魯迅 阿Q正伝その35

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(「わたし、わたしはじをしりません」)

「わたし、わたしは字を知りません」

(あきゅうはふでをむんずとつかんではずかしそうに、おそるおそるいった。)

阿Qは筆をむんずと掴んで恥ずかしそうに、恐る恐る言った。

(「ではおまえのやりいいようにまるでもひとつかくんだね」)

「ではお前のやりいいように丸でも一つ書くんだね」

(あきゅうはまるをかこうとしたがふでをもつてがふるえた。)

阿Qは丸を書こうとしたが筆を持つ手が震えた。

(そこでそのひとはかれのためにかみをちじょうにしいてやり、)

そこでその人は彼のために紙を地上に敷いてやり、

(あきゅうはうつぶせになっていっしょうけんめいにまるをかいた。)

阿Qはうつぶせになって一生懸命に丸を書いた。

(かれはひとにわらわれちゃたいへんだとおもってせいかくにまるをかこうとしたが、)

彼は人に笑われちゃ大変だと思って正確に丸を書こうとしたが、

(にくむべきふではおもく、がたがたふるえて、)

憎むべき筆は重く、ガタガタ震えて、

(まるのあわせめまでこぎつけると、ぴんとそとへはずれてうりのようなかっこうになった。)

丸の合せ目まで漕ぎつけると、ピンと外へ外れて瓜のような恰好になった。

(あきゅうはじぶんのふできをはずかしくおもっていると、)

阿Qは自分の不出来を恥ずかしく思っていると、

(そのひとはいっこうへいきでかみとふでをもちさり、)

その人は一向平気で紙と筆を持ち去り、

(おおぜいのひとはあきゅうをひいて、もとのまるたごうしのなかにほうりこんだ。)

大勢の人は阿Qを引いて、もとの丸太格子の中に放り込んだ。

(かれはまるたごうしのなかにいれられてもかくべつたいしてくにもしなかった。)

彼は丸太格子の中に入れられても格別大して苦にもしなかった。

(かれはそうおもった。にんげんのよのなかはたいていもとからときによると、)

彼はそう思った。人間の世の中は大抵もとから時によると、

(つかみこまれたりつかみだされたりすることもある。)

掴み込まれたり掴み出されたりすることもある。

(ときによるとかみのうえにまるをかかなければならぬこともある。)

時によると紙の上に丸を書かなければならぬこともある。

(だがまるというものがあってまるくないことは、かれのおこないのひとつのおてんだ。)

だが丸というものがあって丸くないことは、彼の行いの一つの汚点だ。

(しかしそれもまもなくわかってしまった、)

しかしそれもまもなく解ってしまった、

(そんしであればこそまるいわがほんとうにかけるんだ。)

孫子であればこそ丸い輪が本当に書けるんだ。

(そうおもってかれはねむりについた。)

そう思って彼は眠りについた。

など

(ところがそのばんきょじんだんなはなかなかねむれなかった。)

ところがその晩挙人老爺はなかなか眠れなかった。

(かれはしょういどのとなかたがいをした。)

彼は少尉殿と仲たがいをした。

(きょじんだんなはぞうひんのついちょうがなによりもかんじんだといった、)

挙人老爺は贓品の追徴が何よりも肝腎だと言った、

(しょういどのはまずだいいちにみせしめをすべしといった。)

少尉殿はまず第一に見せしめをすべしと言った。

(しょういどのはちかごろいっこうきょじんだんなをがんちゅうにおかなかった。)

少尉殿は近頃一向挙人老爺を眼中に置かなかった。

(つくえをたたきこしかけをうってかれはといた。)

卓を叩き腰掛を打って彼は説いた。

(「ひとりをやりだまにあげればひゃくにんがちゅういする。ねえきみ!)

「一人を槍玉に上げれば百人が注意する。ねえ君!

(わたしがかくめいとうをそしきしてからまだはつかにもならないのに、)

わたしが革命党を組織してからまだ二十日にもならないのに、

(りゃくだつじけんがじゅうなんけんもあってまるきりげしゅにんがあがらない。)

掠奪事件が十何件もあってまるきり下手人が挙らない。

(わたしのかおがどこにたつ?げしゅにんがあがってもきみはまだぐずぐずしている。)

わたしの顔がどこに立つ?下手人が挙っても君はまだ愚図々々している。

(これがうまくいかんとおれのせきにんになるんだよ」)

これが上手く行かんと乃公の責任になるんだよ」

(きょじんだんなはおおいにきゅうしたが、)

挙人老爺は大いに窮したが、

(なおがんこにぜんせつをこじしてぞうひんのついちょうをしなければ、)

なお頑固に前説を固持して贓品の追徴をしなければ、

(かれはそっこくみんせいのしょくむをじにんするといった。)

彼は即刻民政の職務を辞任すると言った。

(けれどしょういどのはびくともせず、)

けれど少尉殿はびくともせず、

(「どうぞごずいいになさいませ」といった。)

「どうぞ御随意になさいませ」と言った。

(そこできょじんだんなはそのばんとうとうまんじりともしなかったが、)

そこで挙人老爺はその晩とうとうまんじりともしなかったが、

(よくじつはさいわいじしょくもしなかった。)

翌日は幸い辞職もしなかった。

(あきゅうがさんどめにまるたごうしからつまみだされたときには、)

阿Qが三度目に丸太格子から抓み出された時には、

(すなわちきょじんだんながねつかれないばんのよくじつのごぜんであった。)

すなわち挙人老爺が寝つかれない晩の翌日の午前であった。

(かれがおおひろまにくるとじょうせきにはいつものとおり、)

彼が大広間に来ると上席にはいつもの通り、

(くりくりぼうずのおやじがすわっていた。)

くりくり坊主の親爺が坐っていた。

(あきゅうもまたいつものとおりひざをついてしたにいた。)

阿Qもまたいつもの通り膝を突いて下にいた。

(おやじはいともねんごろにたずねた。)

親爺はいとも懇んごろに尋ねた。

(「おまえはまだほかになにかいうことがあるかね」)

「お前はまだほかに何か言うことがあるかね」

(あきゅうはちょっとかんがえたがべつにいうこともないので、)

阿Qはちょっと考えたが別に言うこともないので、

(「ありません」とこたえた。)

「ありません」と答えた。

(ながいきものをきたひととみじかいきものをきたひとがおおぜいいて、)

長い着物を着た人と短い着物を着た人が大勢いて、

(たちまちかれにしろかたきんのそでなしをきせた。)

たちまち彼に白金巾の袖無しを着せた。

(うえにじあざながかいてあった。あきゅうははなはだこころぐるしくおもった。)

上に字が書いてあった。阿Qははなはだ心苦しく思った。

(それはそうしきのきもののようで、そうしきのきものをきたのはえんぎがよくないからだ。)

それは葬式の着物のようで、葬式の着物を着たのは縁起が好くないからだ。

(しかしそうおもうまもなくかれはりょうてをしばられて、)

しかしそう思うまもなく彼は両手を縛られて、

(ずんずんおやくしょのそとへひきずりだされた。)

ずんずんお役所の外へ引きずり出された。

(あきゅうはやねなしのくるまのうえにかつぎあげられ、)

阿Qは屋根無しの車の上に担ぎあげられ、

(みじかいきもののひとがいくにんもかれとどうざしていっしょにいた。)

短い着物の人が幾人も彼と同座して一緒にいた。

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