ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

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(うぉー・ぎると・いんふぉめーしょん・ぷろぐらむ)

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

((えいご:warguiltinformationprogram)は、)

(英語:War Guilt Information Program)は、

((たいへいようせんそう)しゅうけつご、れんごうこくぐんさいこうしれいかんそうしれいぶ)

(太平洋戦争)終結後、連合国軍最高司令官総司令部

((ghq/scap、いかghqとりゃっき)がにほんせんりょうせいさくの)

(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)が日本占領政策の

(いっかんとしてたんきいったといわれるにほんこくみんにたいするさいきょういくけいかく。)

一環として短期行ったといわれる日本国民に対する再教育計画。

(「せんそうせきにん(うぉー・ぎると)こうほう(いんふぉめーしょん))

「戦争責任(ウォー・ギルト)広報(インフォメーション)

(けいかく(ぷろぐらむ)」せんぱんさいばんのきろく・じょうほうとうをこうかいしたもの。)

計画(プログラム)」戦犯裁判の記録・情報等を公開したもの。

(このじょうほうのきろくはにほんのどくりつぎょうせいほうじんのこくりつこうぶんしょかんにある。)

この情報の記録は日本の独立行政法人の国立公文書館にある。

(1.について)

1.について

(1.の「うぉー・ぎると・いんふぉめーしょん・ぷろぐらむ」)

1.の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」

(でおもにおこなわれたのは、れんごうくにがわがていきょうしたじょうほうにもとづいて、)

で主に行われたのは、連合国側が提供した情報に基づいて、

(じじつじょうれんごうこくがわのけんちにたったかいしゃくでせんそうのけいかをふりかえる)

事実上連合国側の見地に立った解釈で戦争の経過を振り返る

(しんぶんきじを10にちかんけいさいし、およびれんごうこくがわのけんちにたった)

新聞記事を10日間掲載し、および連合国側の見地に立った

(かいしゃくでせんそうのけいかをふりかえるしゅう1かいのらじおほうそうを)

解釈で戦争の経過を振り返る週1回のラジオ放送を

(やく2かげつかんほうそうしたことだったとされる(そのあと、ちょうしゅしゃからの)

約2か月間放送したことだったとされる(その後、聴取者からの

(しつといにこたえるばんぐみをきゅうかげつほうそう)。)

質問に答える番組を九か月放送)。

(めいしょうは、えとうじゅんが1989ねんにじちょでしょうかいしたのがさいしょであるが、)

名称は、江藤淳が1989年に自著で紹介したのが最初であるが、

(たんなるいっしゅのいんぼうろんとのみかたもつよい。とくにえとうじゅんが)

単なる一種の陰謀論との見方も強い。とくに江藤淳が

(「にほんひとのこころにこっかのつみとそのえんげんにかんするもくてきでかいしし、)

「日本人の心に国家の罪とその淵源に関する目的で開始し、

(かつこれまでにえいきょうをおよぼしてきたみんかんじょうほうかつどうのがいよう」)

かつこれまでに影響を及ぼしてきた民間情報活動の概要」

など

(といったごくがあったとする、1948ねん2がつ6にちづけの)

といった語句があったとする、1948年2月6日付けの

(みんかんじょうほうきょういくきょくのぶんしょは、2022ねんげんざいにおいてもいまだに)

民間情報教育局の文書は、2022年現在においても未だに

(しょざいがあきらかにされておらず、こうかいもされていないためしんぎはふめいである。)

所在が明らかにされておらず、公開もされていないため真偽は不明である。

(がいよう)

概要

(cieせつりつしれいa3こうにふくまれている、にほんじんに「うぉー・ぎると」)

CIE設立指令a3項に含まれている、日本人に「ウォー・ギルト」

(をしゅうちさせるというにんむにもとづきかいしされたものである。)

を周知させるという任務に基づき開始されたものである。

(「うぉー・ぎると」につづくごとしてはさまざまなようれいがとうじのぶんしょからは)

「ウォー・ギルト」に続く語としては様々な用例が当時の文書からは

(みだされるが、「うぉー・ぎると・いんふぉめーしょん・ぷろぐらむ」)

見出されるが、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」

(は1946ねん1がつ8にちにしょうにんされた「にほんじんさいほうこうづけのためのせっきょくてきせいさく」)

は1946年1月8日に承認された「日本人再方向づけのための積極的政策」

(にもとづきかいしされた。)

に基づき開始された。

(えとうは、1989ねんのちょしょ「しめされたげんごくうかん」で、)

