもわたしは、)
編輯者の同情に報いる為にも私は、
(おもうところをしょうじきにのべなければならない。)
思うところを正直に述べなければならない。
(こういうことばがある。)
こういう言葉がある。
(「わたしは、わたしのきゅうてききゅうてきを、ひしとほうよういたします。)
「私は、私の仇敵きゅうてきを、ひしと抱擁いたします。
(いきのねをとめてころしてやろうしたごころ。」)
息の根を止めて殺してやろう下心。」
(これは、ゆうめいのしくなんだそうだが、だれのしくやら、)
これは、有名の詩句なんだそうだが、誰の詩句やら、
(せんがくのわたしには、わからぬ。)
浅学の私には、わからぬ。
(どうせふらちふらちな、あくぶんがくしゃのつくったしくにちがいない。)
どうせ不埒ふらちな、悪文学者の創った詩句にちがいない。
(じいどがそれをいんようしている。)
ジイドがそれを引用している。
(じいどもそうとうにあくごうのふかいおとこのようである。)
ジイドも相当に悪業の深い男のようである。
(いつまでたっても、なまぐさぼうずだ。)
いつまで経っても、なまぐさ坊主だ。
(じいどは、そのしくにつづけて、かれのいけんをふかしている。)
ジイドは、その詩句に続けて、彼の意見を附加している。
(すなわち、「げいじゅつはつねにいちのこうそくのけっかであります。)
すなわち、「芸術は常に一の拘束の結果であります。
(げいじゅつがじゆうであれば、それだけたかくしょうとうするとしんずることは、)
芸術が自由であれば、それだけ高く昇騰すると信ずることは、
(たこたこのあがるのをはばむのは、そのいとだとしんずることであります。)
凧たこのあがるのを阻むのは、その糸だと信ずることであります。
(かんとのはとは、じぶんのつばさをそくばくするこれこのくうきがなかったならば、)
カントの鳩は、自分の翼を束縛する此この空気が無かったならば、
(もっとよくとべるだろうとおもうのですが、)
もっとよく飛べるだろうと思うのですが、
(これは、じぶんがとぶためには、)
これは、自分が飛ぶためには、
(つばさのおもさをたくたくしえるこのくうきのていこうがひつようだということをしきしらぬのです。)
翼の重さを托たくし得る此の空気の抵抗が必要だということを識しらぬのです。
(どうようにして、げいじゅつがじょうしょうせんがためには、)
同様にして、芸術が上昇せんが為には、
(やはりあるていこうのおかげかげにたよることができなければなりません。」)
矢張り或る抵抗のお蔭かげに頼ることが出来なければなりません。」
(なんだか、こどもだましみたいなろんぽうで、すこしけつろんがはやすぎ、)
なんだか、子供だましみたいな論法で、少し結論が早過ぎ、
(おしつけがましくなったようだ。)
押しつけがましくなったようだ。
(けれども、もすこしがまんしてかれのおはなしにみみをかたむけてみよう。)
けれども、も少し我慢して彼のお話に耳を傾けてみよう。
(じいどのげいじゅつひょうろんは、いいのだよ。)
ジイドの芸術評論は、いいのだよ。
(やはりせかいゆうすうであるとわたしはおもっている。)
やはり世界有数であると私は思っている。
(しょうせつは、すこしへただね。)
小説は、少し下手だね。
(いあまって、げんひびかずだ。かれは、つづけていう。)
意あまって、絃響かずだ。彼は、続けて言う。
(「だいげいじゅつかとは、そくばくにこぶされ、)
「大芸術家とは、束縛に鼓舞され、
(しょうがいがふみきりだいとなるものであります。)
障害が踏切台となる者であります。
(つたえるところでは、みけらんじぇろがもおぜのきゅうくつなすがたをかんがえだしたのは、)
伝える所では、ミケランジェロがモオゼの窮屈な姿を考え出したのは、
(だいりせきがふそくしたおかげだといいます。)
大理石が不足したお蔭だと言います。
(あいすきゅろすは、ぶたいじょうでどうじにもちいえるこえのかずがかぎられていることによりて、)
アイスキュロスは、舞台上で同時に用い得る声の数が限られている事に依て、
(そこでやむなく、こおかさすにくさりつなぐぷろめといすのちんもくをはつめいしたのです。)
そこで止むなく、コオカサスに鎖つなぐプロメトイスの沈黙を発明したのです。
(ぎりしゃはことにげんをいっぽんづけくわえたものをついほうしました。)
ギリシャは琴に絃を一本附け加えた者を追放しました。
(げいじゅつはこうそくよりうまれ、とうそうにいき、じゆうにしぬのであります。」)
芸術は拘束より生れ、闘争に生き、自由に死ぬのであります。」
(なかなかじしんありげに、たんじゅんにだんげんしている。)
なかなか自信ありげに、単純に断言している。
(しんじなければなるまい。)
信じなければなるまい。
(わたしのとなりのいえでは、あさからよなかまで、らじおをかけっぱなしで、)
私の隣の家では、朝から夜中まで、ラジオをかけっぱなしで、
(はなはだ、うるさく、わたしは、じぶんのしょうせつのふできを、)
甚だ、うるさく、私は、自分の小説の不出来を、
(そのせいだとおもっていたのだが、それはまちがいで、)
