『少年探偵団』江戸川乱歩37
○少年探偵団シリーズ第2作品『少年探偵団』
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問題文
(かどのろうじんはかおいっぱいにみょうなにがわらいをうかべて、なにか)
門野老人は顔一杯にみょうな苦笑いを浮かべて、何か
(いいだしました。「ふくわじゅつですって、おお、どうして)
言い出しました。「腹話術ですって、おお、どうして
(わたしが、そんなまほうをつかえるでしょう。あけちせんせい、)
私が、そんな魔法を使えるでしょう。明智先生、
(あんまりでございます。このわたしが、おそろしい)
あんまりでございます。この私が、おそろしい
(にじゅうめんそうだなんて、まったくおもいもよらない)
二十面相だなんて、まったく思いもよらない
(ぬれぎぬでございます」ところが、このろうじんのことばが)
濡れ衣でございます」 ところが、この老人の言葉が
(おわるかおわらないかのあいだに、へやのいたどを)
終わるか終わらないかのあいだに、部屋の板戸を
(そとからとんとんとたたくおとがきこえてきました。)
外からトントンと叩く音が聞こえて来ました。
(「だれだね。ようじならあとにしておくれ。いまははいって)
「だれだね。用事ならあとにしておくれ。今は入って
(きちゃいけない」おおとりしがおおごえでどなりますと、)
来ちゃいけない」 大鳥氏が大声でどなりますと、
(いたどのそとからいがいなこえがきこえてきました。)
板戸の外から意外な声が聞こえて来ました。
(「わたしでございます。かどのです。ちょっと、ここを)
「私でございます。門野です。ちょっと、ここを
(あけてくださいませ」「え、かどのといったかね。)
あけてくださいませ」「え、門野と言ったかね。
(きみは、ほんとうにかどのくんなのか」おおとりしはぎょうてんして、)
きみは、本当に門野君なのか」 大鳥氏は仰天して、
(あわただしくいたどをひらきました。すると、おお、)
慌ただしく板戸をひらきました。すると、おお、
(ごらんなさい。そこには、まぎれもないかどのしはいにんが、)
ご覧なさい。そこには、まぎれもない門野支配人が、
(やつれたすがたでたっていたではありませんか。)
やつれた姿で立っていたではありませんか。
(「だんなさま、じつにもうしわけございません。ぞくによって)
「旦那さま、じつに申し訳ございません。賊によって
(ひどいめにあい、ついさきほど、あけちせんせいにたすけだして)
ひどい目に合い、つい先程、明智先生に助け出して
(いただいたのでございます」かどのろうじんはしゃざい)
いただいたのでございます」 門野老人は謝罪
(しながら、へやのなかのもうひとりのかどのをみつけ、)
しながら、部屋の中のもう一人の門野を見つけ、
(おもわずさけびました。「あ、あんたはいったいなにものじゃ」)
思わず叫びました。「あ、あんたは一体何者じゃ」
(なんというふしぎなこうけいでしょう。いや、ふしぎ)
なんという不思議な光景でしょう。いや、不思議
(というよりもぞーっとそうけだつような、なんとも)
というよりもゾーッと総毛立つような、何とも
(いえないおそろしさです。そこには、まるでかがみに)
いえないおそろしさです。そこには、まるで鏡に
(うつしたかのように、まったくおなじかおのふたりのろうじんが、)
写したかのように、まったく同じ顔の二人の老人が、
(てきいにもえるめでにらみあって、たちはだかっていた)
敵意に燃える目でにらみあって、立ちはだかっていた
(のです。おそろしいゆめにでも、うなされているような)
のです。おそろしい夢にでも、うなされているような
(こうけいではありませんか。だれひとり、ものをいわない)
光景ではありませんか。 だれ一人、物を言わない
(ばかりか、みうごきさえするものもおりません。すうじゅうびょうの)
ばかりか、身動きさえする者もおりません。数十秒の
(あいだ、えいがのかいてんがとつぜんとまったような、ぶきみな)
あいだ、映画の回転が突然止まったような、不気味な