江藤は、1989年の著書『閉された言語空間』で、

(「うぉー・ぎると・いんふぉめーしょん・ぷろぐらむ」)

「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」

((せんそうについてのざいあくかんをにほんひとのこころにうえつけるためのせんでんけいかく))

(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)

(というめいしょうはghqのないぶぶんしょにもとづくものであるとろんじている。)

という名称はGHQの内部文書に基づくものであると論じている。

(このめいしょうはたかはししろう、ふじおかのぶかつ、こばやしよしのり、さくらいよしこ、)

この名称は高橋史朗、藤岡信勝、小林よしのり、櫻井よしこ、

(ほさかまさやす、にしおかんじ、かつおかかんじ、けんと・ぎるばーとのほか、)

保阪正康、西尾幹二、勝岡寛次、ケント・ギルバートのほか、

(「さんけいしんぶん」もしようしている。うぉー・ぎると。wgipという)

『産経新聞』も使用している。ウォー・ギルト。WGIPという

(りゃくしょうももちいられる。)

略称も用いられる。

(”warguilt”は、いっぱんてきには「せんそうせきにん」をさすようごである。)

"War Guilt"は、一般的には「戦争責任」を指す用語である。

(ヴぇるさいゆじょうやくだい231じょうは、つうしょう”warguiltclause”、)

ヴェルサイユ条約第231条は、通称"War Guilt Clause"、

(「せんそうせきにんじょうこう」とよばれている。)

「戦争責任条項」と呼ばれている。

(1979ねん(しょうわ54ねん)よりうぃるそん・せんたーでべいぐんせんりょうかの)

1979年(昭和54年)よりウィルソン・センターで米軍占領下の

(けんえつじじょうをちょうさしていたえとうは、あまーすとだいがくのしがくきょうじゅ)

検閲事情を調査していた江藤は、アマースト大学の史学教授

(れい・むーあより「draftofc/n,subject)

レイ・ムーアより「Draft of c/n, Subject

(:warguiltinformationprogram,)

: War Guilt Information Program,

(from:cie,to:g-2(cis),:)

From : CIE, To : G-2 (CIS), :

(date:6february1948」)

Date : 6 February 1948」

(とひょうだいされたぶんしょのこぴーをていきょうされたという。)

と表題された文書のコピーを提供されたという。

(えとうはこのぶんしょについて、1948ねん(しょうわ23ねん))

江藤はこの文書について、1948年(昭和23年)

(2がつ6にちつきでci&e(みんかんじょうほうきょういくきょく)からg-2)

2月6日付でCI&E(民間情報教育局)からG-2

((cis・さんぼうだい2ぶみんかんちょうほうきょく)あてにはっせられたghqの)

(CIS・参謀第2部民間諜報局)宛てに発せられたGHQの

(ないぶぶんしょであるとしており、「こぴーにはとくだんのすたんぷはないが、)

内部文書であるとしており、「コピーには特段のスタンプは無いが、

(すいそくするところthenational)

推測するところThe National

(recordcenter,suitland,marylandで、)

Record Center, Suitland, Marylandで、

(むーあきょうじゅがghqぶんしょのえつらんちゅうにはっけんしたものとおもわれる。」)

ムーア教授がGHQ文書の閲覧中に発見したものと思われる。」

(とのべている。)

と述べている。

(しかし、しゅちょうのこんきょとなった「draftofc/n,)

しかし、主張の根拠となった「Draft of c/n,

(subject:warguiltinformation)

Subject : War Guilt Information

(program,from:cie,to:g-2(cis),)

Program, From : CIE, To : G-2 (CIS),

(date:6february1948」とひょうだいされた)

Date : 6 February 1948」と表題された

(ghqのないぶぶんしょそのものはえとうらによってこうかいされていなかった。)

GHQの内部文書そのものは江藤らによって公開されていなかった。

(また、このひょうだいには「どらふと(あん)」とのきさいがあったことから、)

また、この表題には「ドラフト(案)」との記載があったことから、

(しんぎをうたがうしゅちょうもあった。)

真偽を疑う主張もあった。

(2015ねん(へいせい28ねん)、せきのみちおが、「うぉー・ぎると・)

2015年(平成28年)、関野通夫が、「ウォー・ギルト・

(いんふぉめーしょん・ぷろぐらむ」のめいしょうをしようしているghqの)

インフォメーション・プログラム」の名称を使用しているGHQの

(しれいぶんしょがこくりつこっかいとしょかんしょぞうの「ghq/scapぶんしょ」のなかに)

指令文書が国立国会図書館所蔵の「GHQ/SCAP文書」の中に

(そんざいしていると、じちょや「せいろん」(2015ねん5がつごう)にしゃしんをかかげて)

