フランツ・カフカ 変身⑦

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(ぐれごーるはむこうのへやへははいっていかず、しっかりかけがねをかけてある)

グレゴールは向こうの部屋へは入っていかず、しっかり掛け金をかけてある

(どあいたにうちがわからよりかかっていたので、かれのからだははんぶんしかみえず、)

ドア板に内側からよりかかっていたので、彼の身体は半分しか見えず、

(そのうえにのっているななめにかしげたあたまがみえるのだった。かれはそのあたまで)

その上にのっている斜めにかしげた頭が見えるのだった。彼はその頭で

(ほかのひとびとのほうをのぞいていた。そのあいだに、あたりはまえよりもずっと)

ほかの人びとのほうをのぞいていた。そのあいだに、あたりは前よりもずっと

(あかるくなっていた。とおりのむこうがわには、むかいあってたっているかぎりなくながい)

明るくなっていた。通りの向こう側には、向かい合って立っている限りなく長い

(くろはいいろのたてもののいちぶが、はっきりとみえていたーーびょういんなのだーー。)

黒灰色の建物の一部が、はっきりと見えていたーー病院なのだーー。

(そのたてもののぜんめんはきそくただしくならんだまどによってぽかりぽかりとあなを)

その建物の前面は規則正しく並んだ窓によってぽかりぽかりと孔を

(あけられていた。あめはまだふっていたが、ひとつひとつみわけることのできるほどの)

あけられていた。雨はまだ降っていたが、一つ一つ見わけることのできるほどの

(おおきなあまつぶで、ちじょうにおちるしずくもひとつひとつはっきりとみえた。)

大きな雨粒で、地上に落ちるしずくも一つ一つはっきりと見えた。

(てーぶるのうえにはちょうしょくようのしょっきがひどくたくさんのっていた。)

テーブルの上には朝食用の食器がひどくたくさんのっていた。

(というのは、ちちおやにとってはちょうしょくはいちにちのいちばんたいせつなしょくじで、)

というのは、父親にとっては朝食は一日のいちばん大切な食事で、

(いろいろなしんぶんをよみながらなんじかんでもひきのばすのだった。)

いろいろな新聞を読みながら何時間でも引き延ばすのだった。

(ちょうどまむかいのかべには、ぐんたいじだいのぐれごーるのしゃしんがかかっている。)

ちょうど真向かいの壁には、軍隊時代のグレゴールの写真がかかっている。

(ちゅういのふくそうをして、さーべるをてにかけ、のんきなびしょうをうかべながら、)

中尉の服装をして、サーベルを手にかけ、のんきな微笑を浮べながら、

(じぶんのしせいとぐんぷくとにたいしてみるもののけいいをようきゅうしているようだ。)

自分の姿勢と軍服とに対して見る者の敬意を要求しているようだ。

(げんかんのまへつうじるどあはあいており、げんかんのどあもあいているので、)

玄関の間へ通じるドアは開いており、玄関のドアも開いているので、

(どあのまえのたたきとたてもののしたへつうじるかいだんのうえのほうとがみえた。)

ドアの前のたたきと建物の下へ通じる階段の上のほうとが見えた。

(「それでは」と、ぐれごーるはいったが、じぶんがれいせいさをたもっている)

「それでは」と、グレゴールはいったが、自分が冷静さを保っている

(ただひとりのにんげんなのだということをはっきりといしきしていた。「すぐふくをきて、)

ただ一人の人間なのだということをはっきりと意識していた。「すぐ服を着て、

(しょうひんみほんをにづくりし、でかけることにします。あなたがたは、わたしを)

商品見本を荷造りし、出かけることにします。あなたがたは、私を

など

(でかけさせるつもりでしょうね?ところで、しはいにんさん、ごらんのとおり、)

出かけさせるつもりでしょうね? ところで、支配人さん、ごらんのとおり、

(わたしはがんこじゃありませんし、しごとはすきなんです。しょうようりょこうは)

私は頑固じゃありませんし、仕事は好きなんです。商用旅行は

(らくじゃありませんが、りょこうしないではいきることはできないでしょうよ。)

楽じゃありませんが、旅行しないでは生きることはできないでしょうよ。

(ところで、しはいにんさん、どちらへいらっしゃいますか?みせへですか?)

ところで、支配人さん、どちらへいらっしゃいますか? 店へですか?

(ばんじをありのままにつたえてくださるでしょうね?だれだって、ちょっとのあいだ)

万事をありのままに伝えて下さるでしょうね? だれだって、ちょっとのあいだ

(はたらくことができなくなることがありますが、そういうときこそ、)

働くことができなくなることがありますが、そういうときこそ、

(それまでのせいせきをおもいだして、そのあとでしょうがいがのぞかれればきっと)

それまでの成績を思い出して、そのあとで障害が除かれればきっと

(それだけきんべんに、それだけせいしんをしゅうちゅうしてはたらくだろう、ということを)

それだけ勤勉に、それだけ精神を集中して働くだろう、ということを

(かんがえるべきときなのです。わたしはじっさい、しゃちょうさんをとてもありがたいと)

考えるべき時なのです。私は実際、社長さんをとてもありがたいと

(おもっています。それはあなたもよくごぞんじのはずです。いっぽう、)

