甘鯛の姿焼き 北大路魯山人
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問題文
(このりょうりは、とうきょうにむかしからあるものだが、)
この料理は、東京に昔からあるものだが、
(おおきいのでちょっとやっかいである。)
大きいのでちょっと厄介である。
(かなぐしをうつのにこつがあり、)
金串を打つのにコツがあり、
(なにもしらずに、ただやたらになんぼんもくしをうってはいけない。)
なにも知らずに、ただやたらに何本も串を打ってはいけない。
(さいしょにかなぐしをおうぎがたになるようにうつ。)
最初に金串を扇形になるように打つ。
(それからあとはなんぼんうとうと、)
それからあとは何本打とうと、
(おうぎのかなめのところをちゅうしんにすればてきとうにうってよい。)
扇の要のところを中心にすれば適当に打ってよい。
(そうすると、てでもつのにべんりであるし、)
そうすると、手で持つのに便利であるし、
(やけてもあつかうたびにみがこわれるといううれいはなくなる。)
焼けても扱うたびに身がこわれるという憂いはなくなる。
(じっさいやっているのをごらんになれば、ひとめでなっとくされるだろうとおもう。)
実際やっているのをごらんになれば、一目で納得されるだろうと思う。
(あまだいといっても、とうきょうではおきつだいといわれるもので、)
甘だいといっても、東京では興津だいといわれるもので、
(しずおかをちゅうしんとしたきんかいでとれるのがよいとされている。)
静岡を中心とした近海でとれるのがよいとされている。
(かんさいにいくと、ほくりくからまわってくるもの、)
関西に行くと、北陸からまわってくるもの、
(わかさからきているものでぐじといっているが、)
若狭から来ているものでぐじといっているが、
(これはほくりくのうみにせいそくし、ほくりくのうみのものをくっているので、)
これは北陸の海に棲息し、北陸の海のものを食っているので、
(おきつだいとはだいぶちがう。おきつだいというあまだいと、)
興津だいとは大分違う。興津だいという甘だいと、
(ぐじといっているにほんかいのあまだいとはいっけんおなじものだが、)
ぐじといっている日本海の甘だいとは一見同じものだが、
(いろがわかさのものはうすあかくももいろであり、)
色が若狭ものはうす赤く桃色であり、
(おきつだいとしょうするあまだいはつうじょうのたいとおなじくらいのあかいろをていしている。)
興津だいと称する甘だいは通常のたいと同じくらいの赤色を呈している。
(ぐじのほうはうろこごとやいてもくえるが、)
ぐじの方は鱗ごと焼いても食えるが、
(おきつだいのほうははがさねばくえない。)
興津だいの方は剥がさねば食えない。
(ぐじはうろこごとくうところにふぜいがあるのであって、いちぶのひとびとによろこばれている。)
ぐじは鱗ごと食うところに風情があるのであって、一部の人々に喜ばれている。
(たまたまとうきょうのあるりょうりやで、)
たまたま東京のある料理屋で、
(おきつだいをうろこごとやいてだされたことがあるが、)
興津だいを鱗ごと焼いて出されたことがあるが、
(これはさるまねでおおきなしっぱいである。)
これは猿真似で大きな失敗である。
(とうきょうのはうろこをはがしてくわねばならない。)
東京のは鱗をはがして食わねばならない。
(うろこごとやくのははじめからまちがいである。)
鱗ごと焼くのは初めから間違いである。
(わかさのぐじは、このようにしゃれたくいかたになっているので、)
若狭のぐじは、このようにしゃれた食い方になっているので、
(それをしっておくこともむだではなかろう。)
それを知っておくことも無駄ではなかろう。
(またおきつだいにもしゅるいがあり、しらかわとしょうされているのがある。)
また興津だいにも種類があり、白皮と称されているのがある。
(しらかわとはふつうのようにかわがあかくなく、)
白皮とは普通のように皮が赤くなく、
(うすももいろとか、しろいものをいうのであって、)
薄桃色とか、白いものをいうのであって、
(とうきょうのうおがしにいくとふつうのたいのにばい、さんばいのねがしている。)
東京の魚河岸に行くと普通のたいの二倍、三倍の値がしている。
(それだけにひじょうにうまいさかなである。)
それだけに非常にうまい魚である。
(にくがやわらかいのでなまでくうことはないが、)
肉が柔らかいので生で食うことはないが、
(やいてくうばあいはみごとなものである。)
焼いて食う場合は見事なものである。
(きゅうしゅうのしらかわというあまだいは、かんとうにはすくないが、)
九州の白皮という甘だいは、関東には少ないが、
(きゅうしゅうからごとうれっとうにいくと、そればかりのようにおおい。)
九州から五島列島に行くと、そればかりのように多い。
(しおをしてもってくるけれど、ひじょうにまずく、したがってねもやすい。)
塩をして持って来るけれど、非常にまずく、従って値も安い。
(ときによっては、ふつうのあまだいのねだんの)
時によっては、普通の甘だいの値段の
(ごぶんのいちからじゅうぶんのいちぐらいやすいときもある。)
五分の一から十分の一ぐらい安い時もある。
(かたちもおおきいので、おだわらではかまぼこのざいりょうにずいぶんつかっている。)
形も大きいので、小田原ではかまぼこの材料にずいぶん使っている。
(れっしゃでもってくるほどつかっているので、)
列車で持って来るほど使っているので、
(げんこんのおだわらのかまぼこはいろがついていて、)
現今の小田原のかまぼこは色がついていて、
(あじがくどく、むかしのめんもくをうしなっている。)
味がくどく、昔の面目を失っている。
(ほんらいこうきゅうぎょであるあまだいが、えんかくのためじかんがたち、)
本来高級魚である甘だいが、遠隔のため時間が経ち、
(そのびみをまっとうしないのである。)
その美味をまっとうしないのである。
(さんちでくうと、もちろんびみなものである。)
産地で食うと、もちろん美味なものである。
(このさかなは、いたりあのなぽりでくったことがあるが、)
この魚は、イタリアのナポリで食ったことがあるが、
(うまいさかなのなかったがいこくで、とてもびみにかんじたさかなである。)
うまい魚のなかった外国で、とても美味に感じた魚である。