魯迅 阿Q正伝その32

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(かれはこのようなしょざいなさをかんじたことはいままでないようにおぼえた。)

彼はこのような所在なさを感じたことは今まで無いように覚えた。

(かれはじぶんのべんつをわがねたことについてむいみにかんじたらしく、)

彼は自分の辮子を環ねたことについて無意味に感じたらしく、

(ぶべつをしたくなってふくしゅうのかんがえから、)

侮蔑をしたくなって復讎の考えから、

(たちどころにべんつをときおろそうとしたが、)

立ちどころに辮子を解きおろそうとしたが、

(それもまたついにそのままにしておいた。)

それもまた遂にそのままにしておいた。

(かれはよるになってあそびにでかけ、にはいのさけをかりてはらのなかにのみおろすと、)

彼は夜になって遊びに出掛け、二杯の酒を借りて肚の中に飲みおろすと、

(だんだんげんきがついてきて、しそうのなかにしろはちまき、しろかぶとのかけらがしゅつげんした。)

だんだん元気がついて来て、思想の中に白鉢巻、白兜のカケラが出現した。

(あるひのことであった。かれはじょうれいによりよふけまでうろつきまわって、)

ある日のことであった。彼は常例に依り夜更けまでうろつき廻って、

(さかやがとじまりをするころになってようやくおいなりさまにかえってきた。)

酒屋が戸締をする頃になってようやく土穀祠に帰って来た。

(「ぱん、ぱん」)

「パン、パン」

(かれはたちまちいっしゅいようなおんせいをきいたがばくちくではなかった。)

彼はたちまち一種異様な音声をきいたが爆竹では無かった。

(いったいかれはにぎやかなことがすきで、くだらぬことにてだしをしたがるたちだから、)

一体彼は賑やかな事が好きで、下らぬことに手出しをしたがる質だから、

(すぐにくらやみのなかをさぐってゆくと、まえのほうにいささかあしおとがするようであった。)

すぐに暗やみの中を探って行くと、前の方にいささか足音がするようであった。

(かれはききみみたてていると、いきなりひとりのおとこがむこうからにげてきた。)

彼は聴耳立てていると、いきなり一人の男が向うから逃げて来た。

(かれはそれをみるとすぐにあとについてかけだした。そのひとがまがるとあきゅうもまがった。)

彼はそれを見るとすぐに跡に跟いて馳け出した。その人が曲ると阿Qも曲った。

(まがってしまうとそのひとはたちどまった。あきゅうもまたたちどまった。)

曲ってしまうとその人は立ちどまった。阿Qもまた立ちどまった。

(あきゅうはうしろをみるとなにもなかった。そこでまえへむかってひとをみるとしょうどんであった。)

阿Qは後ろを見ると何も無かった。そこで前へ向って人を見ると小Dであった。

(「なんだ」あきゅうはふへいをおこした。)

「何だ」阿Qは不平を起した。

(「ちょう、ちょうけがやられた。りゃくだつ」しょうどんはいきをはずませていた。)

「趙、趙家がやられた。掠奪」小Dは息をはずませていた。

(あきゅうもむねがどきどきした。しょうどんはそういってしまうとあるきだした。)

阿Qも胸がドキドキした。小Dはそう言ってしまうと歩き出した。

など

(あきゅうはいったんにげだしたものの、)

阿Qはいったん逃げ出したものの、

(けっきょく「そのみちのしごとをやった」ことのあるひとだからことのほかどきょうがすわった。)

結局「その道の仕事をやった」事のある人だから殊の外度胸が据すわった。

(かれはみちかどにいざりでて、)

彼は路角にいざり出て、

(じっとみみをすましてきいているとなんだかざわざわしているようだ。)

じっと耳を澄まして聴いていると何だかざわざわしているようだ。

(そこでまたじっとみすましているとしろはちまき、しろかぶとのひとがおおぜいいて、)

