道徳経(老子)第五十二章

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(だいごじゅうにしょう)

第五十二章

(せかいにははじめがある。)

世界には始めがある。

(それはせかいのははとよばれる。)

それは世界の母と呼ばれる。

(そのみなもとをしったものは、そのあらわれをしる。)

その源を知ったものは、その表れを知る。

(そのあらわれをしり、そのみなもととともにとどまるとき、)

その表れを知り、その源とともにとどまるとき、

(じんせいでふそくすることはない。)

人生で不足することはない。

(ことばによるひょうげんをやめ、かんかくへのみちをふさぐならば、)

言葉による表現をやめ、感覚への道をふさぐならば、

(いっしょうくたびれることはない。)

一生くたびれることはない。

(これにたいして、ことばがみちあふれ、)

これに対して、言葉が満ちあふれ、

(わずらわしさがますならば、)

わずらわしさが増すならば、

(いっしょうすくわれないだろう。)

一生救われないだろう。

(みえないものをみるのがかくせいであり、)

見えないものを見るのが覚醒であり、

(やわらかさをほじするのがつよさである。)

柔らかさを保持するのが強さである。

(うちなるひかりによってかくせいにかえれ。)

内なる光りによって覚醒にかえれ。

(そうすれば、ふこうにならない。)

そうすれば、不幸にならない。

(これはしんじつにしたがったくらしとよばれる。)

これは真実に従った暮らしと呼ばれる。

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