第二次世界大戦11

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(8がつ9にち、いぎりす・あめりかはりょうどかくだいいとをひていするたいせいようけんしょうを)

8月9日、イギリス・アメリカは領土拡大意図を否定する大西洋憲章を

(はっぴょうした。8がつ25にち、それん・いぎりすのれんごうぐんはちゅうりつこくいらんに)

発表した。8月25日、ソ連・イギリスの連合軍は中立国イランに

(なんぼくからしんげきし、せんりょうした(いらんしんちゅう)。いらんこくおうはちゅうりつこく)

南北から進撃し、占領した(イラン進駐)。イラン国王は中立国

(あめりかにえいそりょうぐんのこうげきをとめさせるよううったえたが、べいだいとうりょう)

アメリカに英ソ両軍の攻撃を止めさせるよう訴えたが、米大統領

(るーずべるとはきょひした。ぽーらんどとふぃんらんどへのしんこう、)

ルーズベルトは拒否した。ポーランドとフィンランドへの侵攻、

(ばるとさんごくへいごうなどのりゆうで、えい・べいりょうこくはそれんときょりをおいていたが、)

バルト三国併合などの理由で、英・米両国はソ連と距離を置いていたが、

(どくそせんかいしごは、ひとらーのなちす・どいつだとうのため、それんを)

独ソ戦開始後は、ヒトラーのナチス・ドイツ打倒のため、ソ連を

(れんごうくにがわにうけいれることをけってい。いらんをせんりょうしぺるしあかいろうを)

連合国側に受け入れることを決定。イランを占領しペルシア回廊を

(かくほしたうえで、あめりかのぶきたいよほうにもとづき、それんへだいきぼぐんじ)

確保した上で、アメリカの武器貸与法に基づき、ソ連へ大規模軍事

(えんじょをおこなうことになった。またあふがにすたんはこのようななかでも)

援助を行うことになった。またアフガニスタンはこのような中でも

(だいにじせかいたいせんのしゅうせんまでどくりつをまもった。)

第二次世界大戦の終戦まで独立を守った。

(ゆだやじんをしゅうようしたあうしゅびっつきょうせいしゅうようじょ)

ユダヤ人を収容したアウシュビッツ強制収容所

(ゆだやじんをしゅうようしたあうしゅびっつきょうせいしゅうようじょ)

ユダヤ人を収容したアウシュビッツ強制収容所

(どいつのせんりょうちでは、ひみつこっかけいさつげしゅたぽとなちすしんえいたいがじゅうみんを)

ドイツの占領地では、秘密国家警察ゲシュタポとナチス親衛隊が住民を

(かんしし、ゆだやじんやれじすたんすかんけいしゃへかこくなきょうふせいじをおこなった。)

監視し、ユダヤ人やレジスタンス関係者へ過酷な恐怖政治を行った。

(とくにどくそせんかいしご、あいんざっつぐるっぺんとよばれるとくべつこうどうぶたいに)

特に独ソ戦開始後、アインザッツグルッペンと呼ばれる特別行動部隊に

(よるたいりょうさつじんでぎせいしゃすうがげきぞうした。それをみききしたこくぼうぐんかんけいしゃの)

よる大量殺人で犠牲者数が激増した。それを見聞きした国防軍関係者の

(なかには、はんなちすのぐんじんがふえていく。ひとらーもぐんのさくせんにこまかく)

中には、反ナチスの軍人が増えていく。ヒトラーも軍の作戦に細かく

(かんしょうし、しれいかんをかいにんした。そのためぐんぶのなかでひとらーあんさつけいかくを)

干渉し、司令官を解任した。そのため軍部の中でヒトラー暗殺計画を

(くわだてるなど、どいつのせんじたいせいはけっしていちまいいわでなかった。)

企てるなど、ドイツの戦時体制は決して一枚岩でなかった。

など

(せかいたいせんにかくだい)

