第二次世界大戦34

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(d.c.でおこなわれていたにちべいこうしょうがほんかくかされ、「すべてのこっかのりょうどほぜんと)

D.C.で行われていた日米交渉が本格化され、「全ての国家の領土保全と

(しゅけんそんちょう」、「たこくにたいするないせいふかんしょう」、「つうしょうをふくめたきかいきんとう」、)

主権尊重」、「他国に対する内政不干渉」、「通商を含めた機会均等」、

(「へいわてきしゅだんによらぬかぎりたいへいようのげんじょういじ」という「はるよんげんそく」を)

「平和的手段によらぬ限り太平洋の現状維持」という「ハル四原則」を

(ていじし、にほんがわもしゅしょうのこのえやりくぐんのとうじょうらせいふやぐんもこれをかんげいした。)

提示し、日本側も首相の近衛や陸軍の東條ら政府や軍もこれを歓迎した。

(「よんげんそく」から、にちべいかんのこうしょうがほんかくかするとおもったが、どいつや)

「四原則」から、日米間の交渉が本格化すると思ったが、ドイツや

(いたりあ、それんをほうもんちゅうで、この4がつににっそちゅうりつじょうやくをむすんだばかりの)

イタリア、ソ連を訪問中で、この4月に日ソ中立条約を結んだばかりの

(がいしょうまつおかようすけは、このあんがじしんがかかわることなくさくせいされたもので)

外相松岡洋右は、この案が自身が関わることなく作成されたもので

(あったためめんつをつぶされたとおもったまつおかは、きょうこうなはんたいによって)

あったためメンツをつぶされたと思った松岡は、強硬な反対によって

(ていあんをはくしにもどさせた。これいこう、にほんとあめりかの)

提案を白紙に戻させた。これ以降、日本とアメリカの

(あいだはけんあくのいっとをたどる。)

間は険悪の一途をたどる。

(どくそせんとがいしょうまつおかのこうてつ)

独ソ戦と外相松岡の更迭

(さらにまつおかがいしょうは、にちどくいさんごくどうめいにそれんをくわえた「ゆーらしあ)

さらに松岡外相は、日独伊三国同盟にソ連を加えた「ユーラシア

(よんかこくどうめいていけつ」をこうそうしていたが、1939ねん8がつにどくそふかしんじょうやくを)

四ヶ国同盟締結」を構想していたが、1939年8月に独ソ不可侵条約を

(むすんだばかりのわずか1ねん10かげつしかたたない6がつ22にちにどいつが)

結んだばかりのわずか1年10か月しか経たない6月22日にドイツが

(それんをきしゅうこうげきしどくそせんがはじまり、そののぞみはうちくだかれた。なお)

ソ連を奇襲攻撃し独ソ戦が始まり、その望みは打ち砕かれた。なお

(まつおかのかんがえる「ゆーらしあよんかこくどうめいていけつ」も、どいつのそれんへの)

松岡の考える「ユーラシア四ヶ国同盟締結」も、ドイツのソ連への

(きしゅうけいかくも、3がつにひとらーとかいだんしたときにはふせられていた。)

奇襲計画も、3月にヒトラーと会談した時には伏せられていた。

(まつおかがいしょうはどいつのそきしゅうこうげきにあわせそくじたいそせんせんをしゅちょうし、)

松岡外相はドイツのソ奇襲攻撃に合わせ即時対ソ宣戦を主張し、

(どいつもつよくそれをのぞんだが、そもそもにほんがにっそちゅうりつじょうやくをむすんだ)

ドイツも強くそれを望んだが、そもそも日本が日ソ中立条約を結んだ

(ばかりのそれんにさんせんするおおきなこんきょもなく、さらにさきにおきた)

ばかりのソ連に参戦する大きな根拠もなく、さらに先に起きた

など

(のもんはんじけんにおいておおきなひがいをうけたことにより「じゅくしろん」が)

