フランツ・カフカ 変身③
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問題文
(「もうしちじだ」と、めざましがあらたにうつのをきいて、かれはじぶんに)
「もう七時だ」と、目ざましが新たに打つのを聞いて、彼は自分に
(いいきかせた。「もうしちじだというのに、まだこんなきりだ」)
言い聞かせた。「もう七時だというのに、まだこんな霧だ」
(そして、かんぜんにしずかにしていればおそらくほんとうのあたりまえのじょうたいが)
そして、完全に静かにしていればおそらくほんとうのあたりまえの状態が
(もどってくるのではないかといわんばかりに、しばらくのあいだ、しずかに、)
もどってくるのではないかといわんばかりに、しばらくのあいだ、静かに、
(かすかないきづかいをしながら、よこたわっていた。)
微かな息づかいをしながら、横たわっていた。
(だが、やがてじぶんにいいきかせた。「しちじじゅうごふんをうつまえに、おれは)
だが、やがて自分に言い聞かせた。「七時十五分を打つ前に、おれは
(どうあってもべっどをかんぜんにはなれてしまっていなければならないぞ。)
どうあってもベッドを完全に離れてしまっていなければならないぞ。
(それにまた、それまでにはみせからおれのことをききにだれかが)
それにまた、それまでには店からおれのことを聞きにだれかが
(やってくるだろう。みせはしちじまえにあけられるんだから」そして、こんどは、)
やってくるだろう。店は七時前に開けられるんだから」そして、今度は、
(からだぜんたいをかんぜんにむらなくよこへゆすってべっどからでるどうさにとりかかった。)
身体全体を完全にむらなく横へゆすってベッドから出る動作に取りかかった。
(もしこんなふうにしてべっどからおちるならば、あたまはおちるときに)
もしこんなふうにしてベッドから落ちるならば、頭は落ちるときに
(ぐっとおこしておこうとおもうから、きずつかないですむみこみがある。)
ぐっと起こしておこうと思うから、傷つかないですむ見込みがある。
(せなかはかたいようだ。だから、じゅうたんのうえにおちたときに、せなかに)
背中は固いようだ。だから、絨毯の上に落ちたときに、背中に
(けがをすることはきっとないだろう。おちるときにたてるにちがいない)
けがをすることはきっとないだろう。落ちるときに立てるにちがいない
(おおきなものおとのことをかんがえると、それがいちばんきにかかった。そのおとは、)
大きな物音のことを考えると、それがいちばん気にかかった。その音は、
(どのどあのむこうでも、おどろきとまではいかないにしても、しんぱいを)
どのドアの向こうでも、驚きとまではいかないにしても、心配を
(ひきおこすことだろう。だが、おもいきってやらなければならないのだ。)
ひき起こすことだろう。だが、思いきってやらなければならないのだ。
(ぐれごーるがすでにはんぶんべっどからのりだしたときーーこのあたらしいやりかたは、)
グレゴールがすでに半分ベッドから乗り出したときーーこの新しいやりかたは、
(ほねのおれるしごとというよりもむしろあそびのようなもので、いつまでも)
骨の折れる仕事というよりもむしろ遊びのようなもので、いつまでも
(ただだんぞくてきにからだをゆすってさえいればよかったーー、じぶんをたすけに)
ただ断続的に身体をゆすってさえいればよかったーー、自分を助けに
(やってきてくれるものがいればばんじはどんなにかんたんにすむだろう、というかんがえが)
やってきてくれる者がいれば万事はどんなに簡単にすむだろう、という考えが
(ふとあたまにうかんだ。ちからのつよいものがふたりいればーーかれはちちおやとじょちゅうとのことを)
ふと頭に浮かんだ。力の強い者が二人いればーー彼は父親と女中とのことを
(かんがえたーーそれだけでかんぜんにじゅうぶんなのだ。そのふたりがただうでをかれの)
考えたーーそれだけで完全に十分なのだ。その二人がただ腕を彼の
(まるみをおびたせなかのしたにさしいれ、そうやってかれをべっどから)
円味をおびた背中の下にさし入れ、そうやって彼をベッドから
(はぎとるようにはなし、このにもつをもったままからだをこごめ、つぎにかれが)
はぎ取るように離し、この荷物をもったまま身体をこごめ、つぎに彼が
(ゆかのうえでねがえりをうつのをようじんぶかくまっていてくれさえすればよいのだ。)
床の上で寝返りを打つのを用心深く待っていてくれさえすればよいのだ。
(ゆかのうえでならおそらくこれらのたくさんのあしもそんざいいぎがあることに)
床の上でならおそらくこれらのたくさんの脚も存在意義があることに
(なるだろう。ところで、すべてのどあにかぎがかかっていることは)
なるだろう。ところで、すべてのドアに鍵がかかっていることは
(まったくべつもんだいとしても、ほんとうにたすけをもとめるべきだろうか。)
まったく別問題としても、ほんとうに助けを求めるべきだろうか。
(まったくくきょうにあるにもかかわらず、かれはこうかんがえるとびしょうをおさえることが)
まったく苦境にあるにもかかわらず、彼はこう考えると微笑を抑えることが
