六四天安門事件

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(ろくよんてんあんもんじけん(ろくしてんあんもんじけん)は、1989ねん6がつ4にち)

六四天安門事件(ろくしてんあんもんじけん)は、1989年6月4日

((にちようび)にちゅうかじんみんきょうわこくぺきんしにあるてんあんもんひろばに)

(日曜日)に中華人民共和国・北京市にある天安門広場に

(みんしゅかをもとめてしゅうけつしていたでもたいにたいし、ぐんたいがじつりょくこうしし、)

民主化を求めて集結していたデモ隊に対し、軍隊が実力行使し、

(たすうのししょうしゃをだしたじけんである。つうじょう、たんに「てんあんもんじけん」と)

多数の死傷者を出した事件である。通常、単に「天安門事件」と

(こしょうするばあいはこのじけんをさすが、よんごてんあんもんじけんとくべつするため)

呼称する場合はこの事件を指すが、四五天安門事件と区別するため

(「だいにじてんあんもんじけん」とよばれることもある。)

「第二次天安門事件」と呼ばれることもある。

(かいせつ)

解説

(ちゅうごくのしゅうへんくにでは、2ねんまえのどうじきにたいわんのちゅうかみんこくではのち)

中国の周辺国では、2年前の同時期に台湾の中華民国ではのち

(みんしゅかまえのいっぽぜんしんのかいげんれいかいじょや、かんこくのこうしゅうじけんからはじまった)

民主化前の一歩前進の戒厳令解除や、韓国の光州事件から始まった

(みんしゅかとうそうのすえのみんしゅかせんげんがたてつづけにおこり、ひがしあじあのこうはんいで)

民主化闘争の末の民主化宣言が立て続けに起こり、東アジアの広範囲で

(みんしゅかのなみがおしよせていた。)

民主化の波が押し寄せていた。

(みんしゅかとそのせいこうがいきおいづいたなみがおくれてとうたつしたちゅうごくこくないでもわかものの)

民主化とその成功が勢いづいた波が遅れて到達した中国国内でも若者の

(みんしゅかうんどうのたかまりがひろがり、みんしゅかをもとめるでもは、かいかくはだった)

民主化運動の高まりが広がり、民主化を求めるデモは、改革派だった

(こようほうもととうそうしょきのしがきっかけとなった。こようほうのそうぎまでに、)

胡耀邦元党総書記の死がきっかけとなった。胡耀邦の葬儀までに、

(せいじかいかくをもとめるがくせいをちゅうしんにやく10まんにんのひとびとがてんあんもんひろばにあつまった。)

政治改革を求める学生を中心に約10万人の人々が天安門広場に集まった。

(こうぎうんどうじたいは、こようほうがしきょした1989ねん4がつ15にちからしぜんはっせいてきに)

抗議運動自体は、胡耀邦が死去した1989年4月15日から自然発生的に

(はじまった。こうぎのさんかしゃたちはとうせいがなされておらず、しどうしゃもいなかったが、)

始まった。抗議の参加者たちは統制がなされておらず、指導者もいなかったが、

(なかにはちゅうごくきょうさんとうのとういん、とろつきすと、さはのもうたくとうしゅぎしゃ、)

中には中国共産党の党員、トロツキスト、左派の毛沢東主義者、

(つうじょうはせいふのこうぞうないぶのけんいしゅぎとけいざいのへんかくをようきゅうするこえにはんたいして)

通常は政府の構造内部の権威主義と経済の変革を要求する声 に反対して

(いたかいかくはのじゆうしゅぎしゃもふくまれていた。また、でもへのしえんはがいこくの)

いた改革派の自由主義者も含まれていた。また、デモへの支援は外国の

など

(にしがわしょこくからもおこなわれ、べいちゅうおうじょうほうきょく(cia)は、がくせいかつどうかたちの)

西側諸国からも行われ、米中央情報局(CIA)は、学生活動家たちの

(あいだにじょうほうていきょうしゃのねっとわーくをこうちくし、はんせいふうんどうのけいせいにせっきょくてきな)