世界大戦に拡大

(しんじゅわんこうげきでちんぼつするせんかんありぞな)

真珠湾攻撃で沈没する戦艦アリゾナ

(しんじゅわんこうげきでちんぼつするせんかんありぞな)

真珠湾攻撃で沈没する戦艦アリゾナ

(12がつ7にち(げんちじかん)、にほんぐんがまれーはんとうのいぎりすぐんをこうげきし)

12月7日(現地時間)、日本軍がマレー半島のイギリス軍を攻撃し

((まれーさくせん)ここにだいとうあせんそう(たいへいようせんそう)がぼっぱつした。また)

(マレー作戦)ここに大東亜戦争(太平洋戦争)が勃発した。また

(まれーはんとうをこうげきしたかずじかんおくれに、にほんぐんはあめりかのはわいにある)

マレー半島を攻撃した数時間後に、日本軍はアメリカのハワイにある

(しんじゅわんのべいかいぐんのきちをこうげきした。これにたいし12がつ8にちにあめりかと)

真珠湾の米海軍の基地を攻撃した。これに対し12月8日にアメリカと

(おらんだがにほんにせんせんをふこく。にほんのさんせんにこおうして12がつ11にち、)

オランダが日本に宣戦を布告。日本の参戦に呼応して12月11日、

(どいつ、いたりあもあめりかがっしゅうこくにせんせんふこく。にほんがすうじくくにのいちいん)

ドイツ、イタリアもアメリカ合衆国に宣戦布告。日本が枢軸国の一員

(として、あめりかがれんごうこくのいちいんとしてせいしきにさんせんし、ここにきて)

として、アメリカが連合国の一員として正式に参戦し、ここにきて

(めいじつともにせかいたいせんとなった。)

名実共に世界大戦となった。

(どいつのたいあめりかせんせんふこくについては、にほんがそれんにせんせんふこくを)

ドイツの対アメリカ宣戦布告については、日本がソ連に宣戦布告を

(おこなわなかったように、どいつにさんせんのぎむがあったわけではないが、)

行わなかったように、ドイツに参戦の義務があったわけではないが、

(ひとらーのはんだんによってけっていされた。このひとらーのけつだんのたいみんぐ)

ヒトラーの判断によって決定された。このヒトラーの決断のタイミング

(は、じょうしょうであったどいつぐんがもすくわぜんめんでそのかんばんをうちくだかれた)

は、常勝であったドイツ軍がモスクワ前面でその看板を打ち砕かれた

(ときであり、どいつがききをむかえているさいちゅうに、なぜひとらーがあらたな)

ときであり、ドイツが危機を迎えている最中に、なぜヒトラーが新たな

(ききをかかえこむけつだんをしたかはふめいである。ごうりてきなかいしゃくでは、)

危機を抱え込む決断をしたかは不明である。合理的な解釈では、

(ひとらーはさんせんかっこくをれんどりーすでささえるあめりかとはいずれ)

ヒトラーは参戦各国をレンドリースで支えるアメリカとはいずれ

(たたかわねばならないとかんがえており、しばらくのあいだはちきゅうのはんたいがわでにほんが)

戦わねばならないと考えており、しばらくの間は地球の反対側で日本が

(あめりかをひきつけ、どいつのせんそうをじゃましないようにしてもらうため)

アメリカを引き付け、ドイツの戦争を邪魔しないようにしてもらうため

(には、にほんとあめりかがきょうちょうするかのうせいをかんぜんにたちきるひつようがあり、)

には、日本とアメリカが協調する可能性を完全に断ち切る必要があり、

(にほんをかくじつにすうじくくにがわにひきとめるためさんせんはやむをえなかったという)

日本を確実に枢軸国側に引き止めるため参戦はやむを得なかったという

(ものであるが、もっとたんじゅんに、これまでひとらーがさんざんいってきた)

