森鴎外 大塩平八郎その6
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問題文
(ほりはいまにかえってふあんげなようすをしていたが、いそがしげにてがみをかきだした。)
堀は居間に帰って不安げな様子をしていたが、忙しげに手紙を書き出した。
(これはひがしまちぶぎょう・あとべにあてて、とうほうにもそにんがあった、)
これは東町奉行・跡部に宛てて、当方にも訴人があった、
(とうばんのせた、こいずみにゆだんせられるな、おっつけさんじょうするとかいたのである。)
当番の瀬田、小泉に油断せられるな、おっっけ参上すると書いたのである。
(ほりはそれをもたせてつかいをだしたあとで、)
堀はそれを持たせて使いを出した後で、
(しばらくうでぐみをしてどうにかきをおちつけようとしていた。)
暫く腕組みをしてどうにか気を落ち着けようとしていた。
(ほりはきのうあとべからいんぼうしゃのけいりゃくをきいた。)
堀はきのう跡部から陰謀者の計略を聞いた。
(きょうのじゅんけんをとりやめたのはそのためである。)
きょうの巡見を取り止めたのはそのためである。
(しかるにたださんがつとかいてひづけをつけぬよしみのそじょうには、)
しかるにただ三月と書いて日附をつけぬ吉見の訴状には、
(そのけいりゃくのなかみがかいてない。)
その計略の中身が書いてない。
(よしみがみめいにせがれをたくそにだしたのをみるとけいりゃくをしらぬはずはない。)
吉見が未明に倅を托訴に出したのを見ると計略を知らぬはずはない。
(ただかきいれるひまがなかったのだろう。)
ただ書き入れる暇がなかったのだろう。
(ひがしまちぶぎょうしょへうったえたひらやまは、こんげつじゅうごにちにわたなべりょうざえもんがきて、)
東町奉行所へ訴えた平山は、今月十五日に渡辺良左衛門が来て、
(じゅうくにちのてはずをはなし、よくじゅうろくにちにどうしいちどうがあつまったせきで、)
十九日の手筈を話し、翌十六日に同志一同が集まった席で、
(しゅりょうがけいりゃくをうちあけたといったそうである。)
首領が計略を打ち明けたと云ったそうである。
(それはあとべとじぶんとがよりき・あさおかのやくたくにきゅうそくしているところへ)
それは跡部と自分とが与力・朝岡の役宅に休息している所へ
(しゅうげきしてこようというのである。)
襲撃して来ようと云うのである。
(いったいよしみのそじょうにはなんといってあったか、)
一体吉見の訴状にはなんと云ってあったか、
(それにそえてあるげきぶんにはどうかいてあるか、)
それに添へてある檄文にはどう書いてあるか、
(よくみておこうとほりはかんがえて、しょるいをそでのなかからだした。)
よく見て置こうと堀は考えて、書類を袖の中から出した。
(ほりはふあんげなめつきをして、ふたつのぶんしょをみくらべた。)
堀は不安げな目附をして、二つの文書を見くらべた。
(いんぼうにたいしてどういうたいさくをとろうというせいあんがないので、)
陰謀に対してどう云う対策を取ろうと云う成案がないので、
(すぐにあとべのところへいかずにまずはしょめんをつかわしたが、)
すぐに跡部の所へ往かずにまずは書面を遣わしたが、
(あんざしてかんがえても、しあんがまとまらない。)
安座して考えても、思案がまとまらない。
(しかしなにかせずにはいられぬので、ぶんしょをしらべはじめたのである。)
しかし何かせずにはいられぬので、文書を調べ始めたのである。
(そじょうには「おんしろ、おんやくしょ、)
訴状には「御城、御役所、
(そのほかくみやしきとうひぜめのはかりごと」とかいてある。)
そのほか組屋敷等火攻の謀」と書いてある。
(げきぶんにはむどうのやくにんをちゅうし、つぎにかねもちのちょうにんどもをこらすといってある。)
檄文には無道の役人を誅し、次に金持の町人共を懲すと云ってある。
(とにかくおそろしいいんぼうである。)
兎に角恐ろしい陰謀である。
(さくばんあとべからのしょじょうには、たしかなよりきどものいいぶんによれば、)
昨晩跡部からの書状には、確かな与力共の言い分によれば、
(さほどのことでないかもしれぬから、かねてうちあわせたように)
さ程の事でないかも知れぬから、かねて打ち合せたように
(とりかたをだすことはみあわせてくれといってあった。)
捕り方を出すことは見合せてくれと云ってあった。
(それですこしあんしんして、こっちからよしだをだすこともひかえておいた。)
それで少し安心して、こっちから吉田を出すことも控えて置いた。
(しかしすうにんのもうしぶんがこうふごうしてみれば、よういなことではあるまい。)
しかし数人の申分がこう符合して見れば、容易な事ではあるまい。
(あとべはどうするつもりだろうか。)
跡部はどうする積りだろうか。
(てがみをつかったのだから、なんとかいってきそうなものだ。)
手紙を遣ったのだから、なんとか云って来そうなものだ。
(こんなことをかんがえて、ほりはときのうつるのをもしらずにいた。)
こんな事を考えて、堀は時の移るのをも知らずにいた。