(せいしとちんもくがつづきました。そのしずけさは、ごにんの)
静止と沈黙が続きました。 その静けさは、五人の
(うちのだれかがはげしいいきおいでうごきだしたのと、しょうじょの)
うちのだれかが激しい勢いで動き出したのと、少女の
(ようふくをきているこばやししょうねんが「あ、せんせい、にじゅうめんそうだ」)
洋服を着ている小林少年が「あ、先生、二十面相だ」
(とさけぶ、けたたましいこえによってやぶられました。)
と叫ぶ、けたたましい声によって破られました。
(さすがのにじゅうめんそうも、ほんもののかどのしはいにんがあらわれては、)
さすがの二十面相も、本物の門野支配人が現れては、
(もううんのつきでした。このごにおよんであらそっても)
もう運のつきでした。この期に及んで争っても
(かちめはないとさとったのでしょう。かれは、たたみが)
勝ち目はないと悟ったのでしょう。彼は、畳が
(あがったままになっているゆかしたへとびおりました。)
上がったままになっている床下へ飛び降りました。
(そして、そこにかがんでなにかしているなとおもうと、)
そして、そこにかがんで何かしているなと思うと、
(とつじょとしてしんじがたいきかいなできごとがおこった)
突如として信じがたい奇怪な出来事が起こった
(のです。ふしぎやふしぎ、あっというまににせものの)
のです。 不思議や不思議、アッというまに偽物の
(しはいにんのすがたが、まるでつちのなかへでももぐりこんだかの)
支配人の姿が、まるで土の中へでも潜り込んだかの
(ように、きえてしまいました。またしても、)
ように、消えてしまいました。 またしても、
(にじゅうめんそうはまほうをつかったのでしょうか。)
二十面相は魔法を使ったのでしょうか。
(かれはやっぱり、なにかしらきたいのようなものにばける)
彼はやっぱり、何かしら気体のようなものに化ける
(ほうほうをしゅうとくしていたのでしょうか。)
方法を習得していたのでしょうか。
(「とうそう」)
「逃走」
(「ははは、なにもおどろくことはありませんよ。にじゅうめんそうは)
「ハハハ、何も驚くことはありませんよ。二十面相は
(つちのしたへにげたのです」あけちこごろうはすこしもさわがず、)
土の下へ逃げたのです」 明智小五郎は少しも騒がず、
(あっけにとられているひとびとをみまわしてせつめいしました。)
あっけにとられている人々を見回して説明しました。
(「え、つちのなかですか。いったいそれはどういういみです」)
「え、土の中ですか。 一体それはどういう意味です」
(おおとりしがびっくりしてききかえします。)
大鳥氏がビックリして聞き返します。
(「つちのなかにひみつのぬけあながほってあったのです」)
「土の中に秘密の抜け穴が掘ってあったのです」
(「え、ぬけあなが」「そうですよ。にじゅうめんそうはおうごんとうを)
「え、抜け穴が」「そうですよ。二十面相は黄金塔を
(ぬすみだすために、あらかじめここのゆかしたへぬけあなを)
盗み出すために、あらかじめここの床下へ抜け穴を
(ほっておいて、しはいにんにばけ、あなたにほんもののとうを)
掘っておいて、支配人に化け、あなたに本物の塔を
(このゆかしたへうめることをすすめたのです。そして、)
この床下へ埋めることをすすめたのです。そして、
(ぶかのものがぬけあなからしのんできて、ちょうどそのあなの)
部下の者が抜け穴から忍んで来て、ちょうどその穴の
(いりぐちにあるとうを、なんのぞうさもなくもちさったという)
入り口にある塔を、何の造作もなく持ち去ったという
(わけですよ。ぞくのあしあとがみあたらなかったのは)
わけですよ。賊の足跡が見当たらなかったのは
(あたりまえです。つちのうえをあるいたのではなく、つちのなかを)
当たり前です。土の上を歩いたのではなく、土の中を
(はってきたのですからね」「しかし、わたしはあれを)
這って来たのですからね」「しかし、私はあれを
(ゆかしたへうめるのをみておりましたが、べつにぬけあな)
床下へ埋めるのを見ておりましたが、別に抜け穴
