紫式部 源氏物語 帚木 10 與謝野晶子訳

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問題文

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(ちいさなかたちでおんながひとりねていた。やましくおもいながらかおをおおうたきものをげんじが)

小さな形で女が一人寝ていた。やましく思いながら顔を掩うた着物を源氏が

(てでひきのけるまでおんなは、さっきよんだにょうぼうのちゅうじょうがきたのだとおもっていた。)

手で引きのけるまで女は、さっき呼んだ女房の中将が来たのだと思っていた。

(「あなたがちゅうじょうをよんでいらっしゃったから、わたくしのおもいがつうじたのだとおもって」)

「あなたが中将を呼んでいらっしゃったから、私の思いが通じたのだと思って」

(とげんじのさいしょうのちゅうじょうはいいかけたが、おんなはおそろしがって、)

と源氏の宰相中将は言いかけたが、女は恐ろしがって、

(ゆめにおそわれているようなふうである。「や」というつもりがあるが、)

夢に襲われているようなふうである。「や」と言うつもりがあるが、

(かおによぎがさわってこえにはならなかった。)

顔に夜着がさわって声にはならなかった。

(「できごころのようにあなたはおもうでしょう。もっともだけれど、)

「出来心のようにあなたは思うでしょう。もっともだけれど、

(わたくしはそうじゃないのですよ。)

私はそうじゃないのですよ。

(ずっとまえからあなたをおもっていたのです。それをきいていただきたいので)

ずっと前からあなたを思っていたのです。それを聞いていただきたいので

(こんなきかいをまっていたのです。だからすべてみなぜんしょうのえんがみちびくのだと)

こんな機会を待っていたのです。だからすべて皆前生の縁が導くのだと

(おもってください」 やわらかいちょうしである。かみさまだってこのひとには)

思って下さい」 柔らかい調子である。神様だってこの人には

(かんだいであらねばならぬだろうとおもわれるうつくしさでちかづいているのであるから、)

寛大であらねばならぬだろうと思われる美しさで近づいているのであるから、

(ろこつに、 「しらぬひとがこんなところへ」)

露骨に、 「知らぬ人がこんな所へ」

(ともののしることができない。しかもおんなはなさけなくてならないのである。)

ともののしることができない。しかも女は情けなくてならないのである。

(「ひとまちがえでいらっしゃるのでしょう」 やっと、いきよりもひくいこえでいった。)

「人まちがえでいらっしゃるのでしょう」 やっと、息よりも低い声で言った。

(とうわくしきったようすがやわらかいかんじであり、かれんでもあった。)

当惑しきった様子が柔らかい感じであり、可憐でもあった。

(「ちがうわけがないじゃありませんか。こいするひとのちょっかくで)

「違うわけがないじゃありませんか。恋する人の直覚で

(あなただとおもってきたのに、あなたはしらぬかおをなさるのだ。)

あなただと思って来たのに、あなたは知らぬ顔をなさるのだ。

(ふつうのこうしょくものがするようなしつれいをわたくしはしません。)

普通の好色者がするような失礼を私はしません。

(すこしだけわたくしのこころをきいていただければそれでよいのです」)

少しだけ私の心を聞いていただければそれでよいのです」

など

(といって、こがらなひとであったから、かたてでだいていぜんのからかみのところへでてくると、)

と言って、小柄な人であったから、片手で抱いて以前の襖子の所へ出て来ると、

(さっきよばれていたちゅうじょうらしいにょうぼうがむこうからきた。 「ちょいと」)

さっき呼ばれていた中将らしい女房が向こうから来た。 「ちょいと」

(とげんじがいったので、ふしぎがってさぐりよってくるときに、たきこめたげんじの)

と源氏が言ったので、不思議がって探り寄って来る時に、薫き込めた源氏の

(いふくのこうがかおにふきよってきた。ちゅうじょうは、これがだれであるかも、)

衣服の香が顔に吹き寄ってきた。中将は、これがだれであるかも、

(なんであるかもわかった。なさけなくて、どうなることかとしんぱいでならないが、)

何であるかもわかった。情けなくて、どうなることかと心配でならないが、

(なんともいろんのはさみようがない。なみなみのおとこであったならできるだけの)

何とも異論のはさみようがない。並み並みの男であったならできるだけの

(ちからのていこうもしてみるはずであるが、しかもそれだってあらだててたすうのひとに)

力の抵抗もしてみるはずであるが、しかもそれだって荒だてて多数の人に

(しらせることはふじんのふめいよになることであって、しないほうがよいのかも)

知らせることは夫人の不名誉になることであって、しないほうがよいのかも

(しれない。こうおもってむねをとどろかせながらしたがってきたが、げんじのちゅうじょうは)

しれない。こう思って胸をとどろかせながら従ってきたが、源氏の中将は

(このちゅうじょうをまったくむししていた。はじめのざしきへだいていっておんなをおろして、)

この中将をまったく無視していた。初めの座敷へ抱いて行って女をおろして、

(それからからかみをしめて、 「よあけにおむかえにくるがいい」)

それから襖子をしめて、 「夜明けにお迎えに来るがいい」

(といった。ちゅうじょうはどうおもうであろうと、おんなはそれをきいただけでもしぬほどの)

と言った。中将はどう思うであろうと、女はそれを聞いただけでも死ぬほどの

(くつうをあじわった。ながれるほどのあせになってなやましそうなおんなにどうじょうはおぼえながら、)

