太宰治 葉桜と魔笛 (1)

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太宰治の短編です。1~4

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問題文

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(さくらがちって、このようにはざくらのころになれば、わたしは、きっとおもいだします。)

桜が散って、このように葉桜のころになれば、私は、きっと思い出します。

(と、そのろうふじんはものがたる。)

――と、その老夫人は物語る。

(いまからさんじゅうごねんまえ、ちちはそのころまだぞんめいちゅうでございまして、)

――いまから三十五年まえ、父はその頃まだ存命中でございまして、

(わたしのいっか、といいましても、はははそのしちねんまえわたしがじゅうさんのときに、)

私の一家、と言いましても、母はその七年まえ私が十三のときに、

(もうたかいなされて、)

もう他界なされて、

(あとは、ちちと、わたしといもうととさんにんきりのかていでございましたが、)

あとは、父と、私と妹と三人きりの家庭でございましたが、

(ちちは、わたしじゅうはち、いもうとじゅうろくのときに)

父は、私十八、妹十六のときに

(しまねけんのにほんかいにそったじんこうにまあまりのあるおじょうかまちに)

島根県の日本海に沿った人口二万余りの或るお城下まちに

(ちゅうがっこうちょうとしてふにんしてきて、かっこうのしゃくやもなかったので、)

中学校長として赴任して来て、恰好の借家もなかったので、

(まちはずれの、もうすぐやまにちかいところに)

町はずれの、もうすぐ山に近いところに

(ひとつはなれてぽつんとたってあるおてらの、)

一つ離れてぽつんと建って在るお寺の、

(はなれざしき、ふたへやはいしゃくして、)

離れ座敷、二部屋拝借して、

(そこに、ずっと、ろくねんめにまつえのちゅうがっこうにてんにんになるまで、すんでいました。)

そこに、ずっと、六年目に松江の中学校に転任になるまで、住んでいました。

(わたしがけっこんいたしましたのは、)

私が結婚致しましたのは、

(まつえにきてからのことで、にじゅうしのあきでございますから、)

松江に来てからのことで、二十四の秋でございますから、

(とうじとしてはずいぶんおそいけっこんでございました。)

当時としてはずいぶん遅い結婚でございました。

(はやくからははにしなれ、ちちはがんこいってつのがくしゃきしつで、)

早くから母に死なれ、父は頑固一徹の学者気質で、

(せぞくのことには、とんと、うとく、)

世俗のことには、とんと、うとく、

(わたしがいなくなれば、いっかのきりまわしが、)

私がいなくなれば、一家の切りまわしが、

(まるでだめになることが、わかっていましたので、)

まるで駄目になることが、わかっていましたので、

など

(わたしも、それまでにいくらもはなしがあったのでございますが、)

私も、それまでにいくらも話があったのでございますが、

(いえをすててまで、よそへおよめにいくきがおこらなかったのでございます。)

家を捨ててまで、よそへお嫁に行く気が起らなかったのでございます。

(せめて、いもうとさえじょうぶでございましたならば、)

せめて、妹さえ丈夫でございましたならば、

(わたしも、すこしきらくだったのですけれども、)

私も、少し気楽だったのですけれども、

(いもうとは、わたしににないで、たいへんうつくしく、)

妹は、私に似ないで、たいへん美しく、

(かみもながく、とてもよくできる、かわいいこでございましたが、)

髪も長く、とてもよくできる、可愛い子でございましたが、

(からだがよわく、そのじょうかまちへふにんして、)

からだが弱く、その城下まちへ赴任して、

(にねんめのはる、わたしはたち、いもうとじゅうはちで、いもうとは、しにました。)

二年目の春、私二十、妹十八で、妹は、死にました。

(そのころの、これは、おはなしでございます。)

そのころの、これは、お話でございます。

(いもうとは、もう、よほどまえから、いけなかったのでございます。)

妹は、もう、よほどまえから、いけなかったのでございます。

(じんぞうけっかくという、わるいびょうきでございまして、)

腎臓結核という、わるい病気でございまして、

(きのついたときには、りょうほうのじんぞうが、)

気のついたときには、両方の腎臓が、

(もうむしくわれてしまっていたのだそうで、)

もう虫食われてしまっていたのだそうで、

(いしゃも、ひゃくにちいない、とはっきりちちにいいました。)

医者も、百日以内、とはっきり父に言いました。

(どうにも、てのほどこしようがないのだそうでございます。)

