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(にほんぐんがせんぜんいったこういにたいするばいしょうをぜんじちゅうしすること)

日本軍が戦前行った行為に対する賠償を漸次中止すること

(こうわじょうやくていけつをいそがせること)

講和条約締結を急がせること

(こうわじょうやくはちょうばつてきであってはならないこと)

講和条約は懲罰的であってはならないこと

(おきなわはいぜんとしてちょうきちゅうりゅうをすること)

沖縄は依然として長期駐留をすること

(にほんのけいさつりょくをきょうかすること)

日本の警察力を強化すること

(これによりきゅうぐんばつやせいじかはふっきし、あとにはとやまいちろうやいしばしたんざんが)

これにより旧軍閥や政治家は復帰し、後に鳩山一郎や石橋湛山が

(せいじかいにもどってくることになった。)

政治界に戻ってくることになった。

(ついほうについてはれんごうこくないでもひはんがあり、あめりかこくないでもほんらいもくてきの)

追放については連合国内でも批判があり、アメリカ国内でも本来目的の

(「ぐんこくしゅぎしゃなどのにほんせいかいからのついほう」をこえたえいきょうをおよぼした)

「軍国主義者などの日本政界からの追放」を超えた影響を及ぼした

(として、せんりょうせいさくのひはんをうけるなど、とるーまんだいとうりょうと)

として、占領政策の批判を受けるなど、トルーマン大統領と

(まっかーさーれんごうこくさいこうしれいかんのかくしつへつながるとするものもいる。)

マッカーサー連合国最高司令官の確執へつながるとする者もいる。

(げんろんとうせい)

言論統制

(そうしれいぶがせいさくとしてさいしょにいったことはけんえつである。1945ねん)

総司令部が政策として最初に行ったことは検閲である。1945年

((しょうわ20ねん)9がつにはっした「ぷれすこーど」などでぐんこくしゅぎてき、)

(昭和20年)9月に発した「プレスコード」などで軍国主義的、

(せんぜんからせんちゅうのにほんをこうてい、れんごうこくぐんのこういをひはん、げんしばくだんや)

戦前から戦中の日本を肯定、連合国軍の行為を批判、原子爆弾や

(むさべつくうしゅうのひがいなどをらじおやしんぶん、ざっし、いっぱんしみんはっこうのほんなどを)

無差別空襲の被害などをラジオや新聞、雑誌、一般市民発行の本などを

(きびしくとりしまりげんろんをとうせいした。ぷれすこーどつうたつちょくぜんには)

厳しく取り締まり言論を統制した。プレスコード通達直前には

(「げんろんおよびしんぶんのじゆうにかんするおぼえがき」(scapin-16)をはっしげんろんの)

「言論及び新聞の自由に関する覚書」(SCAPIN-16)を発し言論の

(じゆうのせいげんはさいしょうげんどにとめる、ghqおよびれんごうこくひはんにならず)

自由の制限は最小限度に止める、GHQ及び連合国批判にならず

(またせかいのへいわあいこうてきなるものはしょうれいとされたが、これにいはんしたと)

また世界の平和愛好的なるものは奨励とされたが、これに違反したと

など

(してあさひしんぶんしゃはふつかかんのぎょうむていしめいれいをうけた。また、ひんこんや)

して朝日新聞社は二日間の業務停止命令を受けた。また、貧困や

(じんしゅさべつなどべいこくしゃかいのあんこくめんをえがいたあめりかぶんがくさくひんの)

人種差別など米国社会の暗黒面を描いたアメリカ文学作品の

(ほんやくしゅっぱんもきょかしなかった。)

翻訳出版も許可しなかった。

(「けいさいきんし、さくじょりゆうのるいけい」せんりょうぐんひはん、けんえつへのげんきゅう、)

「掲載禁止、削除理由の類型」占領軍批判、検閲への言及、

(ほんごくしゅぎてきせんでん、ほうけんしそうのさんびなど30こうもくもあった。)

本国主義的宣伝、封建思想の賛美など30項目もあった。

(れんごうこくへいのぼうこうじけん)

連合国兵の暴行事件

(れんごうへいのしこうにかんしておもしろくないいんしょうをあたえるきじ)

