半七捕物帳 弁天娘3
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問題文
(「どんなことをいったんです」と、はんしちはおいかけてきいた。)
「どんなことを云ったんです」と、半七は追いかけて訊いた。
(「それがおまえさん。とくじろうがしにぎわに、わたしはみせのおこのさんに)
「それがお前さん。徳次郎が死にぎわに、わたしは店のお此(この)さんに
(ころされたのだともうしたそうで・・・・・・」と、りへえはこごえでこたえた。)
殺されたのだと申したそうで……」と、利兵衛は小声で答えた。
(おこのというのは、やましろやのひとりむすめで、ちょうないでもひょうばんのきりょうよしで)
お此というのは、山城屋のひとり娘で、町内でも評判の容貌(きりょう)好しで
(あるが、どういうわけかえんどおくて、にじゅうろくしちになるまでしらはの)
あるが、どういうわけか縁遠くて、二十六七になるまで白歯(しらは)の
(きむすめであった。それがためにとかくよくないうわさが)
生娘(きむすめ)であった。それがために兎角(とかく)よくない噂が
(うみだされて、おこのはべんてんむすめというあだなでよばれていた。)
生み出されて、お此は弁天娘というあだ名で呼ばれていた。
(しかもそれがふつうにもちいられるよいいみではないので、やましろやのおやたちも)
しかもそれが普通に用いられる善い意味ではないので、山城屋の親たちも
(よほどそれをくにやんでいるらしかった。それらのじじょうははんしちも)
よほどそれを苦に病んでいるらしかった。それらの事情は半七も
(かねてしっていたが、そのおこのがどうしてこぞうをころしたか、)
かねて知っていたが、そのお此がどうして小僧を殺したか、
(かれもさすがにさっそくのはんだんをくだすことができなかった。)
彼もさすがに早速の判断を下すことが出来なかった。
(そのしあんのがんしょくをうかがいながら、りへえはつづけてかたりだした。)
その思案の眼色をうかがいながら、利兵衛はつづけて語り出した。
(「とくじろうがびょうきになりましたのは、ちょうどおひなさまのよいせっくのばんからで)
「徳次郎が病気になりましたのは、ちょうどお雛様の宵節句の晩からで
(ございまして、ほかのほうこうにんのはなしによりますと、ゆうがたからなんだかこうちゅうが)
ございまして、ほかの奉公人の話によりますと、夕方から何だか口中が
(いたむとかもうして、やしょくもろくろくにたべなかったそうでございます。)
痛むとか申して、夜食も碌々にたべなかったそうでございます。
(それがよあけごろからいよいよはげしくいたみだして、あしたのあさには)
それが夜あけ頃からいよいよ激しく痛み出して、あしたの朝には
(こうちゅうがはれふさがってしまいました。くちをきくことはもちろん、)
口中が腫れふさがってしまいました。口をきくことは勿論、
(ゆもかゆもくすりもなんにもとおらなくなりまして、しまいには)
湯も粥(かゆ)も薬もなんにも通らなくなりまして、しまいには
(かおいちめんがばけもののようにあかくはれあがってしまいました。)
顔一面が化け物のように赤く腫れあがってしまいました。
(したがって、ねつがでる、うなる、くるしむというわけで、いしゃも)
したがって、熱が出る、唸る、苦しむというわけで、医者も
(てのつけようがないようなしまつになりましたので、しゅじんはもちろん、)
手の着けようがないような始末になりましたので、主人は勿論、
(てまえどももいろいろとしんぱいいたしまして、とうとうやどのほうへさげることに)
手前共もいろいろと心配いたしまして、とうとう宿の方へ下げることに
(いたしましたのでございます。こんなびょうきになるについては、)
致しましたのでございます。こんな病気になるについては、
(なにかじぶんでこころあたりがないかと、びょうちゅうにもたびたびききましたが、)
なにか自分で心あたりがないかと、病中にもたびたび聞きましたが、
(ただうなっているばかりで、なんにももうしませんでした。それがやどへかえってから、)
ただ唸っているばかりで、なんにも申しませんでした。それが宿へ帰ってから、
(どうしてそんなことをもうしたのか、すこしふしぎにもおもわれますが、)
どうしてそんなことを申したのか、少し不思議にも思われますが、
(なにしろおこのさんがころしたなぞとはじつにとんでもないことで・・・・・・。)
なにしろお此さんが殺したなぞとは実に飛んでもないことで……。
(けさほどやどもとからとくぞうがまいりまして、ほとけのゆいごんというのを)
けさほど宿許(やどもと)から徳蔵がまいりまして、仏の遺言というのを
(たてにとって、どうもめんどうなことをもうします」)
楯に取って、どうも面倒なことを申します」