どうにも、手のほどこし様が無いのだそうでございます。

(ひとつきたち、ふたつきたって、)

ひとつき経ち、ふたつき経って、

(そろそろひゃくにちめがちかくなってきても、)

そろそろ百日目がちかくなって来ても、

(わたしたちはだまってみていなければいけません。)

私たちはだまって見ていなければいけません。

(いもうとは、なにもしらず、わりにげんきで、)

妹は、何も知らず、割に元気で、

(しゅうじつねどこにねたきりなのでございますが、)

終日寝床に寝たきりなのでございますが、

(それでも、ようきにうたをうたったり、じょうだんいったり、)

それでも、陽気に歌をうたったり、冗談言ったり、

(わたしにあまえたり、これがもうさん、よんじゅうにちたつと、)

私に甘えたり、これがもう三、四十日経つと、

(しんでゆくのだ、はっきり、それにきまっているのだ、とおもうと、)

死んでゆくのだ、はっきり、それにきまっているのだ、と思うと、

(むねがいっぱいになり、そうしんをぬいばりでつきさされるようにくるしく、)

胸が一ぱいになり、総身を縫針で突き刺されるように苦しく、

(わたしは、きがくるうようになってしまいます。)

私は、気が狂うようになってしまいます。

(さんがつ、しがつ、ごがつ、そうです。)

三月、四月、五月、そうです。

(ごがつのなかば、わたしは、あのひをわすれません。)

五月のなかば、私は、あの日を忘れません。

(のもやまもしんりょくで、はだかになってしまいたいほどあたたかく、)

野も山も新緑で、はだかになってしまいたいほど温く、

(わたしには、しんりょくがまぶしく、めにちかちかいたくって、)

私には、新緑がまぶしく、眼にちかちか痛くって、

(ひとり、いろいろかんがえごとをしながらおびのあいだにかたてをそっとさしいれ、)

ひとり、いろいろ考えごとをしながら帯の間に片手をそっと差しいれ、

(うなだれてのみちをあるき、かんがえること、かんがえること、)

うなだれて野道を歩き、考えること、考えること、

(みんなくるしいことばかりでいきができなくなるくらい、)

みんな苦しいことばかりで息ができなくなるくらい、

(わたしは、みもだえしながらあるきました。)

私は、身悶えしながら歩きました。

(どおん、どおん、とはるのつちのそこのそこから、)

どおん、どおん、と春の土の底の底から、

(まるでじゅうまんおくどからひびいてくるように、かすかすかな、)

まるで十万億土から響いて来るように、幽かすかな、

(けれども、おそろしくはばのひろい、)

けれども、おそろしく幅のひろい、

(まるでじごくのそこでおおきなおおきなたいこでもうちならしているような、)

まるで地獄の底で大きな大きな太鼓でも打ち鳴らしているような、

(おどろおどろしたものおとが、たえまなくひびいてきて、)

おどろおどろした物音が、絶え間なく響いて来て、

(わたしには、そのおそろしいものおとが、なんであるか、わからず、)

私には、その恐しい物音が、なんであるか、わからず、

(ほんとうにもうじぶんがくるってしまったのではないか、とおもい、)

ほんとうにもう自分が狂ってしまったのではないか、と思い、

(そのまま、からだがぎょうけつしてたちすくみ、とつぜんわあっ!)

そのまま、からだが凝結して立ちすくみ、突然わあっ!

(とおおごえがでて、たっていられずぺたんとそうげんにすわって、)

と大声が出て、立って居られずぺたんと草原に坐って、

(おもいきってないてしまいました。)

思い切って泣いてしまいました。

(あとでしったことでございますが、)

あとで知ったことでございますが、

(あのおそれしいふしぎなものおとは、にほんかいだいかいせん、)

あの恐しい不思議な物音は、日本海大海戦、

(ぐんかんのたいほうのおとだったのでございます。)

軍艦の大砲の音だったのでございます。

(とうごうていとくのめいれいいっかで、ろこくのばるちっくかんたいをいっきょにげきめつなさるための、)

東郷提督の命令一下で、露国のバルチック艦隊を一挙に撃滅なさるための、

(だいげきせんのさいちゅうだったのでございます。)

大激戦の最中だったのでございます。

(ちょうど、そのころでございますものね。)

ちょうど、そのころでございますものね。

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