紫式部 源氏物語 明石 15 與謝野晶子訳
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問題文
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(しゅっぱつがみょうごにちにちかづいたよる、いつもよりははやくやまてのいえへげんじはでかけた。)
出発が明後日に近づいた夜、いつもよりは早く山手の家へ源氏は出かけた。
(まだはっきりとはきょうまでよくみなかったおんなは、きじょらしいけだかいようすが)
まだはっきりとは今日までよく見なかった女は、貴女らしい気高い様子が
(みえて、このみぶんにふさわしくないたんれいさがそなわっていた。すてていきがたい)
見えて、この身分にふさわしくない端麗さが備わっていた。捨てて行きがたい
(きがして、げんじはなんらかのけいしきできょうへむかえようというきになったのであった。)
気がして、源氏はなんらかの形式で京へ迎えようという気になったのであった。
(そんなふうにいっておんなをなぐさめていた。おんなからもつくづくとげんじのみられるのも)
そんなふうに言って女を慰めていた。女からもつくづくと源氏の見られるのも
(こんやがはじめてであった。ながいくろうのあとはげんじのかおに)
今夜がはじめてであった。長い苦労のあとは源氏の顔に
(やせがみえるのであるが、それがまたいいようもなくえんであった。)
痩せが見えるのであるが、それがまた言いようもなく艶であった。
(あふれるようなあいをもって、なみだぐみながらしょうらいのやくそくをおんなにするげんじをみては、)
あふれるような愛を持って、涙ぐみながら将来の約束を女にする源氏を見ては、
(これだけのこうふくをうければもうこのうえをねがわないであきらめることも)
これだけの幸福をうければもうこの上を願わないであきらめることも
(できるはずであるとおもわれるのであるが、おんなはげんじがうつくしければうつくしいだけ)
できるはずであると思われるのであるが、女は源氏が美しければ美しいだけ
(じしんのかちのひくさがおもわれてかなしいのであった。あきかぜのなかできくときに)
自身の価値の低さが思われて悲しいのであった。秋風の中で聞く時に
(ことにさびしいなみのおとがする。しおをやくけむりがうっすりそらのまえにうかんでいて、)
ことに寂しい波の音がする。塩を焼く煙がうっすり空の前に浮かんでいて、
(かんしょうてきにならざるをえないふうけいがそこにはあった。
)
感傷的にならざるをえない風景がそこにはあった。
(このたびはたちわかるとももしおやくけむりはおなじかたになびかん
)
このたびは立ち別るとも藻塩焼く煙は同じ方になびかん
(とげんじがいうと、
)
と源氏が言うと、
(かきつめてあまのやくものおもいにもいまはかいなきうらみだにせじ
)
かきつめて海人の焼く藻の思ひにも今はかひなき恨みだにせじ
(とだけいって、かれんなふうにないていておおくはいわないのであるが、)
とだけ言って、可憐なふうに泣いていて多くは言わないのであるが、
(げんじにときどきこたえることばにはじょうのこまやかさがみえた。げんじがしじゅう)
源氏に時々答える言葉には情のこまやかさが見えた。源氏が始終
(ききたくおもっていたきんをきょうまでおんなのひこうとしなかったことをいって)
聞きたく思っていた琴を今日まで女の弾こうとしなかったことを言って
(げんじはうらんだ。
「ではあとであなたにおもいだしてもらうために)
源氏は恨んだ。
「ではあとであなたに思い出してもらうために
など
(わたくしもひくことにしよう」
とげんじは、きょうからもってきたきんを)
私も弾くことにしよう」
と源氏は、京から持って来た琴を
(はまのいえへとりにやって、すぐれたむずかしいきょくのいっせつをひいた。)
浜の家へ取りにやって、すぐれたむずかしい曲の一節を弾いた。
(しんやのすんだきのなかであったから、ひじょうにうつくしくきこえた。にゅうどうはかんどうして、)
深夜の澄んだ気の中であったから、非常に美しく聞こえた。入道は感動して、
(むすめへもうながすようにじしんでじゅうさんげんのきんをきちょうのなかへさしいれた。)
娘へも促すように自身で十三絃の琴を几帳の中へ差し入れた。
(おんなもとめどなくながれるなみだにさそわれたように、ひくいおとでひきだした。)
女もとめどなく流れる涙に誘われたように、低い音で弾き出した。
(きわめてじょうずである。にゅうどうのみやのじゅうさんげんのわざはげんこんだいいちであるとおもうのは、)
きわめて上手である。入道の宮の十三絃の技は現今第一であると思うのは、
(はなやかにきれいなおとで、きくもののこころもほがらかになって、ひきてのうつくしさも)
はなやかにきれいな音で、聞く者の心も朗らかになって、弾き手の美しさも
(めにほうふつとえがかれるてんなどがひじょうなめいしゅとおもわれるてんである。これはあくまでも)
目に髣髴と描かれる点などが非常な名手と思われる点である。これはあくまでも
(すみきったげいで、しんのおんがくとしてひはんすればいちだんうえのぎりょうがあるともいえると、)
澄み切った芸で、真の音楽として批判すれば一段上の技倆があるとも言えると、
(こんなふうにげんじはおもった。げんじのようなおんがくのてんさいであるひとが、)
こんなふうに源氏は思った。源氏のような音楽の天才である人が、
(はじめてあじわうみょうみであるとおもうようなてもあった。ほうまんするまでには)
はじめて味わう妙味であると思うような手もあった。飽満するまでには
(きかせずにやめてしまったのであるが、げんじはなぜきょうまでに)
聞かせずにやめてしまったのであるが、源氏はなぜ今日までに
(しいてもひかせなかったかとざんねんでならない。ねつじょうをこめたことばで)
しいても弾かせなかったかと残念でならない。熱情をこめた言葉で
(げんじはいろいろにしょうらいをちかった。
「このきんはまたふたりであわせてひくひまで)
源氏はいろいろに将来を誓った。
「この琴はまた二人で合わせて弾く日まで
(かたみにあげておきましょう」
とげんじがきんのことをいうと、おんなは、)
形見にあげておきましょう」
と源氏が琴のことを言うと、女は、
(なおざりにたのめおくめるひとことをつきせぬねにやかけてしのばん
)
なほざりに頼めおくめる一ことをつきせぬ音にやかけてしのばん
(いうともなくこういうのを、げんじはうらんで、
)
言うともなくこう言うのを、源氏は恨んで、
(あうまでのかたみにちぎるなかのおのしらべはことにかわらざらなん
)
逢ふまでのかたみに契る中の緒のしらべはことに変はらざらなん
(といったが、なおこのきんのちょうしがくるわないあいだにかならずあおうとも)
と言ったが、なおこの琴の調子が狂わない間に必ず逢おうとも
(いいなだめていた。しんらいはしていてもめのまえのわかれがただただ)
言いなだめていた。信頼はしていても目の前の別れがただただ
(おんなにはかなしいのである。もっともなことといわねばならない。)
女には悲しいのである。もっともなことと言わねばならない。