間に情報提供者のネットワークを構築し、反政府運動の形成に積極的な

(きょうりょくをみせ、たいぷらいたーやふあっくすなどさまざまなきざいを)

協力を見せ、タイプライターやフアックスなどさまざまな機材を

(ていきょうしたとされる。のちに、ciaはえいmi6とともになんにんかの)

提供したとされる。のちに、CIAは英MI6とともに何人かの

(はんたいせいはしどうしゃのみつしゅっこくにかんよすることになる。)

反体制派指導者の密出国に関与することになる。

(でもはさいしょはてんあんもんひろばで、そしてひろばしゅうへんにしゅうちゅうしていたが、)

デモは最初は天安門広場で、そして広場周辺に集中していたが、

(のちにしゃんはいしをふくめたくにじゅうのとしにはきゅうしていった。)

のちに上海市を含めた国中の都市に波及していった。

(とうしょうへいちゅうぐんいしゅせきのけっていにより5がつ19にちにぺきんしにかいげんれいがふこくされ、)

鄧小平中軍委主席の決定により5月19日に北京市に戒厳令が布告され、

(ぶりょくかいにゅうのかのうせいがたかまったため、ちょうしようそうしょきやちしきじんたちは)

武力介入の可能性が高まったため、趙紫陽総書記や知識人たちは

(がくせいたちにたいし、でものへいわてきかいさんをうながしたが、がくせいたちのとうひょうでは)

学生たちに対し、デモの平和的解散を促したが、学生たちの投票では

(きょうこうはがたすうをしめ、でもけいぞくをきょうこうしたためしゅときのうはまひにおちいった。)

強硬派が多数を占め、デモ継続を強行したため首都機能は麻痺に陥った。

(1989ねん6がつ4にちみめい、ちゅうごくじんみんかいほうぐんはへいしとせんしゃでぺきんのとおりに)

1989年6月4日未明、中国人民解放軍は兵士と戦車で北京の通りに

(いどうして、でもたいのちんあつをかいしした。)

移動して、デモ隊の鎮圧を開始した。

(しょうとつのあと、ちゅうごくきょうさんとうとうきょくはこうはんいにわたってこうぎしゃとそのしじしゃの)

衝突のあと、中国共産党当局は広範囲に亘って抗議者とその支持者の

(たいほをじっこうし、がいこくのほうどうきかんをくにからしめだし、じこくのほうどうきかんに)

逮捕を実行し、外国の報道機関を国から締め出し、自国の報道機関に

(たいしてはじけんのほうどうをげんかくにとうせいさせた。かいげんれいふこくにはんたいした)

対しては事件の報道を厳格に統制させた。戒厳令布告に反対した

(ちょうしようは、そうしょきほかぜんやくしょくをかいにんされ、2005ねんにしきょするまで、)

趙紫陽は、総書記ほか全役職を解任され、2005年に死去するまで、

(じたくなんきんもとにおかれた。)

自宅軟禁下に置かれた。

(1989ねんなついこう、いっぱんに「てんあんもんじけん」というばあいはこのじけんをさす。)

1989年夏以降、一般に「天安門事件」という場合はこの事件を指す。

(ほかのてんあんもんじけん、とくに1976ねん4がつ5にちにしゅうおんらいそうりがしきょしたときに)

他の天安門事件、特に1976年4月5日に周恩来総理が死去したときに

(はっせいしたよんごてんあんもんじけん(だいいちじてんあんもんじけん)とくべつするため)

発生した四五天安門事件(第一次天安門事件)と区別するため

(「だいにじてんあんもんじけん」とよばれることもある。)

「第二次天安門事件」と呼ばれることもある。

(りゃくしたつうしょうはろくよん、またちゅうかじんみんきょうわこくないのけんさくえんじんにて、)

略した通称は六四、また中華人民共和国内の検索エンジンにて、

(「ろくよんてんあんもんじけん」というきーわーどをけんさくするとせつぞくふかのうに)