思っています。それはあなたもよくご存じのはずです。一方、

(りょうしんといもうととのこともしんぱいしています。わたしはいたばさみになっているわけですが、)

両親と妹とのことも心配しています。私は板ばさみになっているわけですが、

(きっとまたきりぬけるでしょう。いまでもむずかしいことになっているのに、)

きっとまた切り抜けるでしょう。今でもむずかしいことになっているのに、

(もうこれいじょうわたしのたちばをむずかしくはしないでください。みせでもわたしのみかたに)

もうこれ以上私の立場をむずかしくはしないで下さい。店でも私の味方に

(なってくださいませんか。たびまわりのせーるすまんなんてすかれません。)

なって下さいませんか。旅廻りのセールスマンなんて好かれません。

(それはわたしにもよくわかっています。せーるすまんはしこたまもうけて、)

それは私にもよくわかっています。セールスマンはしこたまもうけて、

(それでいいくらしをやっている、とかんがえられているんです。そして、)

それでいい暮しをやっている、と考えられているんです。そして、

(げんじつのすがたもこうしたへんけんをあらためるようにうながすものではないことも、)

現実の姿もこうした偏見を改めるようにうながすものではないことも、

(わたしにはわかっています。でも、しはいにんさん、あなたはほかのてんいんたちよりも)

私にはわかっています。でも、支配人さん、あなたはほかの店員たちよりも

(じじょうをよくみぬいておられます。いや、それどころか、ないしょのはなしですが、)

事情をよく見抜いておられます。いや、それどころか、ないしょの話ですが、

(しゃちょうじしんよりもよくみぬいておられるんです。しゃちょうはじぎょうぬしとしての)

社長自身よりもよく見抜いておられるんです。社長は事業主としての

(たちばがあるため、はんだんをくだすばあいにひとりのしようにんにとってふりなまちがいを)

立場があるため、判断を下す場合に一人の使用人にとって不利なまちがいを

(おかすものなんです。あなたもよくごぞんじのように、ほとんどいちねんじゅう)

犯すものなんです。あなたもよくご存じのように、ほとんど一年じゅう

(みせのそとにいるたびまわりのせーるすまんは、かげぐちやぐうぜんやいわれのないくじょうの)

店の外にいる旅廻りのセールスマンは、かげ口や偶然やいわれのない苦情の

(ぎせいになりやすく、そうしたものをふせぐことはまったくできないんです。)

犠牲になりやすく、そうしたものを防ぐことはまったくできないんです。

(というのも、そういうことのおおくはぜんぜんみみにはいってこず、ただつかれはてて)

というのも、そういうことの多くは全然耳に入ってこず、ただ疲れはてて

(たびをおえてきたくしたときにだけ、げんいんなんかもうわからないような)

旅を終えて帰宅したときにだけ、原因なんかもうわからないような

(わるいけっかをじぶんのからだにかんじることができるんですからね。しはいにんさん、)

悪い結果を自分の身体に感じることができるんですからね。支配人さん、

(どうかおかえりになるまえには、すくなくともわたしのもうしあげたほんのいちぶぶんだけでも)

どうかお帰りになる前には、少なくとも私の申し上げたほんの一部分だけでも

(もっともだ、とおもってくだすっていることをみせてくださるようなことばをひとこと)

もっともだ、と思って下すっていることを見せて下さるような言葉を一言

(おっしゃってください」)

おっしゃって下さい」

(だがしはいにんは、ぐれごーるのさいしょのことばをきくとはやくもからだをそむけ、)

だが支配人は、グレゴールの最初の言葉を聞くと早くも身体をそむけ、

(ただぴくぴくうごくかたごしに、くちびるをそっくりかえらしてぐれごーるのほうを)

ただぴくぴく動く肩越しに、唇をそっくり返らしてグレゴールのほうを

(みかえるだけだった。そして、ぐれごーるがしゃべっているあいだじゅう、)

見返るだけだった。そして、グレゴールがしゃべっているあいだじゅう、

(いっしゅんのあいだもじっとたってはいず、ぐれごーるからめをはなさずに)

一瞬のあいだもじっと立ってはいず、グレゴールから眼をはなさずに

(どあのほうへとおざかっていくのだった。とはいっても、まるでこのへやを)

ドアのほうへ遠ざかっていくのだった。とはいっても、まるでこの部屋を

(でていってはならないというひみつのめいれいでもあるかのように、いそがずに)

出ていってはならないという秘密の命令でもあるかのように、急がずに

(じわじわとはなれていく。かれはついにげんかんのままでいった。そして、)

じわじわと離れていく。彼はついに玄関の間までいった。そして、

(かれがさいごのひとあしをいまからひきぬいたすばやいどうさをみたならば、)

彼が最後の一足を居間から引き抜いたすばやい動作を見たならば、

(このひとはそのときかかとにやけどをしたのだ、とおもいかねないほどだった。)

この人はそのときかかとにやけどをしたのだ、と思いかねないほどだった。

(で、げんかんのまでは、みぎてをぐっとかいだんのほうにのばし、まるでかいだんでは)

で、玄関の間では、右手をぐっと階段のほうにのばし、まるで階段では

(このよのものではないすくいがじぶんをまってくれているのだ、というような)

この世のものではない救いが自分を待ってくれているのだ、というような

(かっこうだった。)

恰好だった。

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フランツ・カフカ

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