存在していると、自著や『正論』(2015年5月号) に写真を掲げて

(しゅちょうし、けんのぶんしょをめいせいだいがくせんごきょういくしけんきゅうせんたーではっけんしたと)

主張し、件の文書を明星大学戦後教育史研究センターで発見したと

(のべている(せきのはちょうさにあたり、どうだいきょうじゅのたかはししろうおよび)

述べている(関野は調査に当たり、同大教授の高橋史朗および

(どうせんごきょういくしけんきゅうせんたーきんむのかつおかかんじからあどばいすを)

同戦後教育史研究センター勤務の勝岡寛次からアドバイスを

(えたとのべている)。)

得たと述べている)。

(ないよう)

内容

(「うぉー・ぎると・いんふぉーめーしょん・ぷろぐらむ」のぼうとうには、)

「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」の冒頭には、

(「cisきょくちょうと、ci&eきょくちょう、およびそのだいりしゃかんのさいきんのかいだんに)

「CIS局長と、CI&E局長、およびその代理者間の最近の会談に

(もとづき、みんかんじょうほうきょういくきょくは、ここにどうきょくが、にほんひとのこころにこっかの)

もとづき、民間情報教育局は、ここに同局が、日本人の心に国家の

(つみとそのえんげんにかんするじかくをうえつけるもくてきで、かいししかつこれまでに)

罪とその淵源に関する自覚を植えつける目的で、開始しかつこれまでに

(えいきょうをおよぼしてきたみんかんじょうほうかつどうのがいようをていしゅつするものである。」とある。)

影響を及ぼして来た民間情報活動の概要を提出するものである。」とある。

(うぉー・ぎると・いんふぉめーしょん・ぷろぐらむについてえとうは、)

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムについて江藤は、

(そのこうしであるたいへいようせんそうしというせんでんぶんしょを「にほんの「ぐんこくしゅぎしゃ」)

その嚆矢である太平洋戦争史という宣伝文書を「日本の「軍国主義者」

(と「こくみん」とをたいりつさせようといういとがひそめられ、このたいりつを)

と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を

(かこうすることによって、じっさいにはにほんとれんごうこく、とくににほんとべいこくとの)

仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国との

(あいだのたたかいであったたいせんを、げんじつにはそんざいしなかった「ぐんこくしゅぎしゃ」)

あいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」

(と「こくみん」とのあいだのたたかいにすりかえようとするそこいが)

と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が

(ひめられている」とぶんせき。また、「もしこのかくうのたいりつのずしきを、)

秘められている」と分析。また、「もしこの架空の対立の図式を、

(げんじつとさっかくし、あるいはなんらかのりゆうでさっかくしたふりをするにほんじんが)

現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が

(しゅつげんすれば、ci&eの「うぉー・ぎると・いんふぉーめーしょん・)

出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・

(ぷろぐらむ」は、いちおうしょきのもくてきをたっせいしたといってよい。)

プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。

(つまり、そのとき、にほんにおけるでんとうてきちつじょはかいのための、)

つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、

(えいきゅうかくめいのずしきがせいりつする。いごにほんじんがたいせんのためにけいちゅうした)

永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注した

(おびただしいえねるぎーは、にどとふたたびべいこくにむけられることなく、)

夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、

(もっぱら「ぐんこくしゅぎしゃ」ときゅうちつじょのはかいにむけられるにちがいない」)

もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいない」

(ともしてきしている。)

とも指摘している。

(また、「ぐんこくしゅぎしゃ」と「こくみん」のたいりつというかくうのずしきを)

また、「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を

(どうにゅうすることによって、「こくみん」にたいする「つみ」をおかしたのも、)

導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、

(「げんざいおよびしょうらいのにほんのくなんときゅうぼう」も、すべて「ぐんこくしゅぎしゃ」の)

「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の

(せきにんであって、べいこくにはいずらのせきにんもないというろんりがせいりつかのうになる。)

責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。

(だいとしのむさべつばくげきも、ひろしま・ながさきへのげんばくとうかも、「ぐんこくしゅぎしゃ」が)

大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が

(わるかったからたったさいやくであって、じっさいにばくだんをおとしたべいこくじんには)

悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には

(すこしもわるいところはない、ということになるのである」としている。)

少しも悪いところはない、ということになるのである」としている。

(wgipをおもにたんとうしたのはghqのみんかんじょうほうきょういくきょく(cie)で、)

WGIPを主に担当したのはGHQの民間情報教育局 (CIE) で、

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