フランツ・カフカ 変身⑥

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問題文

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(すぐさま、ふたりのむすめはすかーとのおとをたてながらげんかんのまをかけぬけて)

すぐさま、二人の娘はスカートの音を立てながら玄関の間をかけ抜けて

(いったーーいったいいもうとはどうやってあんなにはやくふくをきたのだろうーー。)

いったーーいったい妹はどうやってあんなに早く服を着たのだろうーー。

(そして、げんかんのどあをさっとあけた。どあをとじるおとはぜんぜんきこえなかった。)

そして、玄関のドアをさっと開けた。ドアを閉じる音は全然聞こえなかった。

(ふたりはきっとどあをあけはなしにしていったのだ。おおきなふこうがおこったいえでは)

二人はきっとドアを開け放しにしていったのだ。大きな不幸が起こった家では

(そうしたことはよくあるものだ。)

そうしたことはよくあるものだ。

(だが、ぐれごーるはずっとへいせいになっていた。)

だが、グレゴールはずっと平静になっていた。

(それでは、ひとびとはもうかれがなにをいっているのかわからなかったのだ。)

それでは、人びとはもう彼が何をいっているのかわからなかったのだ。

(じぶんのことばははっきりと、さっきよりもはっきりとしているように)

自分の言葉ははっきりと、さっきよりもはっきりとしているように

(おもえたのだが、おそらくそれはみみがなれたためなのだろう。それにしても、)

思えたのだが、おそらくそれは耳が慣れたためなのだろう。それにしても、

(ともかくいまはもう、かれのようすがふつうでないということはみんなもしんじており、)

ともかく今はもう、彼の様子が普通でないということはみんなも信じており、

(かれをたすけるつもりでいるのだ。さいしょのしょちがとられたときのかくしんとれいせいさとが、)

彼を助けるつもりでいるのだ。最初の処置がとられたときの確信と冷静さとが、

(かれのきもちをよくした。かれはまたにんげんのなかまにいれられたとかんじ、)

彼の気持をよくした。彼はまた人間の仲間に入れられたと感じ、

(いしとかぎやとをきちんとくべつすることなしに、このりょうしゃからすばらしく)

医師と鍵屋とをきちんと区別することなしに、この両者からすばらしく

(おどろくべきせいかをきたいした。さしせまっているけっていてきなはなしあいのために)

驚くべき成果を期待した。さし迫っている決定的な話合いのために

(できるだけはっきりしたこえをじゅんびしておこうとおもって、すこしせきばらいしたが、)

できるだけはっきりした声を準備しておこうと思って、少し咳払いしたが、

(とはいえすっかりおとをおさえてやるようにどりょくはした。おそらくこのものおとも)

とはいえすっかり音を抑えてやるように努力はした。おそらくこの物音も

(にんげんのせきばらいとはちがったふうにひびくだろうとおもわれたからだった。)

人間の咳払いとはちがったふうに響くだろうと思われたからだった。

(かれじしん、それをはんだんできるというじしんはもうなくなっていた。)

彼自身、それを判断できるという自信はもうなくなっていた。

(そのあいだに、りんしつはすっかりしずまりかえっていた。おそらくりょうしんは)

そのあいだに、隣室はすっかり静まり返っていた。おそらく両親は

(しはいにんといっしょにてーぶるのところにすわり、ひそひそとはなしているのだろう。)

支配人といっしょにテーブルのところに坐り、ひそひそと話しているのだろう。

など

(それとも、みんなどあにみをよせて、ききみみをたてているのかもしれない。)

それとも、みんなドアに身をよせて、聞き耳を立てているのかもしれない。

(ぐれごーるはいすといっしょにゆっくりとどあへちかづいていき、そこで)

グレゴールは椅子といっしょにゆっくりとドアへ近づいていき、そこで

(いすをはなし、どあにからだをぶつけて、それにすがってまっすぐにたちあがった)

椅子を放し、ドアに身体をぶつけて、それにすがってまっすぐに立ち上がった

(ーーちいさなあしのうらのふくらみにはすこしねばるものがついていたからだ。)

ーー小さな足の裏のふくらみには少しねばるものがついていたからだ。

(ーーそして、そこでいっしゅんのあいだ、これまでのほねのおれたどうさのきゅうけいをした。)

ーーそして、そこで一瞬のあいだ、これまでの骨の折れた動作の休憩をした。

(それから、かぎあなにはまっているかぎをくちでまわすしごとにとりかかった。)

それから、鍵穴にはまっている鍵を口で廻す仕事に取りかかった。

(ざんねんなことに、はらしいものがないようだったーーなんですぐかぎを)

残念なことに、歯らしいものがないようだったーーなんですぐ鍵を

(つかんだらいいのだろうかーー。ところが、そのかわりあごはむろんひどく)

つかんだらいいのだろうかーー。ところが、そのかわり顎はむろんひどく

(がんじょうで、そのたすけをかりてじっさいにかぎをうごかすことができたが、うたがいもなく)

頑丈で、その助けを借りて実際に鍵を動かすことができたが、疑いもなく

(からだのどこかをきずつけてしまったことにはきづかなかった。)

身体のどこかを傷つけてしまったことには気づかなかった。

(きずついたというのは、かっしょくのえきたいがくちからながれだし、かぎのうえをながれて)

傷ついたというのは、褐色の液体が口から流れ出し、鍵の上を流れて

(ゆかへしたたりおちたのだった。)

床へしたたり落ちたのだった。

(「さあ、あのおとがきこえませんか」と、りんしつのしはいにんがいった。)

「さあ、あの音が聞こえませんか」と、隣室の支配人がいった。

(「かぎをまわしていますよ」)