ノモンハン事件において大きな被害を受けたことにより「熟柿論」が

(たいとうするりくぐんもはんたいし、かくないにあって「ぼうそうじょうたい」にあったまつおかの)

台頭する陸軍も反対し、閣内にあって「暴走状態」にあった松岡の

(こうてつは、せいけんそんぞくのためのきゅうむとなっていた。)

更迭は、政権存続のための急務となっていた。

(ここにこのえしゅしょうはまつおかにがいしょうじにんをせまるがきょひ。このえは7がつ16にちに)

ここに近衛首相は松岡に外相辞任を迫るが拒否。近衛は7月16日に

(ないかくそうじしょくし、まつおかをはずしたうえでだい3じこのえないかくをほっそくさせ、)

内閣総辞職し、松岡を外した上で第3次近衛内閣を発足させ、

(まつおかはここでないかくからかんぜんにはずされた。)

松岡はここで内閣から完全に外された。

(しかし、まつおかはつねづねからいぎりすやそれんとのせんそうはさけえないと)

しかし、松岡は常々からイギリスやソ連との戦争は避け得ないと

(かんがえていたが、みずからのかつてのりゅうがくさきでもあり、ちじんもおおかった)

考えていたが、自らのかつての留学先でもあり、知人も多かった

(あめりかとにほんとのせんそうはのぞんでいなかった。まつおかは「えいべいいったいろん」を)

アメリカと日本との戦争は望んでいなかった。松岡は「英米一体論」を

(つよくひはんし、たとえいぎりすとせんそうちゅうであるどいつとむすんでも、)

強く批判し、たとえイギリスと戦争中であるドイツと結んでも、

(あめりかとはせんそうになるはずがないとかんがえていた。)

アメリカとは戦争になるはずがないと考えていた。

(にほんぐんのなんぶふついんしんちゅう)

日本軍の南部仏印進駐

(1941ねん6がつ25にちのだいほんえいせいふれんらくこんだんかいで「なんぽうしさくそくしんにかんするけん」)

1941年6月25日の大本営政府連絡懇談会で「南方施策促進に関する件」

(がさくていされ(なんしんろん)、さくねんのいんどしなほくぶしんちゅうについで、ふらんすの)

が策定され(南進論)、昨年のインドシナ北部進駐に次いで、フランスの

(どういのしたでなんぶふついんへのしんちゅうがきまった。いっぽう、7がつにたいそれんのせんそう)

同意の下で南部仏印への進駐が決まった。一方、7月に対ソ連の戦争

((ほくしんろん)じゅんびこうどうとしてかんとうぐんとくだねえんしゅうをはつどうした。そのなかでふつりょう)

(北進論)準備行動として関東軍特種演習を発動した。その中で仏領

(いんどしなをにほんにとられることをきぐしたあめりかは、にほんに)

インドシナを日本にとられることを危惧したアメリカは、日本に

(たいするせきゆのゆしゅつきょかせいをしくことでにほんをゆさぶった。)

対する石油の輸出許可制を敷くことで日本を揺さぶった。

(このそちにたいこうするため、にほんはせきゆなどのしげんかいつけこうしょうを、)

この措置に対向するため、日本は石油などの資源買い付け交渉を、

(ほんごくがどいつぐんのせんりょうもとにおかれ、ろんどんにおかれたぼうめいせいふのしたに)

本国がドイツ軍の占領下に置かれ、ロンドンに置かれた亡命政府の下に

(あるおらんだりょうひがしいんどといっている。いちじはこうしょうせいりつしたが、そのあと)

あるオランダ領東インドと行っている。一時は交渉成立したが、その後

(あめりかのあつりょくにより、おらんだしょくみんちせいふがわがきょうきゅうするりょうはにほんが)

アメリカの圧力により、オランダ植民地政府側が供給する量は日本が

(もとめたりょうの1/4にとめられ、にほんは6がつにこうしょうをうちきった。このせいで)