そのせいだと思っていたのだが、それは間違いで、
(このそうおんのしょうがいをこそ)
此の騒音の障害をこそ
(わたしのげいじゅつのめいよあるふみきりだいとしなければならなかったのである。)
私の芸術の名誉ある踏切台としなければならなかったのである。
(らじおのそうおんはけっしてぶんがくをどくするものではなかったのである。)
ラジオの騒音は決して文学を毒するものでは無かったのである。
(あれ、これとぶんがくのてきをそうていしてみるのだが、かんがえてみると、)
あれ、これと文学の敵を想定してみるのだが、考えてみると、
(すべてそれは、げいじゅつをうみ、せいちょうさせ、しょうかさせるありがたいぼたいであった。)
すべてそれは、芸術を生み、成長させ、昇華させる有難い母体であった。
(やりきれないはなしである。)
やり切れない話である。
(なんのふへいもいえなくなった。)
なんの不平も言えなくなった。
(わたしはまずしいあくさっかであるが、)
私は貧しい悪作家であるが、
(けれども、やはりだいいっとうどのみちをあるきたい。)
けれども、やはり第一等の道を歩きたい。
(つねにだいげいじゅつかのこころがまえを、まねでもいいから、もっていたい。)
つねに大芸術家の心構えを、真似でもいいから、持っていたい。
(だいげいじゅつかとは、そくばくにこぶされ、)
大芸術家とは、束縛に鼓舞され、
(しょうがいをふみきりだいとするものであります、)
障害を踏切台とする者であります、
(とそふのじいどから、やさしくおしえさとされ、)
と祖父のジイドから、やさしく教えさとされ、
(わたしもきみもともに「いいこ」になりたくて、はい、)
私も君も共に「いい子」になりたくて、はい、
(などとしゅしょうげにしゅこううなずき、さてたちのぼってみたら、)
などと殊勝げに首肯うなずき、さて立ち上ってみたら、
(はなはだばかばかしいことになった。)
甚だばかばかしい事になった。
(じぶんをぶんなぐり、しばりつけるひと、ことごとくに、)
自分をぶん殴り、しばりつける人、ことごとくに、
(「いや、ありがたうございました。)
「いや、有難うございました。
(おかげでわたしのげいじゅつもこぶされました。」)
お蔭で私の芸術も鼓舞されました。」
(とおじぎをしてまわらなければならなくなった。)
とお辞儀をして廻らなければならなくなった。
(こまげたでかおをなぐられ、そのこまげたをにしきのふくろにおさめ、)
駒下駄で顔を殴られ、その駒下駄を錦の袋に収め、
(ちょうじゃくうやうやしくれいはいしてりっしんしゅっせしたとかいうこうだんをよせできいて、)
朝夕うやうやしく礼拝して立身出世したとかいう講談を寄席で聞いて、
(じつにばかばかしく、わらってしまったことがあったけれど、)
実にばかばかしく、笑ってしまったことがあったけれど、
(あれとあんまりちがわない。)
あれとあんまり違わない。
(だいげいじゅつかになるのもまた、つらいものである。)
大芸術家になるのもまた、つらいものである。
(などとちゃかしてしまえば、せっかくのじいどのことばも、)
などと茶化してしまえば、折角のジイドの言葉も、
(ぼろくそになってしまうが、じいどのことばはけっかろんである。)
ぼろくそになってしまうが、ジイドの言葉は結果論である。
(こうせい、ぼうかんしゃのことばである。)
後世、傍観者の言葉である。
(みけらんじぇろだって、そのとうじはだいりせきのふそくにひふんつうたんしたのだ。)
ミケランジェロだって、その当時は大理石の不足に悲憤痛嘆したのだ。
(ぶつぶつふへいをいいながらもおぜぞうのせいさくをやっていたのだ。)
ぶつぶつ不平を言いながらモオゼ像の制作をやっていたのだ。
(はからずもみけらんじぇろのてんさいが、)
はからずもミケランジェロの天才が、
(そのだいりせきのふそくをつぐなってあまりあるものだったので、せいこうしたのだ。)
その大理石の不足を償って余りあるものだったので、成功したのだ。
(いわんやわたしたちこさいは、ぶんなぐられてよろこんでいたのじゃ、)
いわんや私たち小才は、ぶん殴られて喜んでいたのじゃ、
(せいさくもなにもきえてなくなる。)
制作も何も消えて無くなる。
(ふへいはおおいにいうがいい。)
不平は大いに言うがいい。
(てきにはようしゃをしてはならぬ。)
敵には容赦をしてはならぬ。
(じいどもちゃんといっている。)
ジイドもちゃんと言っている。
(「とうそうにいき、」とぬからず、ちゃんといっている。)
「闘争に生き、」と抜からず、ちゃんと言っている。
(てきは?ああ、それはらじおじゃない!げんこうりょうじゃない。)
敵は? ああ、それはラジオじゃ無い! 原稿料じゃ無い。
(ひひょうかじゃない。)
批評家じゃ無い。
(ころうののたまいわく、「しんじゅうのてき、もっともおそるべし。」)
古老の曰いわく、「心中の敵、最も恐るべし。」
(わたしのしょうせつが、まだへたくそでのびきらぬのは、)
私の小説が、まだ下手くそで伸び切らぬのは、
(わたしのしんじゅうに、やっぱりにごったものがあるからだ。)
私の心中に、やっぱり濁ったものがあるからだ。