人間失格【太宰治】23
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しかし~入水しました。まで
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問題文
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(しかしじたいはじつにおもいがけなくもっとわるくてんかいせられました)
しかし、事態は、実に思いがけなく、もっと悪く展開せられました。
(やめたとほりきはくちをゆがめていいさすがのおれも)
「やめた!」と堀木は、口をゆがめて言い、「さすがのおれも、
(こんなびんぼうくさいおんなにはへいこうしきったように)
こんな貧乏くさい女には、……」閉口し切ったように、
(うでぐみしてつねこをじろじろながめくしょうするのでしたおさけをおかねはない)
腕組みしてツネ子をじろじろ眺め、苦笑するのでした。「お酒を。お金は無い」
(じぶんはこごえでつねこにいいましたそれこそ)
自分は、小声でツネ子に言いました。それこそ、
(あびるほどのんでみたいきもちでしたいわゆるぞくぶつのめからみると)
浴びるほど飲んでみたい気持でした。所謂俗物の眼から見ると、
(つねこはすいかんのきすにもあたいしないただみすぼらしい)
ツネ子は酔漢のキスにも価いしない、ただ、みすぼらしい、
(びんぼうくさいおんなだったのでしたあんがいともいがいとも)
貧乏くさい女だったのでした。案外とも、意外とも、
(じぶんにはへきれきにうちくだかれたおもいでしたじぶんはこれまでれいのなかったほど)
自分には霹靂に撃ちくだかれた思いでした。自分は、これまで例の無かったほど
(いくらでもいくらでもおさけをのみぐらぐらよってつねことかおをみあわせ)
いくらでも、いくらでも、お酒を飲み、ぐらぐら酔って、ツネ子と顔を見合せ、
(かなしくほほえみあいいかにもそういわれてみると)
哀しく微笑み合い、いかにもそう言われてみると、
(こいつはへんにつかれてびんぼうくさいだけのおんなだなとおもうとどうじに)
こいつはへんに疲れて貧乏くさいだけの女だな、と思うと同時に、
(かねのないものどうしのしんわひんぷのふわはちんぷのようでも)
金の無い者どうしの親和(貧富の不和は、陳腐のようでも、
(やはりどらまのえいえんのてーまのひとつだとじぶんはいまでもおもっていますが)
やはりドラマの永遠のテーマの一つだと自分は今でも思っていますが)
(そいつがそのしんわかんがむねにこみあげてきてつねこがいとしく)
そいつが、その親和感が、胸に込み上げて来て、ツネ子がいとしく、
(うまれてこのときはじめてわれからせっきょくてきに)
生れてこの時はじめて、われから積極的に、
(びじゃくながらこいのこころのうごくのをじかくしましたはきましたぜんごふかくになりました)
微弱ながら恋の心の動くのを自覚しました。吐きました。前後不覚になりました
(おさけをのんでこんなにわれをうしなうほどよったのもそのときがはじめてでした)
お酒を飲んで、こんなに我を失うほど酔ったのも、その時がはじめてでした。
(めがさめたらまくらもとにつねこがすわっていました)
眼が覚めたら、枕もとにツネ子が坐っていました。
(ほんじょのだいくさんのにかいのへやにねていたのでしたかねのきれめがえんのきれめ)
本所の大工さんの二階の部屋に寝ていたのでした。「金の切れめが縁の切れめ、
など
(なんておっしゃってじょうだんかとおもうていたらほんきかきてくれないんだもの)
なんておっしゃって、冗談かと思うていたら、本気か。来てくれないんだもの。
(ややこしいきれめやなうちがかせいであげてもだめかだめ)
ややこしい切れめやな。うちが、かせいであげても、だめか」「だめ」
(それからおんなもやすんでよあけがたおんなのくちから)
それから、女も休んで、夜明けがた、女の口から
(しということばがはじめてでて)
