風の又三郎 8

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九月四日 上の野原③
宮沢賢治 作 全文

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問題文

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(「うまぁい。」かすけは、はねあがってはしりました。)

「うまぁい。」嘉助は、はね上って走りました。

(けれどもそれはどうもけいばにはならないのでした。)

けれどもそれはどうも競馬にはならないのでした。

(だいいち、うまはどこまでもかおをならべてはしるのでしたし、)

第一、馬はどこまでも顔をならべて走るのでしたし、

(それにそんなにきょうそうするくらいはやくはしるのでもなかったのです。)

それにそんなに競争するくらい早く走るのでもなかったのです。

(それでもみんなはおもしろがって、)

それでもみんなは面白がって、

(だあだといいながらいっしょうけんめいそのあとをおいました。)

だあだといいながら一生けん命そのあとを追いました。

(うまはすこしいくとたちどまりそうになりました。)

馬はすこし行くと立ちどまりそうになりました。

(みんなもすこし、はあはあしましたが、こらえてまたうまをおいました。)

みんなもすこし、はあはあしましたが、こらえてまた馬を追いました。

(するといつかうまは、ぐるっとさっきのこだかいところをまわって、)

するといつか馬は、ぐるっとさっきの小高いところをまわって、

(さっきよにんではいってきたどてのきれたところへきたのです。)

さっき四人ではいって来たどての切れた所へ来たのです。

(「あ、うまではる、うまではる。おさえろ、おさえろ。」)

「あ、馬出はる、馬出はる。押えろ、押えろ。」

(いちろうはまっさおになってさけびました。)

一郎はまっ青になって叫びました。

(じっさいうまはどてのそとへでたのらしいのでした。)

じっさい馬はどての外へ出たのらしいのでした。

(どんどんはしって、もうさっきのまるたのぼうをこえそうになりました。)

どんどん走って、もうさっきの丸太の棒を越えそうになりました。

(いちろうはまるであわてて「どう、どう、どうどう。」といいながら、)

一郎はまるであわてて「どう、どう、どうどう。」といいながら、

(いっしょうけんめいはしっていって、やっとそこへついて、)

一生けん命走って行って、やっとそこへ着いて、

(まるでころぶようにしながらてをひろげたときは、)

まるでころぶようにしながら手をひろげたときは、

(もうにひきはもうそとへでていたのでした。)

もう二ひきはもう外へ出ていたのでした。

(「はやぐきておさえろ。はやぐきて。」)

「早ぐ来て押えろ。早ぐ来て。」

(いちろうはいきもきれるようにさけびながら、まるたんぼうをもとのようにしました。)

一郎は息も切れるように叫びながら、丸太棒をもとのようにしました。

など

(さんにんははしっていっていそいでまるたをくぐってそとへでますと、)

三人は走って行って急いで丸太をくぐって外へ出ますと、

(にひきのうまはもうはしるでもなく、)

二ひきの馬はもう走るでもなく、

(どてのそとにたってくさをくちでひっぱってぬくようにしています。)

どての外に立って草を口で引っぱって抜くようにしています。

(「そろそろどおさえろよ。そろそろど。」といいながら、)

「そろそろど押えろよ。そろそろど。」といいながら、

(いちろうはいっぴきのくつわについたふだのところを、しっかりおさえました。)

一郎は一ぴきのくつわについた札のところを、しっかり押えました。

(かすけとさぶろうがもういっぴきをおさえようとそばへよりますと、)

嘉助と三郎がもう一ぴきを押えようとそばへ寄りますと、

(うまはまるでおどろいたようにどてへそって、)

馬はまるで驚いたように土手へ沿って、

(いちもくさんにみなみのほうへはしってしまいました。)

一目散に南の方へ走ってしまいました。

(「あいな、うまぁにげる、うまぁにげる。あいな。うまにげる。」)

「兄(アイ)な、馬ぁ逃げる、馬ぁ逃げる。兄な。馬逃げる。」

(とうしろでいちろうがいっしょうけんめいさけんでいます。)

とうしろで一郎が一生けん命叫んでいます。

(さぶろうとかすけはいっしょうけんめいうまをおいました。)

三郎と嘉助は一生けん命馬を追いました。

(ところが、うまはもうこんどこそほんとうににげるつもりらしかったのです。)

ところが、馬はもう今度こそほんとうに遁げるつもりらしかったのです。

(まるでたけぐらいあるくさをわけて、たかみになったりひくくなったり、)

まるで丈ぐらいある草をわけて、高みになったり低くなったり、

(どこまでもはしりました。)

