ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム2
関連タイピング
問題文
(うぉー・ぎると・いんふぉめーしょん・ぷろぐらむ2)
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム2
(wgipのないようはすべてcieのきのうにふくまれている。)
WGIPの内容はすべてCIEの機能に含まれている。
(とうしょはcieにwarguilt&anti-millitarist)
当初はCIEにWar Guilt & Anti-Millitarist
(これまで「せんぱん・はんぐんこくしゅぎ」とやくされてきた)、あるいは)
(これまで「戦犯・反軍国主義」と訳されてきた)、あるいは
(warguilt&criminalというめいしょうのかぶそしき)
War Guilt & Criminalという名称の下部組織
((あとに「か」)がおかれていた(1945ねん11がつのそしきかいへんでしょうめつ)。)
(後に「課」)が置かれていた(1945年11月の組織改編で消滅)。
(wgipは「なにをつたえさせるか」というせっきょくてきなせいさくであり、けんえつなどの)
WGIPは「何を伝えさせるか」という積極的な政策であり、検閲などの
(ような「なにをつたえさせないか」というしょうきょくてきなせいさくとひょうりいったいの)
ような「何を伝えさせないか」という消極的な政策と表裏一体の
(かんけいであり、こうしゃのれいとしてぷれすこーどがだいひょうてきである。1946ねん)
関係であり、後者の例としてプレスコードが代表的である。1946年
((しょうわ21ねん)11がつまつにすでに「さくじょまたはけいさいはっこうきんしのたいしょう)
(昭和21年)11月末にすでに「削除または掲載発行禁止の対象
(となるもの」として「scap-れんごうこくさいこうしれいかん(しれいぶ)にたいするひはん」)
となるもの」として「SCAP-連合国最高司令官(司令部)に対する批判」
(など30こうもくにおよぶけんえつししんがまとめられていたことが、)
など30項目に及ぶ検閲指針がまとめられていたことが、
(べいこくりつこうぶんしょかんぶんしつしょざいのしりょうによってあきらかである。)
米国立公文書館分室所在の資料によって明らかである。
(ぷらんげぶんこほぞんのたいぷこぴーには、たしょうのちがいがあるが)
プランゲ文庫保存のタイプコピーには、多少の違いがあるが
(どうようのけんえつししんとしてぐたいてきないようがあげられている。)
同様の検閲指針として具体的内容が挙げられている。
(「ぷれすこーど」もさんしょう)
「プレスコード」も参照
(ちゅうごくきょうさんとうによる「にふんほう」)
中国共産党による「二分法」
(2014ねん7がつ、いぎりすこくりつこうぶんしょかんがしょぞうするえいこくないのすぱいてきはつや)
2014年7月、イギリス国立公文書館が所蔵する英国内のスパイ摘発や
(こっかきみつろうえいそしなどのぼうちょうをになうmi5などのひみつぶんしょのうち、)
国家機密漏洩阻止などの防諜を担うMI5などの秘密文書のうち、
(「きょうさんしゅぎしゃとそのきょうかんしゃ」となづけられたかてごりーに)
「共産主義者とその共感者」と名付けられたカテゴリーに
(「のーまん・ふぁいる」(ぶんるいばんごうkv2/3261)があることがこうひょうされ、)
『ノーマン・ファイル』(分類番号KV2/3261)があることが公表され、
(せんごににほんでghqのつうやくをしてにほんきょうさんとうをしえんしていた)
戦後に日本でGHQの通訳をして日本共産党を支援していた
(えどがーとん・はーばーと・のーまんについてがい・りっでるmi5ふくちょうかん)
エドガートン・ハーバート・ノーマンについてガイ・リッデルMI5副長官
(からかなだれんぽうきばけいさつ(rcmp)にこるそんちょうかんにあてた)
からカナダ連邦騎馬警察(RCMP)ニコルソン長官に宛てた
(1951ねん10がつ9にちつきのしょかんないで「いぎりすきょうさんとうにふかくかんけいしていた)
1951年10月9日付の書簡内で「イギリス共産党に深く関係していた
(ことはうたがいようがない」ときょうさんしゅぎしゃのすぱいだとしるされていたことが)
ことは疑いようがない」と共産主義者のスパイだと記されていたことが