ものであるが、もっと単純に、これまでヒトラーが散々行ってきた

(ように、みずからのたいろをすべてたちきって、はらをすえてこのなんもんを)

ように、自らの退路を全て断ち切って、腹を据えてこの難問を

(のりきろうとしたというすいていもある。)

乗り切ろうとしたという推定もある。

(このもすくわきょうこうとたいあめりかせんせんいこう、ひとらーはこれまでいじょうに)

このモスクワ強攻と対アメリカ宣戦以降、ヒトラーはこれまで以上に

(せんりゃくやさくせんすいこうのこまかいぶぶんにまでたちいるさまになり、ちめいてきな)

戦略や作戦遂行の細かい部分にまで立ち入る様になり、致命的な

(はんだんみすをつぎつぎとおかすようになっていく。そしてそのしっぱいのせきにんをすべて)

判断ミスを次々と犯すようになっていく。そしてその失敗の責任を全て

(ぶかのしょうぐんらになすりつけてかいにんしていった。せきにんをなすりつけた)

部下の将軍らになすりつけて解任していった。責任をなすりつけた

(ひとらーはじこはんせいすることはなく、あらたなせんじょう、あらたなてきをもとめて)

ヒトラーは自己反省することはなく、新たな戦場、新たな敵を求めて

(さらにはいぼくをかさねていくようになった。そしてさいしゅうてきにはせんそうのもくてきを)

さらに敗北を重ねていくようになった。そして最終的には戦争の目的を

(みうしなって、ゆだやじんのせんめつなどというせんきょくにはなにのえいきょうもないはんざいこういに)

見失って、ユダヤ人の殲滅などという戦局には何の影響もない犯罪行為に

(ちからをそそいでいくこととなる。そして、このどくさいしゃのはんざいてきなえねるぎーで)

力を注いでいくこととなる。そして、この独裁者の犯罪的なエネルギーで

(もっともひがいをうけたのが、ひとらーをしじしたどいつこくみんであり、はめつの)

最も被害を受けたのが、ヒトラーを支持したドイツ国民であり、破滅の

(いっぽてまえまでおいやられることとなっていく。)

一歩手前まで追いやられることとなっていく。

(1942ねん)

1942年

(ゆだやじんだんあつ)

ユダヤ人弾圧

(かいせんちょくぜんの1939ねん1がつのせいけんしょうあく6しゅうねんきねんえんぜつでひとらーはゆだやじんに)

開戦直前の1939年1月の政権掌握6周年記念演説でヒトラーはユダヤ人に

(たいしてかきのようなおそろしいよげんをしていたが、よーろっぱのたいはんを)

対して下記のような恐ろしい予言をしていたが、ヨーロッパの大半を

(しゅちゅうにおさめたいまとなってちゃくちゃくとじっこうにちゃくしゅしていた。)

手中に収めた今となって着々と実行に着手していた。

(もしよーろっぱないがいでこくさいてきにかつどうするゆだやじんしほんかがしょこくを)

もしヨーロッパ内外で国際的に活動するユダヤ人資本家が諸国を

(ふたたびせんそうにとつにゅうさせることにせいこうしても、そのけっかおこるのはせかいの)

再び戦争に突入させることに成功しても、その結果起こるのは世界の

(ぽるしぇヴぃきかでもゆだやじんのしょうりでもない。)

ポルシェヴィキ化でもユダヤ人の勝利でもない。

(よーろっぱゆだやじんのぜつめつだ。)

ヨーロッパユダヤ人の絶滅だ。

(ぽーらんどしんこうをかわきりにしてどいつはたちまち200まんにんのとうおう)

ポーランド侵攻を皮切りにしてドイツはたちまち200万人の東欧

(ゆだやじんをそのしはいもとにおき、ひとらーはよーろっぱたいりくのじんしゅこうせいを)

ユダヤ人をその支配下に置き、ヒトラーはヨーロッパ大陸の人種構成を

(ぬりかえるきかいをてにしてしまった。ひとらーはしんえいたいたいちょうの)