連合兵の私行に関して面白くない印象を与える記事

(れんごうこくぐんしょうこうにたいしてにほんじんがえんこん、ふまんをおこすおそれのあるきじ)

連合国軍将校に対して日本人が怨恨、不満を起こす恐れのある記事

(しょくりょうじじょうのきゅうはくをこだいにひょうげんしたきじ)

食糧事情の窮迫を誇大に表現した記事

(れんごうぐんのせいさくをひなんするきじ)

連合軍の政策を非難する記事

(こくないにおけるかくしゅのうごきにれんごうこくしれいぶがかいざいしているようにいんしょうづけるきじ)

国内における各種の動きに連合国司令部が介在しているように印象づける記事

(などであった。)

などであった。

(さらにじょうき「けんえつししん」のいはんしゃはべいぐんのぐんじほうていでそついされ、)

さらに上記「検閲指針」の違反者は米軍の軍事法廷で訴追され、

(おきなわにおけるきょうせいじゅうろうどう3ねんないし5ねんであった。)

沖縄における強制重労働3年乃至5年であった。

(すでにかんこうされていたとしょにかんしては、「せんでんようかんこうぶつのぼっしゅう」)

既に刊行されていた図書に関しては、「宣伝用刊行物の没収」

(をおこない、していしたりゅうつうするとしょをぼっしゅう・しょぶんした。)

を行い、指定した流通する図書を没収・処分した。

(ひぐんじか)

非軍事化

(れんごうこくぐんによるさいしょのしごとは、にほんぜんこくのぐんしせつにしんちゅうしにほんぐんの)

連合国軍による最初の仕事は、日本全国の軍施設に進駐し日本軍の

(ぶそうかいじょをすすめることであった。いぎりすぐんやあめりかぐんによりざんそん)

武装解除を進めることであった。イギリス軍やアメリカ軍により残存

(していたしようかのうなへいきるいはすべてすくらっぷ、もしくはてすとのために)

していた使用可能な兵器類は全てスクラップ、もしくはテストのために

(もちさられ、そのいっぽうでしせつとしてのぐんようちはそのおおくをちゅうりゅうぐんが)

持ち去られ、その一方で施設としての軍用地はその多くを駐留軍が

(ひきつぎ、せんりょうせいさくのいしずえとした。たとえば、とうじのさいせんたんかがくぶんやで)

引き継ぎ、占領政策の礎とした。例えば、当時の最先端科学分野で

(にほんがいちじるしいしんぽをとげていたりけんのさいくろとろんけんきゅうや、)

日本が著しい進歩を遂げていた理研のサイクロトロン研究や、

(ろけっとせんとうき「おうか」、きょだいせんすいかんなどねこそぎせっしゅうされ、)

ロケット戦闘機「桜花」、巨大潜水艦など根こそぎ接収され、

(それらのけんきゅうかんきょうもはかいされた。にほんのけんきゅうじょのちょうさをたんとうした)

それらの研究環境も破壊された。日本の研究所の調査を担当した

(べいこくのかがくしゃらは、にほんのさいくろとろんじっけんせつびをしょうさいにみて)

米国の科学者らは、日本のサイクロトロン実験設備を詳細に見て

(そのれべるのたかさにおどろき「なぜにほんはげんしばくだんをせいぞうしなかったのか」)

そのレベルの高さに驚き「なぜ日本は原子爆弾を製造しなかったのか」

(とぎもんをていし、えいこくもghqさいこうしれいぶあてに「なべかまいがいはにほんに)

と疑問を呈し、英国もGHQ最高司令部宛てに「鍋釜以外は日本に

(つくらせるな」ともうしいれをしたきろくものこっている。)

作らせるな」と申し入れをした記録も残っている。

(ぶつりてきなぐんじりょくはくだつのつぎにすすめたのがほうてきなせいびであり「こくみんしゅけん」)

物理的な軍事力剥奪の次に進めたのが法的な整備であり「国民主権」

(「きほんてきじんけんのそんちょう」というみんしゅしゅぎのきほんをそなえるとともに、)