(できなかった。)
できなかった。
(このさぎょうはしんこうして、もっとつよくからだをゆすればもうほとんどからだのきんこうが)
この作業は進行して、もっと強く身体をゆすればもうほとんど身体の均衡が
(たもてないというところにまできていた。もうすぐさいごのけつだんをしなければ)
保てないというところにまできていた。もうすぐ最後の決断をしなければ
(ならない。というのは、あとごふんでしちじじゅうごふんになる。)
ならない。というのは、あと五分で七時十五分になる。
(ーーそのとき、げんかんでべるがなった。「みせからだれかがきたんだ」と、)
ーーそのとき、玄関でベルが鳴った。「店からだれかがきたんだ」と、
(かれはじぶんにいいきかせ、ほとんどからだがこわばるおもいがした。いっぽう、)
彼は自分に言い聞かせ、ほとんど身体がこわばる思いがした。一方、
(ちいさなあしのほうはただそれだけせわしげにばたばたするのだった。)
小さな脚のほうはただそれだけせわしげにばたばたするのだった。
(いっしゅん、あたりはしんとしていた。「どあをあけないのだな」と、ぐれごーるは)
一瞬、あたりはしんとしていた。「ドアを開けないのだな」と、グレゴールは
(なにかばかげたきたいにとらわれながらおもった。だが、むろんすぐいつものように)
何かばかげた期待にとらわれながら思った。だが、むろんすぐいつものように
(じょちゅうがしっかりしたあしどりでどあへでていき、どあをあけた。ぐれごーるは)
女中がしっかりした足取りでドアへ出ていき、ドアを開けた。グレゴールは
(ただほうもんしゃのさいしょのあいさつをきいただけで、それがだれか、はやくもわかった。)
ただ訪問者の最初の挨拶を聞いただけで、それがだれか、早くもわかった。
(ーーそれはしはいにんじしんだった。なぜぐれごーるだけが、ほんのちょっと)
ーーそれは支配人自身だった。なぜグレゴールだけが、ほんのちょっと
(ちこくしただけですぐさいだいのうたがいをかけるようなしょうかいにつとめるように)
遅刻しただけですぐ最大の疑いをかけるような商会に勤めるように
(うんめいづけられたのだろうか。いったいしようにんのすべてがひとりのじょがいもなく)
運命づけられたのだろうか。いったい使用人のすべてが一人の除外もなく
(やくざなのだろうか。たといあさのたったいち、にじかんはしごとのために)
やくざなのだろうか。たとい朝のたった一、二時間は仕事のために
(つかわなかったにせよ、りょうしんのかしゃくのためにきちがいじみたありさまになって、)
使わなかったにせよ、良心の呵責のために気ちがいじみた有様になって、
(まさにそのためにべっどをはなれられないようなちゅうじつでせいじつなにんげんが、)
まさにそのためにベッドを離れられないような忠実で誠実な人間が、
(しようにんたちのあいだにはいないというのだろうか。こぞうにききにこさせるだけで)
使用人たちのあいだにはいないというのだろうか。小僧に聞きにこさせるだけで
(ほんとうにじゅうぶんではないだろうかーーそもそもこうやってようすをたずねることが)
ほんとうに十分ではないだろうかーーそもそもこうやって様子をたずねることが
(ひつようだとしてのことだがーー。しはいにんがじしんでやってこなければ)
必要だとしてのことだがーー。支配人が自身でやってこなければ
(ならないのだろうか。そして、しはいにんがやってくることによって、)
ならないのだろうか。そして、支配人がやってくることによって、
(このうたがわしいけんのちょうさはただしはいにんのふんべつにだけしかまかせられないのだ、)
この疑わしい件の調査はただ支配人の分別にだけしかまかせられないのだ、
(ということをつみのないかぞくぜんたいにみせつけられなくてはならないのか。)
ということを罪のない家族全体に見せつけられなくてはならないのか。
(ほんとうにけっしんがついたためというよりも、むしろこうしたものおもいによって)
ほんとうに決心がついたためというよりも、むしろこうした物思いによって
(おかれたこうふんのために、ぐれごーるはちからいっぱいにべっどからとびおりた。)
置かれた興奮のために、グレゴールは力いっぱいにベッドから跳び下りた。
(どすんとおおきなおとがしたが、それほどひどいものおとではなかった。)
どすんと大きな音がしたが、それほどひどい物音ではなかった。
(じゅうたんがしいてあるため、ついらくのちからはよわめられたし、せなかもぐれごーるが)
絨毯がしいてあるため、墜落の力は弱められたし、背中もグレゴールが
(かんがえていたよりはだんりょくがあった。そこでそうきわだっておおきなにぶいものおとは)
考えていたよりは弾力があった。そこでそう際立って大きな鈍い物音は
(しなかった。ただ、あたまはじゅうぶんようじんしてしっかりともたげていなかったので)
しなかった。ただ、頭は十分用心してしっかりともたげていなかったので
(うちつけてしまった。かれはいかりといたみとのあまりあたまをまわして、)
打ちつけてしまった。彼は怒りと痛みとのあまり頭を廻して、
(じゅうたんにこすった。)
絨毯にこすった。