(はんめいした。どうふぁいるには、ghqでまっかーさーのせいじこもんつきほさかん)
判明した。同ファイルには、GHQでマッカーサーの政治顧問付補佐官
(だったべいこくがいこうかん、じょん・えまーそん(えいごばん)がのーまんの)
だった米国外交官、ジョン・エマーソン(英語版)がノーマンの
(きょうさんしゅぎしゃぎわくにかんれんしてべいじょういんこくないちあんしょういいんかいでしょうげんした)
共産主義者疑惑に関連して米上院国内治安小委員会で証言した
(きろくがふくまれていた。)
記録が含まれていた。
(「のーまん・ふぁいる」によると、えまーそんは1944ねん11がつに)
『ノーマン・ファイル』によると、エマーソンは1944年11月に
(あめりかぐんことしさつだん(えいごばん)のせんじじょうほうきょく(owi)のいちいんとしてちゅうごく)
アメリカ軍事視察団(英語版)の戦時情報局(OWI)の一員として中国
(えんあんをおとずれ、どうちでちゅうごくきょうさんとうがのさかさんぞうとにほんじんみんかいほうれんめいを)
延安を訪れ、同地で中国共産党が野坂参三と日本人民解放連盟を
(つうじてにほんぐんほりょにしんりせん(せんのうこうさく)をおこない、せいこうしていることを)
通じて日本軍捕虜に心理戦(洗脳工作)をおこない、成功していることを
(しった。それはぐんこくしゅぎしゃとじんみんをくべつする「にふんほう」をもちいて、)
知った。それは軍国主義者と人民を区別する「二分法」を用いて、
(ぐんこくしゅぎしゃへのひはんとじんみんへのどうじょうをくりかえしよびかけ、)
軍国主義者への批判と人民への同情を繰り返し呼びかけ、
(ほりょにはんせん・しょくざいいしきをうえつけていくないようだった。)
捕虜に反戦・贖罪意識を植え付けていく内容だった。
(たかはししろうは、せんりょうぐんはにほんじんにせんそうはんざいのいしきをすりこませるために、)
高橋史朗は、占領軍は日本人に戦争犯罪の意識を刷り込ませる為に、
(きょうさんしゅぎしゃやしゃかいしゅぎしゃをりようし、「せいしんてきぶそうかいじょ」をじつげんさせるために)
共産主義者や社会主義者を利用し、「精神的武装解除」を実現させる為に
(さよくやりべらるはをりようして「ないぶからのじこほうかい」を「きょういくのみんしゅか」)
左翼やリベラル派を利用して「内部からの自己崩壊」を「教育の民主化」
(のびなのもとにしえんすることがせんりょうぐんのこんぽんてきなせいさくだった、とのべている。)
の美名の下に支援することが占領軍の根本的な政策だった、と述べている。
(えまーそんは、えんあんにおけるせんのうこうさくのせいかがあめりかのたいにちせいさくにも)
エマーソンは、延安における洗脳工作の成果がアメリカの対日政策にも
(やくだつとかんがえた。あとにおおもりみのるにたいし、「(えんあんでのしゅうかくをもとににほんに)
役立つと考えた。後に大森実に対し、「(延安での収穫を元に日本に
(こうふくをかんこくするせんでんとせんごにたいするしんりさくせんをかんがえた」とかたっている。)
降伏を勧告する宣伝と戦後に対する心理作戦を考えた」と語っている。
(さんけいしんぶんは、ghqがせんりょうかのにほんで「ぐんこくしゅぎしゃ」と「こくみん」のぶんだんを)
産経新聞は、GHQが占領下の日本で「軍国主義者」と「国民」の分断を
(いとしたせいさくをじっししたとし、これらはえまーそんが「にふんほう」を)
意図した政策を実施したとし、これらはエマーソンが「二分法」を
(もちいたちゅうごくきょうさんとうのせんのうしゅほうからまなんだものであるとしている。)
用いた中国共産党の洗脳手法から学んだものであるとしている。
(けいい)
経緯
(1945ねん(しょうわ20ねん)7がつ26にちにはっせられたぽつだむせんげんのだい6こうには)
1945年(昭和20年)7月26日に発せられたポツダム宣言の第6項には
(「われらはむせきにんなるぐんこくしゅぎがせかいよりくちくせらるるにいたりるまではへいわ、)
「吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、
(あんぜんおよびせいぎのしんちつじょがなまじどくざることをしゅちょうするものなるをおもんみて)
安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ
(にっぽんこくこくみんをぎまんしのをしてせかいせいふくのきょにでづるのかごを)
日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ
(はんさしめたるしゃのけんりょくおよびせいりょくはえいきゅうにじょきょせられざるべからず」)
犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」
(としるされており、8がつ14にちににほんせいふはこのせんげんをじゅだくした。)
と記されており、8月14日に日本政府はこの宣言を受諾した。
(9がつ22にちのこうふくごにおいてけるべいこくのしょきのたいにちほうしんでべいこくは)
9月22日の降伏後ニ於ケル米国ノ初期ノ対日方針で米国は
(まっかーさーにたいし「にっぽんこくこくみんにたいしてはそれのげんざいおよびしょうらいの)
マッカーサーに対し「日本国国民ニ対シテハ其ノ現在及将来ノ
(くきょうしょうらいにぜきしりくかいぐんしどうしゃおよびそののきょうりょくしゃがためしたるやくわりを)
苦境招来ニ関シ陸海軍指導者及其ノ協力者ガ為シタル役割ヲ
(てっていてきにちらしむるためいっさいのどりょくがためさるべし」としれいした。)
徹底的ニ知ラシムル為一切ノ努力ガ為サルベシ」と指令した。
(ghqは1945ねん10がつ2にち、いっぱんめいれいだいよんごうにおいて「かくそうのにほんじんに、)
GHQは1945年10月2日、一般命令第四号に於いて「各層の日本人に、
(かれらのはいぼくとせんそうにかんするつみ、げんざいおよびしょうらいのにほんのくなんときゅうぼうに)
彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に
(たいするぐんこくしゅぎしゃのせきにん、れんごうこくのぐんじせんりょうのりゆうともくてきを、)
対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、
(しゅうちてっていせしめること」とかんこくした。)
周知徹底せしめること」と勧告した。
(べいこくせいふはれんごうこくぐんさいこうしれいかんにたいし11がつ3にち、にほんせんりょうおよびかんりの)
米国政府は連合国軍最高司令官に対し11月3日、日本占領及び管理の
(ためのこうふくごにおけるしょきのきほんてきしれいをはっし「きかんは、てきとうなほうほうを)
ための降伏後における初期の基本的指令を発し「貴官は、適当な方法を
(もって、にほんじんみんのぜんかいそうにたいしそのはいぼくのじじつをめいりょうにしなければ)
もって、日本人民の全階層に対しその敗北の事実を明瞭にしなければ
(ならない。かれらのくつうとはいぼくは、にほんのふほうにしてむせきにんなしんりゃくこういに)
ならない。彼らの苦痛と敗北は、日本の不法にして無責任な侵略行為に
(よってもたらされたものであるということ、またにほんじんのせいかつと)
よってもたらされたものであるということ、また日本人の生活と
(しょせいどからぐんこくしゅぎがじょきょされたときはじめてにほんはこくさいしゃかいへ)
諸制度から軍国主義が除去されたとき初めて日本は国際社会へ
(さんかすることがゆるされるものであるということをかれらにたいして)
参加することが許されるものであるということを彼らに対して
(にんしきさせなければならない。かれらがたこくみんのけんりとにほんのこくさいぎむを)
認識させなければならない。彼らが他国民の権利と日本の国際義務を
(そんちょうするひぐんこくしゅぎてきでみんしゅしゅぎてきなにほんをはってんさせるものと)
尊重する非軍国主義的で民主主義的な日本を発展させるものと
(きたいされているということをかれらにしらせなければならない。)
期待されているということを彼らに知らせなければならない。
(きかんは、にほんのぐんじせんりょうは、れんごうこくのりえきのためおこなわれるものであり、)
貴官は、日本の軍事占領は、連合国の利益のため行われるものであり、
(にほんのしんりゃくのうりょくとせんりょくをはかいするため、またにほんにわざわいをもたらした)
日本の侵略能力と戦力を破壊するため、また日本に禍をもたらした
(ぐんこくしゅぎとぐんこくしゅぎてきしょせいどをじょきょするためにひつようなものであるという)