「死」という言葉がはじめて出て、
(おんなもにんげんとしてのいとなみにつかれきっていたようでしたしまたじぶんも)
女も人間としての営みに疲れ切っていたようでしたし、また、自分も、
(よのなかへのきょうふわずらわしさかねれいのうんどうおんながくぎょうかんがえると)
世の中への恐怖、わずらわしさ、金、れいの運動、女、学業、考えると、
(とてもこのうえこらえていきていけそうもなく)
とてもこの上こらえて生きて行けそうもなく、
(そのひとのていあんにきがるにどういしました)
そのひとの提案に気軽に同意しました。
(けれどもそのときにはまだじっかんとしてのしのうというかくごは)
けれども、その時にはまだ、実感としての「死のう」という覚悟は、
(できていなかったのですどこかにあそびがひそんでいました)
出来ていなかったのです。どこかに「遊び」がひそんでいました。
(そのひのごぜんふたりはあさくさのろっくをさまよっていましたきっさてんにはいり)
その日の午前、二人は浅草の六区をさまよっていました。喫茶店にはいり、
(ぎゅうにゅうをのみましたあなたはらうておいてじぶんはたって)
牛乳を飲みました。「あなた、払うて置いて」自分は立って、
(たもとからがまぐちをだしひらくとどうせんがさんまいしゅうちよりもせいさんのおもいにおそわれ)
袂からがま口を出し、ひらくと、銅銭が三枚、羞恥よりも凄惨の思いに襲われ、
(たちまちのうりにうかぶものはせんゆうかんのじぶんのへや)
たちまち脳裡に浮かぶものは、仙遊館の自分の部屋、
(せいふくとふとんだけがのこされてあるきりであとはもう)
制服と蒲団だけが残されてあるきりで、あとはもう、
(しちぐさになりそうなもののひとつもないこうりょうたるへや)
質草になりそうなものの一つも無い荒涼たる部屋、
(ほかにはじぶんのいまきてあるいているかすりのきものとまんとこれがじぶんのげんじつなのだ)
他には自分のいま着て歩いている絣の着物と、マント、これが自分の現実なのだ
(いきていけないとはっきりおもいしりましたじぶんがまごついているので)
生きて行けない、とはっきり思い知りました。自分がまごついているので、
(おんなもたってじぶんのがまぐちをのぞいてあらたったそれだけ)
女も立って、自分のがま口をのぞいて、「あら、たったそれだけ?」
(むしんのこえでしたがこれがまたじんとほねみにこたえるほどにいたかったのです)
無心の声でしたが、これがまた、じんと骨身にこたえるほどに痛かったのです。
(はじめてじぶんがこいしたひとのこえだけにいたかったのですそれだけも)
はじめて自分が、恋したひとの声だけに、痛かったのです。それだけも、
(これだけもないどうせんさんまいはどだいおかねでありませんそれは)
これだけもない、銅銭三枚は、どだいお金でありません。それは、
(じぶんがいまだかつてあじわったことのないきみょうなくつじょくでした)
自分が未だかつて味わった事の無い奇妙な屈辱でした。
(とてもいきておられないくつじょくでしたしょせんそのころのじぶんは)
とても生きておられない屈辱でした。所詮その頃の自分は、
(まだおかねもちのぼっちゃんというしゅぞくからだっしきれていなかったのでしょう)
まだお金持ちの坊ちゃんという種属から脱し切れていなかったのでしょう。
(そのときじぶんはみずからすすんでもしのうとじっかんとしてけついしたのです)
その時、自分は、みずからすすんでも死のうと、実感として決意したのです。
(そのよるじぶんたちはかまくらのうみにとびこみましたおんなは)
その夜、自分たちは、鎌倉の海に飛び込みました。女は、
(このおびはおみせのおともだちからかりてるおびやからといっておびをほどき)
この帯はお店のお友達から借りてる帯やから、と言って、帯をほどき、
(たたんでいわのうえにおきじぶんもまんとをぬぎおなじところにおいて)
畳んで岩の上に置き、自分もマントを脱ぎ、同じ所に置いて、
(いっしょにじゅすいしました)
一緒に入水しました。