求めた量の1/4に留められ、日本は6月に交渉を打ち切った。このせいで

(とうじのにほんではこうおくたんかのこうくうきようねんりょうのちょぞうりょうがそこをつきかけた。)

当時の日本では高オクタン価の航空機用燃料の貯蔵量が底を尽きかけた。

(さらに7がつ25にちにあめりかはざいべいにほんしさんをとうけつしにちべいかんのこうろもしゃだん、)

さらに7月25日にアメリカは在米日本資産を凍結し日米間の航路も遮断、

(どうじつにほんはふらんすのどういのしたでのなんぶふついんしんちゅうをあめりかにつうこくした。)

同日日本はフランスの同意の下での南部仏印進駐をアメリカに通告した。

(あめりかはせきゆのゆしゅつのぜんめんきんしをほのめかしたが、7がつ28にちによていどおり)

アメリカは石油の輸出の全面禁止をほのめかしたが、7月28日に予定通り

(なんぶふついんしんちゅうがおこなわれた。しかしとうじのふついんではげんざいのべとなむと)

南部仏印進駐が行われた。しかし当時の仏印では現在のベトナムと

(はちがいゆでんはみつかっておらず、せきゆはほれなかった。)

は違い油田は見つかっておらず、石油は掘れなかった。

(ひえいべいらんかんけいのあっか)

日英米蘭関係の悪化

(8がつ1にちにいぎりすはたいにちしさんのとうけつとにちえいつうしょうこうかいじょうやくなどをはいき。)

8月1日にイギリスは対日資産の凍結と日英通商航海条約等を廃棄。

(ぼうめいさきのいぎりすのあつりょくをうけたおらんだしょくみんちせいふは、たいにちしさんの)

亡命先のイギリスの圧力を受けたオランダ植民地政府は、対日資産の

(とうけつとにちらんみんかんせきゆきょうていのていし。あめりかは、なんぶふついんしんちゅうにたいする)

凍結と日蘭民間石油協定の停止。アメリカは、南部仏印進駐に対する

(せいさいというめいめのしたせきゆゆしゅつのぜんめんきんしをそれぞれけっていした。)

制裁という名目の下石油輸出の全面禁止をそれぞれ決定した。

(にほんにとっては、なかでもせきゆゆしゅつのぜんめんきんしはしんこくであり、やく8わりを)

日本にとっては、中でも石油輸出の全面禁止は深刻であり、約8割を

(あめりかからゆにゅうしていた。このままではじりひんになるため、かいせんを)

アメリカから輸入していた。このままではジリ貧になるため、開戦を

(そうきにすべきとのきょうこうろんがりくぐんをちゅうしんにたいとうしはじめることとなった。)

早期にすべきとの強硬論が陸軍を中心に台頭し始めることとなった。

(これらのたいにちけいざいせいさいはあわせて、あめりか(america)・いぎりす)

これらの対日経済制裁は併せて、アメリカ (America)・イギリス

((britain)・ちゅうかみんこく(china)・おらんだ(dutch))

(Britain)・中華民国 (China)・オランダ (Dutch)

(のかしらもじをとって「abcdほういもう」とよばれるようになった。)

の頭文字を取って「ABCD包囲網」と呼ばれるようになった。

(なおあめりかは、8がつにたいせいようけんしょうをていけつしたたいせいようかいだんで、いぎりす)

なおアメリカは、8月に大西洋憲章を締結した大西洋会談で、イギリス

(しゅしょうのちゃーちるからどいつにたいするさんせんようせいをうけていたがこれを)

首相のチャーチルからドイツに対する参戦要請を受けていたがこれを

(ほりゅうしていた。またにほんもどいつからにちべいこうしょうのうちきりを)

保留していた。また日本もドイツから日米交渉の打ち切りを

(かんこくされていた。)

勧告されていた。

(かいせんじゅんびけってい)