軍国主義と軍国主義的諸制度を除去するために必要なものであるという
(ことをめいりょうにしてやらなければならない。(かりゃく)」とめいれいした。)
ことを明瞭にしてやらなければならない。(下略)」と命令した。
(どう12がつ8にち、ghqはしんぶんしゃにたいしようしをとくはいし、にほんぐんのざんぎゃくこういを)
同12月8日、GHQは新聞社に対し用紙を特配し、日本軍の残虐行為を
(きょうちょうした「たいへいようせんそうし」をれんさいさせた。そのまえがきはつぎのぶんげんではじまる。)
強調した「太平洋戦争史」を連載させた。その前書は次の文言で始まる。
(にほんのぐんこくしゅぎしゃがこくみんにたいしておかしたつみはまいきょにいとま(いとま))
日本の軍国主義者が国民に対して犯した罪は枚挙に遑(いとま)
(がないほどであるが、そのうちいくぶんかはすでにこうひょうされているものの、)
がないほどであるが、そのうち幾分かは既に公表されてゐるものの、
(そのおおくはいまだはくじつのもとにさらされてをらず、ときのたつにじゅうつてつぎつぎに)
その多くは未だ白日の下に曝されてをらず、時のたつに従つて次々に
(うごかすことのできぬめいりょうなしりょうによつてはっぴょうされていくことにならう。(かりゃく))
動かすことの出来ぬ明瞭な資料によつて発表されて行くことにならう。(下略)
(それとへいこうし、ghqはよく9にちからnhkのらじおをりようして)
それと平行し、GHQは翌9日からNHKのラジオを利用して
(「しんそうはかうだ」のほうそうをかいしした。ばんぐみはそのあと、「しんそうはこ」)
「真相はかうだ」の放送を開始した。番組はその後、「真相箱」
(とうへめいしょうやていさいをかえつつぞっこうされた。1948ねん(しょうわ23ねん))
等へ名称や体裁を変えつつ続行された。1948年(昭和23年)
(いこうばんぐみはみんかんじょうほうきょういくきょく(cie)のしじによりきゃんぺーんをおこなう)
以降番組は民間情報教育局 (CIE) の指示によりキャンペーンを行う
(いんふぉめーしょん・あわーへとかわった。)
インフォメーション・アワーへと変わった。
(1945ねん(しょうわ20ねん)12がつ15にち、ghqはしんとうしれいをはっするとともに、)
1945年(昭和20年)12月15日、GHQは神道指令を発すると共に、
(いごけんえつによって「だいとうあせんそう」というぶんげんをきょうせいてきにすべて)
以後検閲によって「大東亜戦争」という文言を強制的に全て
(「たいへいようせんそう」へとかきかえさせげんろんをとうせいした。とうじ、べいぐんけんえつかんが)
「太平洋戦争」へと書換えさせ言論を統制した。当時、米軍検閲官が
(かいふうしたししん(えとうは「せんちにいるにくしんへのゆうびん」かという))
開封した私信(江藤は「戦地にいる肉親への郵便」かという)
(はつぎのようなぶんげんでうめつくされていた。)
は次のような文言で埋めつくされていた。
(とつぜんのことなのでおどろいております。せいふがいくらさいあくのじたいになった)
突然のことなので驚いております。政府がいくら最悪の事態になった
(といっても、せいせんかんすいをちかったいじょうはいぬじにはしたくありません。)
といっても、聖戦完遂を誓った以上は犬死はしたくありません。
(てきはじんどうしゅぎ、こくさいしゅぎなどととなえていますが、にほんじんにたいしてした)
敵は人道主義、国際主義などと唱えていますが、日本人に対してした
(あのしょぎょうはどうでしょうか。かずしれぬせんそうぎせいしゃのことを)
あの所業はどうでしょうか。数知れぬ戦争犠牲者のことを
(おもってほしいとおもいます。にくしみをかんじないわけにはいきません」(8がつ16にちつき))
思ってほしいと思います。憎しみを感じないわけにはいきません」
(だいとうあせんそうがみじめなけつまつをむかえたのはごしょうちのとおりです。)
大東亜戦争がみじめな結末を迎えたのは御承知の通りです。
(つうがくのとちゅうにも、ほかのばしょでも、あのにくいべいへいのすがたをみかけなければ)
通学の途中にも、他の場所でも、あの憎い米兵の姿を見かけなければ
(ならなくなりました。きょうのごごには、べいへいがなんにんかがっこうのちかくの)
ならなくなりました。今日の午後には、米兵が何人か学校の近くの