(らしいものはなかったようですが」「それはふたが)
らしいものはなかったようですが」「それはフタが
(してあったからですよ。まあ、ここへきて、よくごらん)
してあったからですよ。まあ、ここへ来て、よくご覧
(なさい。おおきなてっぱんであなをふさいで、そのうえにつちが)
なさい。大きな鉄板で穴をふさいで、その上に土が
(かぶせてあったのです。いま、にじゅうめんそうはそのてっぱんを)
かぶせてあったのです。今、二十面相はその鉄板を
(ひらいて、あなのなかにとびこんだのです。かきけす)
ひらいて、穴の中に飛び込んだのです。かき消す
(ようにみえなくなったのは、こういうことだった)
ように見えなくなったのは、こういうことだった
(のです」おおとりしもかどのろうじんも、そしてこばやししょうねんも、)
のです」 大鳥氏も門野老人も、そして小林少年も、
(いそいでそばによって、ゆかしたをながめましたが、)
急いでそばに寄って、床下をながめましたが、
(いかにもそこにはいちまいのてっぱんがしてあって、)
いかにもそこには一枚の鉄板がしてあって、
(そのそばにふるいいどのようなおおきなあなが、まっくろい)
そのそばに古い井戸のような大きな穴が、真っ黒い
(くちをひらいていました。「いったい、このあなはどこへ)
口をひらいていました。「一体、この穴はどこへ
(つづいているのでしょう」おおとりしがあきれはてたように)
続いているのでしょう」 大鳥氏があきれ果てたように
(たずねますと、あけちはそくざにこたえました。なにから)
たずねますと、明智は即座に答えました。何から
(なにまで、おみとおしなのです。「このうらてにあきやが)
何まで、お見通しなのです。「この裏手に空き家が
(あるでしょう。ぬけあなは、そのあきやのゆかへつづいて)
あるでしょう。抜け穴は、その空き家の床へ続いて
(いるのです」「でははやくおいかけないと、にげて)
いるのです」「では早く追いかけないと、逃げて
(しまうじゃありませんか。せんせい、はやくそのあきやの)
しまうじゃありませんか。先生、早くその空き家の
(ほうへまわってください」おおとりしは、もうきがきでは)
ほうへまわってください」 大鳥氏は、もう気が気では
(ないというちょうしです。「ははは、もうすでにその)
ないという調子です。「ハハハ、もう既にその
(あきやのぬけあなのでぐちのところには、なかむらそうさかかりちょうの)
空き家の抜け穴の出口の所には、中村捜査係長の
(ぶかがごにんもみはりをしていますよ。いまごろあいつを)
部下が五人も見張りをしていますよ。今頃あいつを
(ひっとらえているころでしょう」「ああ、)
ひっとらえている頃でしょう」「ああ、
(そうでしたか。よくそこまでじゅんびができましたねえ。)
そうでしたか。よくそこまで準備が出来ましたねえ。
(ありがとう。おかげでわたしはこんやから、よくねられる」)
ありがとう。おかげで私は今夜から、よく寝られる」
(おおとりしはあんどでむねをなでおろし、めいたんていのぬけめの)
大鳥氏は安堵で胸をなでおろし、名探偵の抜け目の
(ないしょちにかんしゃするのでした。しかしにじゅうめんそうは、)
ない処置に感謝するのでした。 しかし二十面相は、
(あけちのよそうどおり、はたしてごめいのけいかんにたいほされた)
明智の予想通り、果たして五名の警官に逮捕された
(のでしょうか。まるでまじゅつのようなこともやって)
のでしょうか。まるで魔術のようなこともやって
(のけるぞくのことです。もしや、いがいなわるぢえを)
のける賊のことです。もしや、意外な悪知恵を
(はたらかせて、めいたんていのけいかくのうらをかくようなことはない)
働かせて、名探偵の計画の裏をかくようなことはない
(でしょうか。ああ、なんとなくしんぱいでは)
でしょうか。ああ、なんとなく心配では
(ありませんか。そのとき、やみのぬけあなでは、いったい)
ありませんか。 その時、闇の抜け穴では、一体
(どんなことがおこっていたのでしょう。)
どんなことが起こっていたのでしょう。