苦痛を味わった。流れるほどの汗になって悩ましそうな女に同情は覚えながら、

(おんなにたいするれいのせいじつなちょうしで、おんなのこころがとうぜんうごくはずだとおもわれるほどに)

女に対する例の誠実な調子で、女の心が当然動くはずだと思われるほどに

(いっても、おんなはにんげんのおきてにゆるされていないこいにきょうめいしていない。)

言っても、女は人間の掟に許されていない恋に共鳴していない。

(「こんなごむりをうけたまわることがげんじつのことであろうとはおもわれません。)

「こんな御無理を承ることが現実のことであろうとは思われません。

(いやしいわたくしですが、けいべつしてもよいものだというあなたのおこころもちを)

卑しい私ですが、軽蔑してもよいものだというあなたのお心持ちを

(わたくしはふかくおうらみにおもいます。わたくしたちのかいきゅうとあなたさまたちのかいきゅうとは、)

私は深くお恨みに思います。私たちの階級とあなた様たちの階級とは、

(とおくはなれてべつべつのものなのです」 こういって、)

遠く離れて別々のものなのです」 こう言って、

(つよさでじぶんをせいふくしようとしているおとこをにくいとおもうようすは、)

強さで自分を征服しようとしている男を憎いと思う様子は、

(げんじをじゅうぶんにはんせいさすちからがあった。 「わたくしはまだじょせいにかいきゅうのあることも)

源氏を十分に反省さす力があった。 「私はまだ女性に階級のあることも

(なにもしらない。はじめてのけいけんなんです。ふつうのたじょうなおとこのように)

何も知らない。はじめての経験なんです。普通の多情な男のように

(おとりあつかいになるのをうらめしくおもいます。あなたのみみにも)

お取り扱いになるのを恨めしく思います。あなたの耳にも

(しぜんはいっているでしょう。むやみなこいのぼうけんなどわたくしはしたこともありません。)

自然はいっているでしょう。むやみな恋の冒険など私はしたこともありません。

(それにもかかわらずぜんしょうのいんねんはおおきなちからがあって、わたくしをあなたにちかづけて、)

それにもかかわらず前生の因縁は大きな力があって、私をあなたに近づけて、

(そしてあなたからこんなにはずかしめられています。)

そしてあなたからこんなにはずかしめられています。

(ごもっともだとあなたになってかんがえればかんがえられますが、)

ごもっともだとあなたになって考えれば考えられますが、

(そんなことをするまでにわたくしはこのこいにもうもくになっています」)

そんなことをするまでに私はこの恋に盲目になっています」

(まじめになっていろいろとげんじはとくが、おんなのひややかなたいどは)

まじめになっていろいろと源氏は説くが、女の冷ややかな態度は

(かわっていくけしきもない。おんなは、いっせいのびなんであればあるほど、)

変わっていくけしきもない。女は、一世の美男であればあるほど、

(このひとのこいびとになってやすんじているじぶんにはなれない、)

この人の恋人になって安んじている自分にはなれない、

(れいけつてきなおんなだとおもわれてやむのがのぞみであるとかんがえて、きわめてよわいひとが)

冷血的な女だと思われてやむのが望みであると考えて、きわめて弱い人が

(つよさをしいてつけているのはなよたけのようで、さすがにおることはできなかった。)

強さをしいてつけているのは弱竹のようで、さすがに折ることはできなかった。

(しんからあさましいことだとおもうふうになくようすなどがかれんであった。)

真からあさましいことだと思うふうに泣く様子などが可憐であった。

(きのどくではあるがこのままでわかれたらのちのちまでも)

気の毒ではあるがこのままで別れたらのちのちまでも

(こうかいがじぶんをくるしめるであろうとげんじはおもったのであった。)

後悔が自分を苦しめるであろうと源氏は思ったのであった。

(もうどんなにかってなかんがえかたをしてもすくわれないかしつをしてしまったと、)

もうどんなに勝手な考え方をしても救われない過失をしてしまったと、

(おんなのかなしんでいるのをみて、 「なぜそんなにわたくしがにくくばかり)

女の悲しんでいるのを見て、 「なぜそんなに私が憎くばかり

(おもわれるのですか。おじょうさんかなにかのようにあなたのかなしむのがうらめしい」)

思われるのですか。お嬢さんか何かのようにあなたの悲しむのが恨めしい」

(と、げんじがいうと、 「わたくしのうんめいがまだわたくしをひとづまにしませんとき、)

と、源氏が言うと、 「私の運命がまだ私を人妻にしません時、

(おやのいえのむすめでございましたときに、こうしたあなたのねつじょうでおもわれましたのなら、)

親の家の娘でございました時に、こうしたあなたの熱情で思われましたのなら、

(それはわたくしのまよいであっても、たじつにこうみょうのあるようなことも)

それは私の迷いであっても、他日に光明のあるようなことも

(おもったでございましょうが、もうなにもだめでございます。わたくしにはこいもなにも)

思ったでございましょうが、もう何もだめでございます。私には恋も何も

(いりません。ですからせめてなかったことだとおもってしまってください」)

いりません。ですからせめてなかったことだと思ってしまってください」

(という。かなしみにしずんでいるおんなをげんじももっともだとおもった。)

と言う。悲しみに沈んでいる女を源氏ももっともだと思った。

(まごころからなぐさめのことばをはっしているのであった。)

真心から慰めの言葉を発しているのであった。

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