太宰治 葉桜と魔笛 (4)

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1 A.N 6508 S+ 6.7 97.0% 189.6 1272 38 29 2024/12/15

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(そのとき、ああ、きこえるのです。)

そのとき、ああ、聞えるのです。

(ひくくかすかすかに、でも、たしかに、ぐんかんまあちのくちぶえでございます。)

低く幽かすかに、でも、たしかに、軍艦マアチの口笛でございます。

(いもうとも、みみをすましました。)

妹も、耳をすましました。

(ああ、とけいをみるとろくじなのです。)

ああ、時計を見ると六時なのです。

(わたしたち、いいしれぬきょうふに、つよくつよくだきあったまま、)

私たち、言い知れぬ恐怖に、強く強く抱き合ったまま、

(みじろぎもせず、そのおにわのはざくらのおくから)

身じろぎもせず、そのお庭の葉桜の奥から

(きこえてくるふしぎなまあちにみみをすましておりました。)

聞えて来る不思議なマアチに耳をすまして居りました。

(かみさまは、ある。きっと、いる。)

神さまは、在る。きっと、いる。

(わたしは、それをしんじました。いもうと)

私は、それを信じました。妹

(は、それからみっかめにしにました。)

は、それから三日目に死にました。

(いしゃは、くびをかしげておりました。)

医者は、首をかしげておりました。

(あまりにしずかに、はやくいきをひきとったからでございましょう。)

あまりに静かに、早く息をひきとったからでございましょう。

(けれども、わたしは、そのときおどろかなかった。)

けれども、私は、そのとき驚かなかった。

(なにもかもかみさまの、おぼしめしとしんじていました。)

何もかも神さまの、おぼしめしと信じていました。

(いまは、としとって、もろもろのぶつよくがでてきて、)

いまは、――年とって、もろもろの物慾が出て来て、

(おはずかしゅうございます。)

お恥かしゅうございます。

(しんこうとやらもすこしうすらいでまいったのでございましょうか、)

信仰とやらも少し薄らいでまいったのでございましょうか、

(あのくちぶえも、ひょっとしたら、ちちのしわざではなかったろうかと、)

あの口笛も、ひょっとしたら、父の仕業ではなかったろうかと、

(なんだかそんなうたがいをもつこともございます。)

なんだかそんな疑いを持つこともございます。

(がっこうのおつとめからおかえりになって、となりのおへやで、)

学校のおつとめからお帰りになって、隣りのお部屋で、

など

(わたしたちのはなしをたちぎきして、ふびんにおもい、)

私たちの話を立聞きして、ふびんに思い、

(げんこくのちちとしてはいっせいちだいのきょうげんしたのではなかろうか、)

厳酷の父としては一世一代の狂言したのではなかろうか、

(とおもうことも、ございますが、まさか、そんなこともないでしょうね。)

と思うことも、ございますが、まさか、そんなこともないでしょうね。

(ちちがざいせいちゅうなれば、といただすこともできるのですが、)

父が在世中なれば、問いただすこともできるのですが、

(ちちがなくなって、もう、かれこれじゅうごねんにもなりますものね。)

父がなくなって、もう、かれこれ十五年にもなりますものね。

(いや、やっぱりかみさまのおめぐみでございましょう。)

いや、やっぱり神さまのお恵みでございましょう。

(わたしは、そうしんじてあんしんしておりたいのでございますけれども、)

私は、そう信じて安心しておりたいのでございますけれども、

(どうも、としとってくると、ぶつよくがおこり、)

どうも、年とって来ると、物慾が起り、

(しんこうもうすらいでまいって、いけないとぞんじます。)

信仰も薄らいでまいって、いけないと存じます。

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