開戦準備決定

(これをうけて9がつ3にちにごぜんかいぎで「たいべい(えいらん)せんそうをじせざるけつい」)

これを受けて9月3日に御前会議で「対米(英蘭)戦争を辞せざる決意」

(をふくむ「ていこくこくさくすいこうようりょう」がけっていされ、1941ねん10がつまつを)

を含む「帝国国策遂行要領」が決定され、1941年10月末を

(めどとしたかいせんじゅんびがけっていされた。)

目処とした開戦準備が決定された。

(そのいっぽうで、8がつ7にちにこのえしゅしょうはしょうわてんのうから「(あめりかとの))

その一方で、8月7日に近衛首相は昭和天皇から「(アメリカとの)

(しゅのうかいだんをすみやかにとりはこぶよう」とのとくそくをうけ、のむらきちさぶろうたいしに)

首脳会談を速やかに取り運ぶよう」との督促を受け、野村吉三郎大使に

(「(にちべいこっこうの)きけんなるじょうたいをだはするゆいいつのとは、このさいにちべいせきにんしゃ)

「(日米国交の)危険なる状態を打破する唯一の途は、此の際日米責任者

(ちょくせつかいけんしたがいにしんいをひろうしもってじきょくきゅうさいのかのうせいをけんとうするにありと)

直接会見し互いに真意を披露し以て時局救済の可能性を検討するにありと

(しんず」とあて、あめりかだいとうりょうのるーずべるととのしゅのうかいだんをていあんする)

信ず」と宛て、アメリカ大統領のルーズベルトとの首脳会談を提案する

(ようくんでんした。しゅのうかいだんのもうしいれはのむらからこーでる・はるこくむちょうかん)

よう訓電した。首脳会談の申し入れは野村からコーデル・ハル国務長官

(におこなわれたが(るーずべるとはちゃーちるとのたいせいようかいだんにでかけていた)

に行われたが(ルーズベルトはチャーチルとの大西洋会談に出かけていた

(ためふざい)、はるのへんじはあいまいであった。しかしじつのるーずべるとは)

ため不在)、ハルの返事は曖昧であった。しかし実のルーズベルトは

(しゅのうかいだんのていあんにはこういてきで、「ほのるるにいくのはむりだが、)

首脳会談の提案には好意的で、「ホノルルに行くのは無理だが、

(じゅのーではどうか」とへんじをした。)

ジュノーではどうか」と返事をした。

(さらにこのえしゅしょうは、8がつ27にち、28にちりょうじつにしゅしょうかんていでかいさいされた)

さらに近衛首相は、8月27日、28日両日に首相官邸で開催された

(「だいいっかいそうりきせんきじょうえんしゅうそうごうけんきゅうかい」で、そうりょくせんけんきゅうじょより)

『第一回総力戦机上演習総合研究会』で、総力戦研究所より

(にちべいかんのみのせんそうは「にほんひはい」とのほうこくをうける。しかしそのいっぽうで、)

日米間のみの戦争は「日本必敗」との報告を受ける。しかしその一方で、

(ちゅうかみんこくとのせんそうが4ねんたってもしょうりがみえないなか、いぎりす)

中華民国との戦争が4年たっても勝利が見えない中、イギリス

((とおーすとらりあやにゅーじーらんど、えいりょういんどなどいぎりすれんぽうしょこく))

(とオーストラリアやニュージーランド、英領インドなどイギリス連邦諸国)

(あめりか、おらんだという、にほんにくらべてしげんもほうふでじんこうもおおく、)

とアメリカ、オランダという、日本に比べて資源も豊富で人口も多く、

(こうぎょうりょくがおおきいこっか、それもふくすうとどうじにかいせんするという、)

さらに明らかに工業力が大きい国家、それも複数と同時に開戦するという、

(ぼうきょともいえるせいさくにいをとなえるもののこえはますますちいさくなっていった。)

暴挙とも言える政策に異を唱える者の声は益々小さくなっていった。

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