「六四天安門事件」というキーワードを検索すると接続不可能に

(なることから、「5がつ35にち(5がつ31にち+4にち)」、)

なることから、「5月35日(5月31日+4日)」、

(「viiv(ろーますうじの6と4をならべたもの)」や、)

「VIIV(ローマ数字の6と4を並べたもの)」や、

(「82(8の2じょうをあらわすすうがくきほうで、そのねが64=6がつ4にち)」などを、)

「82(8の2乗を表す数学記法で、その値が64=6月4日)」などを、

(いんごとしてつかうことがある。「1989ねん」は「みんこく78ねん」、)

隠語として使うことがある。「1989年」は「民国78年」、

(「へいせいがんねん」とへんかんすることもある。)

「平成元年」と変換することもある。

(こうぎしゃにたいするぶりょくだんあつにより、ちゅうごくきょうさんとうはこくないだけでなく)

抗議者に対する武力弾圧により、中国共産党は国内だけでなく

(こくさいしゃかいからつうれつなひはんをあびた。ししゃすうについては、)

国際社会から痛烈な批判を浴びた。死者数については、

(ちゅうごくとうきょくは319にんとしているが、たこくのじょうほうでは、すうひゃくにんからすうせんにん、)

中国当局は319人としているが、他国の情報では、数百人から数千人、

(あるいは1まんにんにのぼるとするものもある。)

あるいは1万人にのぼるとするものもある。

(じけんがいよう)

事件概要

(「ひゃっかせいほうひゃっかそうめい」)

「百花斉放・百家争鳴」

(ちゅうかじんみんきょうわこく)

中華人民共和国

(ちゅうかじんみんきょうわこくのこくしょう)

中華人民共和国の国章

(ちゅうかじんみんきょうわこくのれきし)

中華人民共和国の歴史

(そしきしゅうだん)

組織集団

(ちゅうごくきょうさんとうとうのしどうせい)

中国共産党  党の指導性

(ちゅうごくじんみんかいほうぐんちゅうごくぶしょうりきりょう)

中国人民解放軍   中国武裝力量

(おもなできごと)

主な出来事

(けんこくせんげん)

建国宣言

(ちべっとしんこうういぐるしんこう)

チベット侵攻  ウイグル侵攻

(ちょうせんせんそう)

朝鮮戦争

(ちゅうそたいりつ)

中ソ対立

(だいやくしんせいさく(だいききん))

大躍進政策(大飢饉)

(なかいんせんそう)

中印戦争

(はつのげんばくじっけん)

初の原爆実験

(ぶんかだいかくめい)

文化大革命

(りんぴょうじけん)

林彪事件

(あるばにあけつぎ)

アルバニア決議

(ちゅうえつせんそうちゅうえつこっきょうふんそう)

中越戦争  中越国境紛争

(かいかくかいほう)

改革開放

(ひとりっこせいさく)

一人っ子政策

(ろくよんてんあんもんじけん)

六四天安門事件

(ほんこんへんかんまかおへんかん)

香港返還 マカオ返還

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神舟5号の有人宇宙飛行

(2008ねんぺきんおりんぴっく)

2008年北京オリンピック

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米中貿易戦争

(ほんこんみんしゅかでも)

香港民主化デモ

(2022ねんぺきんおりんぴっく)

2022年北京オリンピック

(りねん)

理念

(まるくすれーにんしゅぎ)

マルクス・レーニン主義

(もうたくとうしそうとうしょうへいりろん)

毛沢東思想  鄧小平理論

(4つのきほんげんそくみっつのだいひょう)

4つの基本原則 三つの代表

(ひとつのちゅうごくかがくてきはつてんかん)

一つの中国 科学的発展観

(きゅうだんせんいったいいちろ)

九段線 一帯一路

(しゅうきんぺいしそう)

習近平思想

(さいこうしどうしゃ)

最高指導者

(もうたくとうかこくほうとうしょうへい)

毛沢東 華国鋒 鄧小平

(こうたくみんこきんとうしゅうきんぺい)

江沢民 胡錦濤 習近平

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