そこでまたじっと見澄ましていると白鉢巻、白兜の人が大勢いて、

(つぎからつぎへとはこをもちだし、きぶつをもちだし、)

次から次へと箱を持出し、器物を持出し、

(しゅうさいふじんのにんぽうねだいをもちだしたようでもあったがはっきりしなかった。)

秀才夫人の寧波寝台をもち出したようでもあったがハッキリしなかった。

(かれはもうすこしまえへでようとしたがりょうあしがうごかなかった。)

彼はもう少し前へ出ようとしたが両脚が動かなかった。

(そのよはつきがなかった。みしょうはあんこくのなかにつつまれてはなはだしんとしていた。)

その夜は月が無かった。未荘は暗黒の中に包まれてはなはだしんとしていた。

(しんとしていてぎこうのころのようなたいへいであった。)

しんとしていて羲皇の頃のような太平であった。

(あきゅうはたっているうちにじれったくなってきたが、)

阿Qは立っているうちにじれったくなって来たが、

(むこうではやはりまえとおなじように、いったりきたりしているらしく、)

向うではやはり前と同じように、往ったり来たりしているらしく、

(はこをもちだしたりきぶつをもちだしたり、しゅうさいふじんのにんぽうねだいをもちだしたり、)

箱を持ち出したり器物を持ち出したり、秀才夫人の寧波寝台を持ち出したり、

(もちだしたといっても、かれはじぶんでいささかじぶんのめをしんじなかった。)

持ち出したと言っても、彼は自分でいささか自分の眼を信じなかった。

(それでもいっぽまえへでようとはせず、けっきょくじぶんのおみやのなかにかえってきた。)

それでも一歩前へ出ようとはせず、結局自分の廟の中に帰って来た。

(おいなりさまのなかは、いっそうまっくらだった。)

土穀祠の中は、いっそうまっ闇だった。

(かれはだいもんをしっかりしめて、てさぐりでじぶんのへやにはいり、よこになってかんがえた。)

彼は大門をしっかり締めて、手探りで自分の部屋に入り、横になって考えた。

(こうしてきをしずめてじぶんのしそうのでどころをかんがえてみると、)

こうして気を静めて自分の思想の出どころを考えてみると、

(しろはちまき、しろかぶとのひとはたしかについたが、けっしてじぶんをよびだしにはこなかった。)

白鉢巻、白兜の人は確かに着いたが、決して自分を呼び出しには来なかった。

(いろんないいしなものははこびだされたが、じぶんのわけまえはない。)

いろんないい品物は運び出されたが、自分の分け前はない。

(これはまったくにせけとうがわるいのだ。かれはおれにむほんをゆるさない。)

これは全く偽毛唐が悪いのだ。彼は乃公に謀叛を許さない。

(むほんをゆるせば、こんどおれのわけまえがないことはないじゃないか?)

謀叛を許せば、今度乃公の分け前がないことはないじゃないか?

(あきゅうはおもえばおもうほど、いらいらしてきてこらえきれず、)

阿Qは思えば思うほど、イライラして来て耐え切れず、

(おもうさまうらんでどくどくしくののしった。)

おもうさま怨んで毒々しく罵った。

(「おれにはむほんをゆるさないで、じぶんだけがむほんするんだな。)

「乃公には謀叛を許さないで、自分だけが謀叛するんだな。

(ばか、にせけとう!よし、てめえがむほんする。むほんすればくびがないぞ。)

馬鹿、偽毛唐!よし、てめえが謀叛する。謀叛すれば首が無いぞ。

(おれはどうしてもうったえでてやる。)

乃公はどうしても訴え出てやる。

(てめえがけんないにひきまわしされてくびのなくなるのをみてやるからおぼえていろ。)

てめえが県内に引廻されて首の無くなるのを見てやるから覚えていろ。

(いっかいちぞくみなごろしだ。すぱり、すぱり」)

一家一族皆殺しだ。すぱり、すぱり」

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