「鍵を廻していますよ」

(そのことばは、ぐれごーるにとってはおおいにげんきづけになった。だが、)

その言葉は、グレゴールにとっては大いに元気づけになった。だが、

(みんながかれにせいえんしてくれたっていいはずなのだ。ちちおやもははおやもそうだ。)

みんなが彼に声援してくれたっていいはずなのだ。父親も母親もそうだ。

(「ぐれごーる、しっかり。がんばって!かぎにしっかりとつかまれよ」と、)

「グレゴール、しっかり。頑張って! 鍵にしっかりとつかまれよ」と、

(りょうしんもさけんでくれたっていいはずだ。そして、みんながじぶんのどりょくを)

両親も叫んでくれたっていいはずだ。そして、みんなが自分の努力を

(きんちょうしてみまもっているのだ、とおもいえがきながら、できるだけのちからを)

緊張して見守っているのだ、と思い描きながら、できるだけの力を

(ふりしぼってきがとおくなるほどかぎにかみついた。かぎのかいてんがしんこうするにつれ、)

振りしぼって気が遠くなるほど鍵にかみついた。鍵の回転が進行するにつれ、

(かれはかぎあなのまわりをおどるようにしてまわっていった。いまはただくちだけで)

彼は鍵穴のまわりを踊るようにして廻っていった。今はただ口だけで

(からだをまっすぐにたてていた。そして、ひつようにおうじてかぎにぶらさがったり、)

身体をまっすぐに立てていた。そして、必要に応じて鍵にぶらさがったり、

(つぎにまたじぶんのからだのおもみをぜんぶかけてそれをおしさげたりした。)

つぎにまた自分の身体の重みを全部かけてそれを押し下げたりした。

(とうとうあいたかぎのぱちりというすんだおとが、むちゅうだったぐれごーるを)

とうとう開いた鍵のぱちりという澄んだ音が、夢中だったグレゴールを

(はっきりめざませた。ほっといきをつきながら、かれはじぶんにいいきかせた。)

はっきり目ざませた。ほっと息をつきながら、彼は自分に言い聞かせた。

(「これならかぎやはいらなかったわけだ」)

「これなら鍵屋はいらなかったわけだ」

(そして、どあをすっかりあけようとして、どあのとってのうえにあたまをのせた。)

そして、ドアをすっかり開けようとして、ドアの取っ手の上に頭をのせた。

(かれはこんなふうにしてどあをあけなければならなかったので、ほんとうは)

彼はこんなふうにしてドアを開けなければならなかったので、ほんとうは

(どあがもうかなりあいたのに、かれじしんのすがたはまだそとからはみえなかった。)

ドアがもうかなり開いたのに、彼自身の姿はまだ外からは見えなかった。

(まずゆっくりとどあいたのまわりをつたわってまわっていかなければならなかった。)

まずゆっくりとドア板のまわりを伝わって廻っていかなければならなかった。

(しかも、へやへはいるまえにどさりとあおむけにおちまいとおもうならば、)

しかも、部屋へ入る前にどさりと仰向けに落ちまいと思うならば、

(ようじんしてやらなければならなかった。かれはまだそのこんなんなどうさに)

用心してやらなければならなかった。彼はまだその困難な動作に

(かかりきりになっていて、ほかのことにちゅういをむけるひまがなかったが、)

かかりきりになっていて、ほかのことに注意を向けるひまがなかったが、

(そのときはやくもしはいにんがこえたかく「おお!」とさけぶのをきいたーーまるで)

そのとき早くも支配人が声高く「おお!」と叫ぶのを聞いたーーまるで

(かぜがさわぐときのようにひびいたーー。そこでしはいにんのすがたもみたが、)

風がさわぐときのように響いたーー。そこで支配人の姿も見たが、

(どあのいちばんちかくにいたしはいにんはぽかりとあけたくちにてをあてて、)

ドアのいちばん近くにいた支配人はぽかりと開けた口に手をあてて、

(まるでめにみえないいっていのつよさをたもったちからにおいはらわれるように、)

まるで目に見えない一定の強さを保った力に追い払われるように、

(ゆっくりとあとしざりしていった。ははおやはーーしはいにんがいるにもかかわらず、)

ゆっくりとあとしざりしていった。母親はーー支配人がいるにもかかわらず、

(ゆうべからといてあるさかだったかみのままでそこにたっていたがーーまず)

ゆうべからといてある逆立った髪のままでそこに立っていたがーーまず

(りょうてをあわせてちちおやをみつめ、つぎにぐれごーるのほうににほすすみ、)

両手を合わせて父親を見つめ、つぎにグレゴールのほうに二歩進み、

(からだのまわりにぱっとひろがったすかーとのまんなかにへなへなと)

身体のまわりにぱっと拡がったスカートのまんなかにへなへなと

(すわりこんでしまった。かおはむねへむかってうなだれており、まったく)

坐りこんでしまった。顔は胸へ向かってうなだれており、まったく

(みえなかった。ちちおやはてきいをこめたひょうじょうでこぶしをかため、まるでぐれごーるを)

見えなかった。父親は敵意をこめた表情で拳を固め、まるでグレゴールを

(かれのへやへつきもどそうとするようだった。そして、おちつかぬようすで)

彼の部屋へ突きもどそうとするようだった。そして、落ち着かぬ様子で

(いまをみまわし、つぎにりょうてでめをおおうと、なきだした。そこでちちおやの)

居間を見廻し、つぎに両手で眼をおおうと、泣き出した。そこで父親の

(がんきょうそうなおおきなむねがうちふるえるのだった。)

頑強そうな大きな胸がうちふるえるのだった。

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フランツ・カフカ

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