「基本的人権の尊重」という民主主義の基本を備えると共に、

(「せんそうほうき」をうたったけんぽう(にっぽんこくけんぽう)をさくせいしにほんせいふにあたえた()

「戦争放棄」を謳った憲法(日本国憲法)を作成し日本政府に与えた(

(にほんのせんそうほうきはしではらきじゅうろうしゅしょうもかんがえていたとまっかーさーは)

日本の戦争放棄は幣原喜重郎首相も考えていたとマッカーサーは

(きろくしている。また、しではらはみずからのちょしょである「しではらきじゅうろう)

記録している。また、幣原は自らの著書である『幣原喜重郎

(がいこうごじゅうねん」のなかで、せんそうほうきやぐんじりょくのかいたいをかんがえていたことを)

外交五十年』のなかで、戦争放棄や軍事力の解体を考えていた事を

(あきらかにしている)。また、てんのう・こうしつのしんせいせいのじょきょ、こっかしんとうの)

明らかにしている)。また、天皇・皇室の神聖性の除去、国家神道の

(はいし、ぐんこくしゅぎきょういくのはいし、だいろくせんすいていにだいひょうされるおおくのぐんじんの)

廃止、軍国主義教育の廃止、第六潜水艇に代表される多くの軍人の

(けんしょうしせつのはかいなど、めいじからのしゃかいしそうをかいたいした。)

顕彰施設の破壊など、明治からの社会思想を解体した。

(みんしゅか)

民主化

(みんしゅこっかにするためのこくみんのかいぞうとして、「ふじんさんせいけん」)

民主国家にするための国民の改造として、「婦人参政権」

(「ろうどうくみあいほうのせいてい」「きょういくせいどかいかく」「あっせいてきなほうせいどのてっぱい」)

「労働組合法の制定」「教育制度改革」「圧政的な法制度の撤廃」

(「けいざいのみんしゅか」の5だいかいかくしれいをはっし、にほんせいふにじっこうさせた。)

「経済の民主化」の5大改革指令を発し、日本政府に実行させた。

(ろうどうくみあいはすぐにかいきんされ、だんじょどうけんろんにもとづくふじんさんせいけんはちょくごの)

労働組合はすぐに解禁され、男女同権論に基づく婦人参政権は直後の

(しゅうぎいんせんきょからじっこうされた。あっせいてきといわれたちあんいじほうと)

衆議院選挙から実行された。圧政的といわれた治安維持法と

(とくべつこうとうけいさつはこれをはいししせんじちゅうにこれらのざいじょうでたいほ・)

特別高等警察はこれを廃止し戦時中にこれらの罪状で逮捕・

(ふくえきしていたせいじはんをしゃくほうした。)

服役していた政治犯を釈放した。

(けいざいかいにおいてはけいざいみんしゅかのためにみつい・みつびし・すみとも・やすだの)

経済界においては経済民主化のために三井・三菱・住友・安田の

(しだいざいばつをかいたいした(ざいばつかいたい)。さらにちほうじちほうがせいていされ、)

四大財閥を解体した(財閥解体)。さらに地方自治法が制定され、

(とどうふけんちじはかんせんからちょくせつこうせんへとへんこうされたほか、ちほうぎょうざいせいや)

都道府県知事は官選から直接公選へと変更されたほか、地方行財政や

(けいさつをとうかつしていたないむしょうがかいたい・はいしされた。けいさつもghqのみんせいきょく)

警察を統括していた内務省が解体・廃止された。警察もGHQの民政局

((gs)からひみんしゅてきなけいさつせいどであるとしてかいたいをしいられ、)

(GS)から非民主的な警察制度であるとして解体を強いられ、

(こっかちほうけいさつとやく1,700ものじちたいけいさつにかいたい・さいぶんかされた。)

国家地方警察と約1,700もの自治体警察に解体・細分化された。

(のうせい)

農政

(のうちかいかくによっておおじぬしからきょうせいてきにとちをかいあげてこさくにんに)

農地改革によって大地主から強制的に土地を買い上げて小作人に

(ぶんぱいした。これは、おおじぬしにけいざいてきにれいぞくするじょうきょうからこさくにんをかいほうし、)

