契りきぬ 山本周五郎 ⑰

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プレイ回数1211難易度(4.4) 2806打 長文
不遇を脱する一心で、ある侍を口説く賭けにのる花街の女の話。

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問題文

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(さるやまへついて「むろい」というそのやどをみつけるまでは、)

猿山へ着いて『むろい』というその宿をみつけるまでは、

(ふあんであんたんとしたきもちだった。)

不安で暗澹とした気持だった。

(しかしそのやどのふるいかんばんをみたとき)

しかしその宿の古い看板を見たとき

(おてつのはなしのなかでたしかにきいたやごうだとおもい、)

おてつの話のなかでたしかに聞いた屋号だと思い、

(まよわずにだいどころぐちへはいっていった、ちょうどこうようのさかりのきせつで、)

迷わずに台所口へはいっていった、ちょうど紅葉のさかりの季節で、

(ひとでのほしいときだったのもしあわせだった。)

人手の欲しいときだったのも仕合せだった。

(おかみさんにあいたいというとすぐあげてくれ、)

おかみさんに会いたいというとすぐあげてくれ、

(そこでおなつはなにもかもうちあけてかたった。)

そこでおなつはなにもかもうちあけて語った。

(おてつのおばにあたるというそのひとは、いろのしろいこえたからだつきで、)

おてつの叔母に当るというその人は、色の白い肥えた体つきで、

(もうごじゅうをこしているというのに、ななつやつもわかくみえた。)

もう五十を越しているというのに、七つ八つも若くみえた。

(ちつづきのせいかおてつににて、おおまかなきょうきはだなしょうぶんらしく、)

血つづきのせいかおてつに似て、おおまかな侠気はだな性分らしく、

(しかしさすがにおてつよりははるかにおちついた、)

しかしさすがにおてつよりは遙かにおちついた、

(おおきなやどのおかみらしいかんろくがあった。)

大きな宿のおかみらしい貫禄があった。

(「ああよくわかりました、ちょうどひとのほしいときでもあるし、)

「ああよくわかりました、ちょうど人の欲しいときでもあるし、

(よかったらいてもらいますよ」いねというそのおかみは)

よかったらいて貰いますよ」いねというそのおかみは

(それから、ちょっとかんがえるようなめをしていった。すぐしょうちしてくれた。)

それから、ちょっと考えるような眼をして云った。すぐ承知してくれた。

(「いまきいたはなしは、あたしはみんなこのばでわすれてしまいますよ、)

「いま聞いた話は、あたしはみんなこの場で忘れてしまいますよ、

(あなたもわすれておしまいなさい、うちとそうだんをして、)

あなたも忘れておしまいなさい、うちと相談をして、

(うちのひとのとおえんのものだというふうにでもしましょう」)

うちのひとの遠縁の者だというふうにでもしましょう」

(そうしてさらに、はなしのようすではきゃくのざしきに)

そうしてさらに、話のようすでは客の座敷に

など

(でないほうがよさそうだから、ないしょとだいどころのてつだいをしてもらおう、)

出ないほうがよさそうだから、内所と台所の手伝いをして貰おう、

(おてつがきてもかおのあわないようにしてやるから、)

おてつが来ても顔の合わないようにしてやるから、

(こういうことで、おもいもかけないこういをうけることになった。)

こういうことで、思いもかけない好意をうけることになった。

(あるじはもへいといってごじゅうごろくになるたくましいからだつきをしていたが、)

主人は茂平といって五十五六になる逞しい体つきをしていたが、

(おそろしくむくちな、あいそうのないひとだった。)

おそろしく無口な、あいそうのないひとだった。

(いちにちじゅうごふをてにひとりでごいしをならべたり、)

一日じゅう碁譜を手に独りで碁石を並べたり、

(ときにしゃくはちをふいたり、すぐまえのけいりゅうでさかなをつったりしている。)

ときに尺八を吹いたり、すぐ前の谿流で魚を釣ったりしている。

(やどのほうはつまにまかせたきりで、ちょうめんをみようともしなかった。)

