夢野久作 押絵の奇蹟⑯/⑲

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(それをよみましたときにわたしはからだじゅうがみずをかけられたようにあせばんでしまい)

それを読みました時に私は身体中が水をかけられたように汗ばんでしまい

(ました。そうしてせっかくよろこびいさんでおりましたわたしのこころはまたも、いしのように)

ました。そうしてせっかく喜び勇んでおりました私の心は又も、石のように

(おもたくなってしまいました。「おにいさまとわたしとはやっぱりふぎのこだ。そうして)

重たくなってしまいました。「お兄様と私とはやっぱり不義の子だ。そうして

(それをしっているのはこのよにわたしひとりだけ・・・」そうおもいますにつれて、)

それを知っているのはこの世に私一人だけ・・・」そう思いますにつれて、

(わたしのめのまえがずーとくらくなっていくのでございました。)

私の眼の前がズーと暗くなって行くので御座いました。

(それからのちのわたしのこころは、もうとしょかんにいくちからもないくらいよわりきってしまいました。)

それから後の私の心は、もう図書館に行く力もない位弱りきってしまいました。

(ごはんさえのどをとおりかねるようになりまして、ただ、おかざわせんせいごふうふにごしんぱいを)

御飯さえ咽喉を通りかねるようになりまして、ただ、岡沢先生御夫婦に御心配を

(かけないためにむりからおぜんについているようなことでした。「このごろ)

かけないために無理からお膳についているような事でした。「このごろ

(としこさんのふうつきのすっきりしてきたこと・・・それでこのとうきょうにきたかいが)

トシ子さんの風付きのスッキリして来たこと・・・それでこの東京に来た甲斐が

(あるわ・・・ねえあなた・・・」といっておふたりからほめられたり、)

あるわ・・・ネエあなた・・・」と云ってお二人から褒められたり、

(ひやかされたりしましたときのつろうございましたこと・・・。けれども、それでも)

冷やかされたりしました時の辛う御座いました事・・・。けれども、それでも

(まだわたしのこころのそこに、あきらめきれないなにかしらがのこっておったのでござい)

まだ私の心の底に、あきらめ切れない何かしらが残っておったので御座い

(ましょう。ときどきおもいだしたようにうえののとしょかんにまいりましては、いがくに)

ましょう。時々思い出したように上野の図書館に参りましては、医学に

(かんけいしましたふしぎなできごとや、めずらしいじじつをかいたしょもつを、あてどもなく)

関係しました不思議な出来事や、珍しい事実を書いた書物を、あてどもなく

(よみちらしておりますうちにまたも、おもいもかけませぬしょもつからたいへんなおはなしを)

読み散らしておりますうちに又も、思いもかけませぬ書物から大変なお話を

(みつけだしまして、びっくりいたしたのでございます。)

見つけ出しまして、ビックリ致したので御座います。

(そのしょもつをかかれましたのは、そのころもうなくなっておられたいがくはかせの)

その書物を書かれましたのは、その頃もう亡くなっておられた医学博士の

(いしがみとうぶんというかたで、たしかめいじにじゅうねんごろにせいようのしょもつからほんやく)

石神刀文(とうぶん)という方で、確か明治二十年頃に西洋の書物から翻訳

(なすったものと、おぼえております。だいめいは「ほういがくよばなし」ともうしますので、)

なすったものと、おぼえております。題名は「法医学夜話」と申しますので、

(そのなかにはむかしからこんにちまでのあいだに、ほういがくじょうのもんだいになりましたいろいろなふしぎな)

その中には昔から今日までの間に、法医学上の問題になりました色々な不思議な

など

(できごとがむかしふうのぶんしょうでおもしろくかいてあるのでございましたが、そのおしまいの)

出来事が昔風の文章で面白く書いてあるので御座いましたが、そのおしまいの

(ほうにつぎのようなおはなしがまじっておりました。そのしょもつはもうどこのほんやにもない)

方に次のようなお話が交っておりました。その書物はもうどこの本屋にもない

(とのことでしたから、わたしはそののち、いまいちどとしょかんにかよいまして、そのおはなしのところ)

との事でしたから、私はその後、今一度図書館に通いまして、そのお話のところ

(だけをかきうつして、おにいさまのおしゃしんやおはなしのきじといっしょにはだみはなさずもっており)

だけを書き写して、お兄様のお写真やお話の記事と一緒に肌身離さず持っており

(ましたので、およみにくいかぞんじませぬが、そのままここにはさんでおきます。)

