江戸川乱歩:人間椅子1
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問題文
(よしこは、まいあさ、おっとのとうちょうをみおくってしまうと、)
佳子は、毎朝、夫の登庁を見送って了うと、
(それはいつもじゅうじをすぎるのだが、)
それはいつも十時を過ぎるのだが、
(やっとじぶんのからだになって、)
やっと自分のからだになって、
(ようかんのほうの、おっとときょうようのしょさいへ、)
洋館の方の、夫と共用の書斎へ、
(とじこもるのがれいになっていた。)
とじ籠るのが例になっていた。
(そこで、かのじょはいま、kざっしのこのなつのぞうだいごうへのせるための、)
そこで、彼女は今、K雑誌のこの夏の増大号へのせる為の、
(ながいそうさくにとりかかっているのだった。)
長い創作にとりかかっているのだった。
(うつくしいけいしゅうさっかとしてのかのじょは、このごろでは、)
美しい閨秀作家としての彼女は、此の頃では、
(がいむしょうしょきかんであるふくんのかげをうすくおもわせるほども、)
外務省書記官である夫君の影を薄く思わせる程も、
(ゆうめいになっていた。)
有名になっていた。
(かのじょのところへは、まいにちのようにみちのすうはいしゃたちからのてがみが、)
彼女の所へは、毎日の様に未知の崇拝者達からの手紙が、
(いくつうとなくやってきた。)
幾通となくやって来た。
(けさとても、かのじょは、しょさいのつくえのまえにすわると、)
今朝とても、彼女は、書斎の机の前に座ると、
(しごとにとりかかるまえに、)
仕事にとりかかる前に、
(まず、それらのみちのひとびとからのてがみに、)
先ず、それらの未知の人々からの手紙に、
(めをとおさねばならなかった。)
目を通さねばならなかった。
(それはいずれも、きまりきったように、)
それは何れも、極まり切った様に、
(つまらぬもんくのものばかりであったが、)
つまらぬ文句のものばかりであったが、
(かのじょは、おんなのやさしいこころづかいから、どのようなてがみであろうとも、)
彼女は、女の優しい心遣いから、どの様な手紙であろうとも、
(じぶんにあてられたものは、ともかくも、)
自分に宛てられたものは、兎も角も、
(ひととおりはよんでみることにしていた。)
一通りは読んで見ることにしていた。
(かんたんなものからさきにして、につうのふうしょと、)
簡単なものから先にして、二通の封書と、
(いちようのはがきをみてしまうと、)
一葉のはがきを見て了うと、
(あとにはかさだかいげんこうらしいいっつうがのこった。)
あとにはかさ高い原稿らしい一通が残った。
(べつだんつうちのてがみはもらっていないけれど、)
別段通知の手紙は貰っていないけれど、
(そうして、とつぜんげんこうをおくってくるれいは、)
そうして、突然原稿を送ってくる例は、
(これまでにしても、よくあることだった。)
これまでにしても、よくあることだった。
(それは、おおくのばあい、)
それは、多くの場合、
(ながながしくたいくつきわまるしろものであったけれど、)
長々しく退屈極る代物であったけれど、
(かのじょはともかくも、ひょうじょうだけでもみておこうと、)
彼女は兎も角も、表情丈でも見て置こうと、
(ふうをきって、なかのかみたばをとりだしてみた。)
封を切って、中の紙束を取出して見た。
(それは、おもったとおり、げんこうようしをとじたものであった。)
それは、思った通り、原稿用紙を綴じたものであった。
(が、どうしたことか、ひょうだいもしょめいもなく、)
が、どうしたことか、表題も署名もなく、
(とつぜん「おくさま」という、よびかけのことばではじまっているのだった。)
突然「奥様」という、呼びかけの言葉で始まっているのだった。
(はてな、では、やっぱりてがみなのかしら、)
ハテナ、では、やっぱり手紙なのかしら、
(そうおもって、なにげなくにぎょうさんぎょうとめをはしらせていくうちに、)
そう思って、何気なく二行三行と目を走らせて行く内に、
(かのじょは、そこから、なんとなくいじょうな、)
彼女は、そこから、何となく異常な、
(みょうにきみわるいものをよかんした。)
妙に気味悪いものを予感した。
(そして、もちまえのこうきしんが、かのじょをして、)
そして、持前の好奇心が、彼女をして、
(ぐんぐん、さきをよませていくのであった。)
ぐんぐん、先を読ませて行くのであった。