塗り替える機会を手にしてしまった。ヒトラーは親衛隊隊長の

(はいんりひ・ひむらーを「よーろっぱのあらたなじんしゅてきちつじょのせっけいしゃ」)

ハインリヒ・ヒムラーを「ヨーロッパの新たな人種的秩序の設計者」

(ににんじ、ひむらーはひとらーのしんらいにこたえてせっきょくてきにこうどうした。)

に任じ、ヒムラーはヒトラーの信頼に応えて積極的に行動した。

(まずはせんそうによりかくとくし、あらたにどいつにへいごうされたちいきから)

まずは戦争により獲得し、新たにドイツに併合された地域から

(すうひゃくまんじんのぽーらんどじんとゆだやじんをおいはなし、どいつけいじゅうみんをにゅうしょくさせた。)

数百万人のポーランド人とユダヤ人を追放し、ドイツ系住民を入植させた。

(1939ねんからどいつこくないでは、「t4さくせん」としょうし、はんせいふうんどうかや)

1939年からドイツ国内では、「T4作戦」と称し、反政府運動家や

(せいしんしょうがいしゃをあいてにあんらくししょぶんがおこなわれていたが、とうしょはこくがいの)

精神障害者を相手に安楽死処分が行われていたが、当初は国外の

(ゆだやじんにたいしてはだいきぼなぎゃくさつはおこなわれておらず、わるしゃわ・)

ユダヤ人に対しては大規模な虐殺は行われておらず、ワルシャワ・

(げっとーなど、かくちにもうけられたげっとーにおしこめるか、もじどおり)

ゲットーなど、各地に設けられたゲットーに押し込めるか、文字通り

(こくがいにおいはなしていた。しかしそのひとすうがぼうだいなかずにおよぶと、しだいに)

国外に追放していた。しかしその人数が膨大な数に及ぶと、次第に

(どいつはゆだやじんをもてあますようになり、ひむらーはとうぶせんせんの)

ドイツはユダヤ人を持て余すようになり、ヒムラーは東部戦線の

(さいぜんせんにゆだやじん250まんにんをいそうし、ざんごうをくっさくさせるなどの)

最前線にユダヤ人250万人を移送し、塹壕を掘削させるなどの

(きょうせいろうどうにじゅうじさせることをまじめにけんとうしたこともあった。)

強制労働に従事させることを真面目に検討したこともあった。

(そのあとも、ゆだやじんをまだがすかるとうにおしこめるまだがすかるけいかくや、)

その後も、ユダヤ人をマダガスカル島に押し込めるマダガスカル計画や、

(あらたにどくそこっきょうとなったるぶりんにゆだやじんほりゅうちをつくってそこに)

新たに独ソ国境となったルブリンにユダヤ人保留地を作ってそこに

(ゆだやじんをあつめるといった「いっていのりょういきにおしこめることでかいけつ」)

ユダヤ人を集めるといった「一定の領域に押し込めることで解決」

(をはかろうとするけいかくがけんとうされたが、まだがすかるとうはまだがすかるの)

を図ろうとする計画が検討されたが、マダガスカル島はマダガスカルの

(たたかいでいぎりすにうばわれてけいかくははくしとなり、ほかのだいきぼいそうけいかくも)

戦いでイギリスに奪われて計画は白紙となり、他の大規模移送計画も

(ゆそうりょくなどのめんからじっこうはだんねんされた。しかし、かりにこれらのけいかくが)

輸送力等の面から実行は断念された。しかし、仮にこれらの計画が

(じっこうされても、しょくりょうをえるしゅだんもとぼしいちたいにほうちくされたゆだやじん)

実行されても、食糧を得る手段も乏しい地帯に放逐されたユダヤ人

(すうひゃくまんじんがしぬことはかくじつであった。)

数百万人が死ぬことは確実であった。

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