ましたので、お読みにくいか存じませぬが、そのままここに挟んでおきます。

(ほういがくよばなし(いしがみとうぶんしちょ)だいごしょうじんしんのよういそのいちにんしんきだん)

法医学夜話(石神刀文氏著)第五章 人身の妖異 その一 姙娠奇談

(じんしんのようい、そのほかにかんするほういがくじょうのきょうみのあるそうわもまたけっして)

人身の妖異、その他に関する法医学上の興味のある挿話もまた決して

(めずらしからず。なかにももっともひとのいひょうにいづるものあるはにんしんにかんするきだんにして、)

珍しからず。中にも最も人の意表に出づるものあるは姙娠に関する奇談にして、

(とうていこんもんせんすにてははんだんしうべからざるものおおし。そのだいいちにかかぐべきは)

到底コンモンセンスにては判断し得べからざるもの多し。その第一に掲ぐべきは

(むかし(せいれききげんぜんさんびゃくななじゅうねんぜんご)ぎりしゃのくにのいちおうひのみのうえにおこりし)

昔(西暦紀元前三百七十年前後)ギリシャの国の一王妃の身の上に起りし

(きせきてきなげんしょうなり。)

奇蹟的な現象なり。

(やくしゃいわくうらむらくはこのげんぶんには、そのおうとおうひのなをめいきしあらず。)

◇訳者曰く 憾むらくはこの原文には、その王と王妃の名を明記し在らず。

(とうじぎりしゃこくないはあてねしをのぞくほか、すうこのせんせいてきくんしゅこくがぶんりつしおりしを)

当時ギリシャ国内はアテネ市を除くほか、数個の専制的君主国が分立しおりしを

(もって、このじけんのおこりしもそのなかのいっこくなりとすいそくされる。)

以て、この事件の起りしもその中の一国なりと推測される。

(そのおうひはさくりつごまもなくみごもりたまいて、あけくれいっしつにきがしつつぼうせきと)

その王妃は冊立後間もなく身籠り給いて、明け暮れ一室に起臥しつつ紡績と

(せいようとをこととせられしが、そのへやのびかんには、せんおうの)

静養とを事とせられしが、その室(へや)の 楣間(びかん)には、先王の

(みがわりとなりてちゅうしせしこくどのしょうぞうががただいっこかかげあり。)

身代わりとなりて忠死せし黒奴(こくど)の肖像画が唯一個掲げあり。

(そのじょうぼうあたかもおうひのがしょうをみおろしつつびしょうをふくみおれるがごとく)

その状貌宛(あた)かも王妃の臥床を視下ろしつつ微笑を含みおれるが如く

(しかり。おうひもまたしょうじょうによこたわりつつ、しょざいなきおりおりはそのこくどのしょうぞうを)

然り。王妃もまた床上に横たわりつつ、所在なき折々はその黒奴の肖像を

(じゅくししおられしが、やがてつきみちてうまれしがいじをみれば、)

熟視しおられしが、やがて月満ちて 生れし孩児(がいじ)を見れば、

(びもくせいしゅうなるおうのたねとおもいきや、まっくろくろのくろんぼうなりしかば)

眉目清秀なる王の胤(たね)と思いきや、真っ黒々の黒ん坊なりしかば

(おうひのおどろきひとかたならず、そのままもんぜつしていきたえなむばかりなりしはさも)

王妃の驚き一方ならず、そのまま悶絶して息絶えなむばかりなりしはさも

(ありなむ。しかるにかくとしりたるおうのきょうがくとふんげきもまたひとかたならず。)

ありなむ。然るに斯(か)くと知りたる王の驚愕と憤激もまた一方ならず。

(ただちにへいしにめいじておうひをかんきんするとどうじに、とうじめしつかいたまいしこくどを)

直ちに兵士に命じて王妃を監禁すると同時に、当時召し使い給いし黒奴を

(ことごとくからめとってごくしゃにとうじ、いちいちごうもんにかけたまいけれ)

悉(ことごと)く搦(から)め取って獄舎に投じ、一々拷問にかけ給いけれ

(ども、もとよりみにおぼえなきものどものこととてはくじょうするものひとりもなく、ついにゆゆしき)

ども、固より身に覚えなき者共の事とて白状する者一人もなく、遂に由々しき

(ぎごくのすがたとぞなりにける。しかるにまた、そのとうじ、あてねしに、ひぽくらてすと)

疑獄の姿とぞなりにける。然るに又、その当時、アテネ市に、ヒポクラテスと

(なんよべるろういしあり。そのとくぼうと、がくしきと、しゅわんと、ともにいっせいにかんぜつせる)