宿のほうは妻に任せたきりで、帳面を見ようともしなかった。

(おなつはいちねんはんばかりこのいえにいたのであるが、そのあいだにかれとは)

おなつは一年半ばかりこの家にいたのであるが、そのあいだに彼とは

(にどかさんどしかくちをきいたことがなかったくらいである。)

二度か三度しか口をきいたことがなかったくらいである。

(そのとうじばはあさいがわのけいこくにそっていてさんじゅうすうけんあるいえの、)

その湯治場は浅井川の谿谷に沿っていて三十数軒ある家の、

(ほとんどきゅうわりまでがおんせんやどをしていた。)

殆ど九割までが温泉宿をしていた。

(「むろい」はそこのちゅうしんともいうべきいちにあり、)

『むろい』はそこの中心ともいうべき位置にあり、

(にひゃくねんとかつづいているようで、もとやとよぶにかいづくりのほうは、)

二百年とか続いているようで、本屋と呼ぶ二階造りのほうは、

(おおきなひろまをいれてへやがじゅうごもあり、)

大きな広間をいれて部屋が十五もあり、

(べつにへいけづくりのはなれとよぶたてものがふたむねあった。)

べつに平家造りの離れと呼ぶ建物が二棟あった。

(まえはみちをへだててたにがわがながれ、そのむこうはこうようでなだかいいわねやまが、)

前は道を隔てて谿川がながれ、その向うは紅葉で名だかい岩根山が、

(まゆにせまるかんじでそそりたっている。)

眉に迫る感じでそそり立っている。

(おなつはほかのじょちゅうたちとはべつに、)

おなつはほかの女中たちとはべつに、

(ないしょとおかみのいまとにはさまれたさんじょうのへやをあたえられたが、)

内所と主婦の居間とに挾まれた三畳の部屋を与えられたが、

(そこのしょうじをあけると、しょうめんにいわねやまがみえ、)

そこの障子をあけると、正面に岩根山が見え、

(けいりゅうのおとがたかくさわやかに、たえずそうそうときこえてきた。)

谿流の音が高く爽やかに、絶えず淙々と聞えてきた。

(こうようのさかりがすぎ、きゃくがめっきりすくなくなった。)

紅葉のさかりが過ぎ、客がめっきり少なくなった。

(おてつはことしはこないそうだ。どうやらていしゅのようなものができたらしい。)

おてつは今年は来ないそうだ。どうやら亭主のような者ができたらしい。

(そんなことをいねがいった。)

そんなことをいねが云った。

(それからついにさんにちしてのことであるが、いっしょにゆへはいったとき、)

それからつい二三日してのことであるが、いっしょに湯へはいったとき、

(いねがおなつのからだをみてちょっとくびをかしげるようにしながら)

いねがおなつの体を見てちょっと首をかしげるようにしながら

(「あんたあれじゃないの」こういって、またむなぢのあたりをみた。)

「あんたあれじゃないの」こう云って、また胸乳のあたりを見た。

(「おかしいわよ、ずっとじゅんちょうにあるの」おなつはどきっとした。)

「おかしいわよ、ずっと順調にあるの」 おなつはどきっとした。

(てぬぐいでむねをおおいながら、はずかしさとふあんのためにみをちぢめた。)

手拭で胸を掩いながら、恥かしさと不安のために身を縮めた。

(そしてとわれるままに、きたはらのいえをでてからずっとそれがなかったこと、)

そして問われるままに、北原の家を出てからずっとそれがなかったこと、

(じぶんではただたんじゅんなへんちょうだとおもっていたことをかたった。)

自分ではただ単純な変調だと思っていたことを語った。

(「それじゃたいていまちがいはないね、いちどみてもらうほうがいいわよ」)

「それじゃたいていまちがいはないね、いちどみて貰うほうがいいわよ」

(いねはこういったあとで、もしそうときまったらよくかんがえて、)

いねはこう云ったあとで、もしそうときまったらよく考えて、

(しまつするならはやいほうがよい、と、さりげないちょうしでいった。)

始末するなら早いほうがよい、と、さりげない調子で云った。

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