どこまでも走りました。

(かすけはもうあしがしびれてしまって、)

嘉助はもう足がしびれてしまって、

(どこをどうはしっているのか、わからなくなりました。)

どこをどう走っているのか、わからなくなりました。

(それから、まわりがまっさおになって、ぐるぐるまわり、)

それから、まわりがまっさおになって、ぐるぐる廻り、

(とうとうふかいくさのなかにたおれてしまいました。)

とうとう深い草の中に倒れてしまいました。

(うまのあかいたてがみと、あとをおっていくさぶろうのしろいしゃっぽが、)

馬の赤いたてがみと、あとを追って行く三郎の白いシャッポが、

(おわりにちらっとみえました。)

終りにちらっと見えました。

(かすけはあおむけになってそらをみました。)

嘉助は仰向けになって空を見ました。

(そらがまっしろにひかって、ぐるぐるまわり、)

空がまっ白に光って、ぐるぐる廻り、

(そのこちらをうすいねずみいろのくもが、はやくはやくはしっています。)

そのこちらを薄い鼠色の雲が、速く速く走っています。

(そしてかんかんなっています。)

そしてカンカン鳴っています。

(かすけはやっとおきあがって、せかせかいきしながら、)

嘉助はやっと起き上って、せかせか息しながら、

(うまのいったほうにあるきだしました。)

馬の行った方に歩き出しました。

(くさのなかには、いま、うまとさぶろうがとおったあとらしく、)

草の中には、今、馬と三郎が通った痕らしく、

(かすかなみちのようなものがありました。)

かすかな路のようなものがありました。

(かすけはわらいました。そして、)

嘉助は笑いました。そして、

((ふん、なあにうま、どこかで、)

(ふん、なあに馬、何処かで、

(こわくなってのっこりたってるさ。)とおもいました。)

こわくなってのっこり立ってるさ。)と思いました。

(そこでかすけは、いっしょうけんめいそれをつけていきました。)

そこで嘉助は、一生けん命それを跡(ツ)けて行きました。

(ところがそのみちのようなものは、まだひゃっぽもいかないうちに、)

ところがその路のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、

(おとこえしや、すてきにせのたかいあざみのなかで、)

おとこえしや、すてきに背の高い薊の中で、

(ふたつにもみっつにもわかれてしまって、)

二つにも三つにも分れてしまって、

(どれがどれやらいっこうわからなくなってしまいました。)

どれがどれやら一向わからなくなってしまいました。

(かすけは「おうい」とさけびました。)

嘉助は「おうい」と叫びました。

(「おう」と、どこかでさぶろうがさけんでいるようです。)

「おう」と、どこかで三郎が叫んでいるようです。

(おもいきって、そのまんなかのをすすみました。)

思い切って、そのまん中のを進みました。

(けれどもそれも、ときどききれたり、)

けれどもそれも、時々断(キ)れたり、

(うまのあるかないようなきゅうなところを、よこざまにすぎたりするのでした。)

馬の歩かないような急な所を、横様に過ぎたりするのでした。

(そらはたいへんくらくおもくなり、まわりがぼうっとかすんできました。)

空はたいへん暗く重くなり、まわりがぼうっと霞んで来ました。

(つめたいかぜが、くさをわたりはじめ、)

冷たい風が、草を渡りはじめ、

(もうくもやきりが、きれぎれになって、めのまえをぐんぐんとおりすぎていきました。)

もう雲や霧が、切れ切れになって、眼の前をぐんぐん通り過ぎて行きました。

((ああ、こいつはわるくなってきた。)

(ああ、こいつは悪くなって来た。

(みんなわるいことは、これからたかってやってくるのだ。))

みんな悪いことは、これから集(タカ)ってやって来るのだ。)

(とかすけはおもいました。)

と嘉助は思いました。

(まったくそのとおり、にわかにうまのとおったあとは、くさのなかでなくなってしまいました。)

全くその通り、にわかに馬の通った痕は、草の中で無くなってしまいました。

((ああ、わるくなった、わるくなった。)かすけはむねをどきどきさせました。)

(ああ、悪くなった、悪くなった。)嘉助は胸をどきどきさせました。

(くさがからだをまげて、ぱちぱちいったり、さらさらなったりしました。)

草がからだを曲げて、パチパチいったり、さらさら鳴ったりしました。

(きりがことにしげくなって、きものはすっかりしめってしまいました。)

霧が殊に滋くなって、着物はすっかりしめってしまいました。

(かすけはのどいっぱいさけびました。)

嘉助は咽喉一杯叫びました。

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