道徳経(老子)第十三章

関連タイピング
-
禅語(毎回ランダム出題)
プレイ回数209かな807打 -
プレイ回数4長文かな481打
-
プレイ回数2長文かな593打
-
プレイ回数2長文かな348打
-
プレイ回数4長文かな927打
-
プレイ回数4長文かな473打
-
プレイ回数3長文かな887打
-
プレイ回数3長文かな575打
問題文
ふりがな非表示
ふりがな表示
(だいじゅうさんしょう)
第十三章
(めいよとふめいよはわれわれをこうふんさせる。)
名誉と不名誉は我々を興奮させる。
(つまり、われわれはくるしみをじこにもつからである。)
つまり、我々は苦しみを自己にもつからである。
(めいよとふめいよがこうふんさせるとはどうゆうことか。)
名誉と不名誉が興奮させるとはどうゆうことか。
(めいよはわれわれをうえのほうへひきあげ、ふめいよはしたのほうへさげる。)
名誉は我々を上の方へ引き上げ、不名誉は下の方へ下げる。
(このように、めいよあるときにはこうふんし、ふめいよのときにもまたこうふんする。)
このように、名誉あるときには興奮し、不名誉のときにもまた興奮する。
(それが、めいよとふめいよがこうふんさせる、といわれるゆえんである。)
それが、名誉と不名誉が興奮させる、といわれる所以である。
(おおきなくるしみをじこにもつとはどういうことか。)
大きな苦しみを自己にもつとはどういうことか。
(おおきなくるしみをもつりゆうはただじこをゆうすることによる。)
大きな苦しみをもつ理由はただ自己を有することによる。
(じこをゆうしなければ、どこにくるしみがあろうか。)
自己を有しなければ、どこに苦しみがあろうか。
(じことせかいとをどういつにすれば、そのとき、じこのなかにせかいはある。)
自己と世界とを同一にすれば、そのとき、自己の中に世界はある。
(じこをあいするようにせかいをあいするならば、そのとき、じこのなかにせかいはある。)
自己を愛するように世界を愛するならば、そのとき、自己の中に世界はある。