なん呼べる老医師あり。その徳望と、学識と、手腕と、共に一世に冠絶せる

(じんぶつなりしが、このことをつたえきくやわざわざおうのごぜんにしゅっとうし、)

人物なりしが、この事を伝え聞くや態々(わざわざ)王の御前に出頭し、

(にんしんちゅうのふじょしがあるひとのすがたをおもいこみ、また、あるいっていのけいじょうしきさいのものを)

姙娠中の婦女子が或る人の姿を思い込み、又、或る一定の形状色彩のものを

(きながくしねんし、また、ぎょうしするときは、そのひとのすがた、または、そのぶっぴんのけいじょうしきさいに)

気長く思念し、又、凝視する時は、その人の姿、又は、その物品の形状色彩に

(にたるこのうまるべきこと、かならずしもふごうりにあらざるべきを、れいをあげ)

似たる児の生まるべき事、必ずしも不合理に 非(あら)ざるべきを、例を挙げ

(あかしをひいてせつめいせしかば、おうのうたがいようやくにしてとけ、おうひとこくどとのえんざいも)

証を引いて説明せしかば、王の疑いようやくにして解け、王妃と黒奴との冤罪も

(のこりなくはれて、ただ、かのこくどのしょうぞうがのみがはいきしょうきゃくのけいにしょせられきと)

残りなく晴れて、唯、かの黒奴の肖像画のみが廃棄焼却の刑に処せられきと

(なん。これすなわちほういがくのらんしょうにして、りっぽうのにわにいしのしんげんの)

なん。これ即ち法医学の濫觴(らんしょう)にして、律法の庭に医師の進言の

(さいようせられしこうしなりときけり。)

採用せられし嚆矢(こうし)なりと聞けり。

(やくしゃいわくしなにつたわれるたいきょうなるものも、このひぽくらてすのけんちよりみる)

◇訳者曰く 支那に伝われる胎教なるものも、このヒポクラテスの見地より見る

(ときはあながちにこうとうむけいのめいしんとしていちがいにはいせきすべきものにあらず。)

時は強(あなが)ちに荒唐無稽の迷信として一概に排斥すべきものに非ず。

(あるいは、もっともこうとうなるかがくてきのけんきゅうしゅだんによりてのみりかいされうべき、)

或は、最も高等なる科学的の研究手段によりてのみ理解され得べき、

(しんえんびみょうなるがくりげんそくのそのかんにげんそんせるものなしというべからず。)

深遠微妙なる学理原則のその間(かん)に厳存せるものなしと云うべからず。

(かならずべきことにこそ。)

必ずべき事にこそ。

(また、つぎにかかぐるは、いまよりやくにじゅうねんまえ(せいれきせんはっぴゃくろくじゅうろくねん))

又、次に掲ぐるは、今より約二十年前(西暦一八六六年)

(われえいこくのほうそうかいにおいてしんじんなるちゅういのしょうてんとなり、かいがいのせんもんざっしにも)

我英国の法曹界に於て深甚なる注意の焦点となり、海外の専門雑誌にも

(つたえられしじけんなれば、あるいはきおくにあらたなるどくしゃもあるべけれども、みちのひとびとの)

伝えられし事件なれば、或は記憶に新なる読者もあるべけれども、未知の人々の

(ためにしょうろくせむに、すこっとらんどのかたいなか(ちめいひ)にすめるきぞくにして)

ために抄録せむに、スコットランドの片田舎(地名秘)に住める貴族にして

(あかがみふごうのきこえたかきこんらど(かめい)じゅうだんしゃくというがあり。とししじゅうにおよびて)

赤髪富豪のきこえ高きコンラド(仮名)従男爵というがあり。年四十に及びて

(すうまいるをへだてたるところにある「たかがやど」というゆいしょあるいえがらにうまれし)

数哩(マイル)を隔てたる処に在る「鷹が宿」という由緒ある家柄に生れし

(ありな(かめい)とよべるわかきじょせいをふじんとしてむかえけるが、このじょせいはがんらい)

アリナ(仮名)と呼べる若き女性を夫人として迎えけるが、この女性は元来

(ぜっせいのびじんなりしにもかかわらず、なにゆえかはっぽうよりもうしこみくるこんやくをことごとく)

絶世の美人也しにも拘らず、何故(なにゆえ)か八方より申込み来る婚約を悉く

(しゃぜつしおり。あまとなりてしゅうどういんにはいらむと、こころざしおりしものなりしを、)

謝絶しおり。尼となりて修道院に入らむと、志しおりしものなりしを、

(はっぽうよりてをつくして、かろうじてもらいうけしものなりければ、じゅうだんしゃくのまんえつ)