分配した。これは、大地主に経済的に隷属する状況から小作人を解放し、

(みんしゅしゅぎをねづかせることにきよしたいっぽう、じさくのうとなったのうみんを)

民主主義を根付かせることに寄与した一方、自作農となった農民を

(ほしゅかさせるけっかとなり、のうそんはほしゅせいりょくのがじょうとなった。また、)

保守化させる結果となり、農村は保守勢力の牙城となった。また、

(ほっかいどうをのぞいてだいきぼのうぎょうじぎょうをむずかしくさせ、のうぎょうのこくさいきょうそうりょくは)

北海道を除いて大規模農業事業を難しくさせ、農業の国際競争力は

(せんぜんとくらべてもきょくどにていかし、いごのしょくりょうじきゅうりつていかにはくしゃをかけ)

戦前と比べても極度に低下し、以後の食料自給率低下に拍車をかけ

(げんざいにいたっている。なお、すべてのこさくちがのうちかいかくのたいしょうに)

現在に至っている。なお、全ての小作地が農地改革の対象に

(なったわけではなく、じったいにはちいきによりばらつきがあった。)

なったわけではなく、実態には地域によりばらつきがあった。

(きょういくかいかく)

教育改革

(「にほんのきょういく」、「にほんきょういくし」、および「すみぬりきょうかしょ」もさんしょう)

「日本の教育」、「日本教育史」、および「墨塗り教科書」も参照

(めいじいしんによるがくせいをばっぽんてきにかいそするかたちでがくせいかいかくがおこなわれた。)

明治維新による学制を抜本的に改組する形で学制改革が行われた。

(きょういくほうしんはれんごうくにがわできょうせいさせ、きゅうきょういくきほんほうとがっこうきょういくほうを)

教育方針は連合国側で矯正させ、旧教育基本法と学校教育法を

(せいていさせた。これによりしょとうきょういく・ちゅうとうきょういく・こうとうきょういくかていのがっこう)

制定させた。これにより初等教育・中等教育・高等教育課程の学校

(きょういくせいどは「たんせんきょういく」があらたにどうにゅうされ、6・3・3・4のがっこうせいど)

教育制度は「単線教育」が新たに導入され、6・3・3・4の学校制度

((しょうがっこう6ねんかん・ちゅうがっこう3ねんかん・こうとうがっこう3ねんかん・だいがく4ねんかん))

(小学校6年間・中学校3年間・高等学校3年間・大学4年間)

(をしんせつし、それまでのふくせんきょういくとしゅうしんのかもく・きょういくちょくごをはいしさせた。)

を新設し、それまでの複線教育と修身の科目・教育勅語を廃止させた。

(こうきょういくにおけるちゅうとうきょういくかていでのだんじょべつがくからだんじょきょうがくへのいこう、)

公教育における中等教育課程での男女別学から男女共学への移行、

(しんせいしょうがっこう6ねんかん(しょとうきょういくかてい)しんせいちゅうがっこう3ねんかん)

新制小学校6年間(初等教育課程)新制中学校3年間

((ぜんきちゅうとうきょういくかてい)によるぎむきょういくの9ねんかんへのえんちょうなどをおこない、)

(前期中等教育課程)による義務教育の9年間への延長などを行い、

(こうきちゅうとうきょういくきかんとしてしんせいこうとうがっこう・こうこうさんげんそくをほっそくさせた。)

後期中等教育機関として新制高等学校・高校三原則を発足させた。

(こうとうきょういくのめんではえりーとようせいきかんというしゃかいてきやくわりもになっていた)

高等教育の面ではエリート養成機関という社会的役割も担っていた

(きゅうせいこうとうがっこう・きゅうせいだいがくをはいしさせ、きょういんようせいきかんであったしはんがっこうを)

旧制高等学校・旧制大学を廃止させ、教員養成機関であった師範学校を

(がくしかてい4ねんかんのしんせいだいがくがくぶへかくあげした。これらはきょういくのあめりか)

学士課程4年間の新制大学学部へ格上げした。これらは教育のアメリカ

(にぜーしょんにきよすべく、2どにわたってらいにちしたきょういくしせつだんの)

ニゼーションに寄与すべく、2度に亘って来日した教育使節団の

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