八方より手を尽して、辛うじて貰い受けしものなりければ、従男爵の満悦

(たとうべくもあらず。みかたのしんせきちゆうはもとよりしんふじんのりょうしんこつにくおよび)

譬うべくもあらず。身方の親戚知友はもとより新夫人の両親骨肉及び

(「たかのやど」のりんかにすめるいし、けん、べんごしのめんじょうしょゆうしゃにして、)

「鷹の宿」の隣家に住める医師、兼、弁護士の免状所有者にして、

(とくがくのきこえたかきらんどるふ・たりすまんしまでもしょうたいして、せいだいなる)

篤(とく)学の聞え高きランドルフ・タリスマン氏迄も招待して、盛大なる

(かしょくのてんをあげ、ふきんじゅうみんをしてせんぼうかつごうのめをみはらしめぬ。)

華燭の典を挙げ、附近住民をして羨望渇仰の眼を瞠らしめぬ。

(さるほどにありなしんふじんはやがて、じゅうだんしゃくのたねをやどしつ。つきみちてたまのごときだんしを)

さる程にアリナ新夫人はやがて、従男爵の胤を宿しつ。月満ちて玉の如き男子を

(うみおとしけるが、そのこのがんぼうひとめみるよりじゅうだんしゃくのめんしょくはこつぜんとしていっぺんし、)

生み落しけるが、その児の顔貌一目見るより従男爵の面色は忽然として一変し、

(こえをあらげていいけるよう。「わがいえにはだいだいかくのごときしっこくのもうはつをゆうせるもの)

声を荒げて云いけるよう。「吾家には代々斯くの如き漆黒の毛髪を有せる者

(ひとりもうまれたることなし。またなんじがいえのけいとうにもさるものなきはひとのしるところに)

一人も生れたる事なし。又汝が家の系統にもさる者なきは人の知るところに

(して、なんじをわがつまとしてむかえたるりゆうもまた、そのてんにかかってそんするを)

して、汝を吾が妻として迎えたる理由もまた、その点に懸かって存するを

(しらざりしか。さっするところなんじは、なんぴとかくろかみをゆうするだんしと)

知らざりしか。察するところ汝は、 何人(なんぴと)か黒髪を有する男子と

(みっつうしてこのこをやどせしものにそういなし。よはかくのごときこをわがいえのこうしと)

密通してこの子を宿せしものに相違なし。余は斯くの如き児を吾が家の後嗣と

(してひろうするあたわず、とくとくこのこをいだきておやざとにたちされ。)

して披露する能わず、疾(と)く疾くこの児を抱きて親里に立ち去れ。

(しかしてよのせきばつのいかにかんだいなるかをおもいしれ」とぞののしりける。しかるにこれに)

而して余の責罰の如何に寛大なるかを思い知れ」とぞ罵りける。然るにこれに

(たいしてありなふじんはふしぎにもひとことのべんかいをもこころみんとせず。そのよるふかくくだんの)

対してアリナ夫人は不思議にも一言の弁解をも試みんとせず。その夜深く件の

(くろかみのがいじをいだきてひそかにさんしつをよろぼいいで、はだしのまますうまいるをほこうして、)

黒髪の孩児を抱きて秘かに産室をよろぼい出で、裸足のまま数哩を歩行して、

(よくじつのしょうごにおやざとにかえりつきしが、かじんのすきをうかがいてげんかんよこのおうせつまにはいり、)

翌日の正午に親里に帰り着きしが、家人の隙を窺いて玄関横の応接間に入り、

(そのしょうめんにかかげあるくろかみのびしょうねんのしょうぞうがのまえにきたり、いしだたみの)

その正面に掲げある黒髪の美少年の肖像画の前に来り、石甃(いしだたみ)の

(うえにたおれふしたるままいきたえぬ。ほどへてこれをはっけんせしじつふぼは)

上にたおれ伏したるまま息絶えぬ。程経てこれを発見せし実父母は

(きょうがいおくところをしらず。ただちにりんかのたりすまんしを)

驚駭(きょうがい)措くところを識らず。直ちに隣家のタリスマン氏を

(むかえきたり、みずよくすりよとたちさわぎけれどもそのかいなく、ただ、くろかみのがいじのみが)

迎え来り、水よ薬よと立ち騒ぎけれどもその甲斐なく、唯、黒髪の孩児のみが

(ちちをよびつついきのこりけるこそあわれのなかのあわれなりしか。)

乳を呼びつつ生き残りけるこそ哀れの中のあわれなりしか。

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