伝道者の書2章(14-26節)
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問題文
(14.ちえあるものは、そのあたまにめがあるが、おろかなものはやみのなかをあるく。)
14.知恵ある者は、その頭に目があるが、愚かな者はやみの中を歩く。
(しかし、みな、おなじけつまつにいきつくことをわたしはしった。)
しかし、みな、同じ結末に行き着くことを私は知った。
(15.わたしはこころのなかでいった。「わたしもおろかなものとおなじけつまつにいきつくのなら、)
15.私は心の中で言った。「私も愚かな者と同じ結末に行き着くのなら、
(それではわたしのちえはわたしになんのえきになろうか。」わたしはこころのなかでかたった。)
それでは私の知恵は私に何の益になろうか。」私は心の中で語った。
(「これもまたむなしい」と。)
「これもまたむなしい」と。
(16.じじつ、ちえあるものもおろかなものも、いつまでもきおくされることはない。)
16.事実、知恵ある者も愚かな者も、いつまでも記憶されることはない。
(ひがたつと、いっさいはわすれられてしまう。)
日がたつと、いっさいは忘れられてしまう。
(ちえあるものもおろかなものとともにしんでいなくなる。)
知恵ある者も愚かな者とともに死んでいなくなる。
(17.わたしはいきていることをにくんだ。ひのしたでおこなわれるわざは、)
17.私は生きていることを憎んだ。日の下で行われるわざは、
(わたしにとってはわざわいだ。すべてはむなしく、かぜをおうようなものだから。)
私にとってはわざわいだ。すべてはむなしく、風を追うようなものだから。
(18.わたしは、ひのしたでほねおったいっさいのろうくをにくんだ。)
18.私は、日の下で骨折ったいっさいの労苦を憎んだ。
(こうけいしゃのためにのこさなければならないからである。)
後継者のために残さなければならないからである。
(19.こうけいしゃがちえあるものかおろかものか、だれにわかろう。)
19.後継者が知恵ある者か愚か者か、だれにわかろう。
(しかも、わたしがひのしたでほねおり、ちえをつかってしたすべてのろうくを、)
しかも、私が日の下で骨折り、知恵を使ってしたすべての労苦を、
(そのものがしはいするようになるのだ。これもまた、むなしい。)
その者が支配するようになるのだ。これもまた、むなしい。
(20.わたしはひのしたでほねおったいっさいのろうくをおもいかえしてぜつぼうした。)
20.私は日の下で骨折ったいっさいの労苦を思い返して絶望した。
(21.どんなにひとがちえとちしきとさいのうをもってろうくしても、)
21.どんなに人が知恵と知識と才能をもって労苦しても、
(なんのろうくもしなかったものに、じぶんのわけまえをゆずらなければならない。)
何の労苦もしなかった者に、自分の分け前を譲らなければならない。
(なにこれもまた、むなしく、ひじょうにわるいことだ。)
何これもまた、むなしく、非常に悪いことだ。
(22.じつに、ひのしたでほねおったいっさいのろうくとおもいわずらいは、ひとになにになろう。)
22.実に、日の下で骨折ったいっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろう。
(23.そのいっしょうはかなしみであり、そのしごとにはなやみがあり、)
23.その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、
(そのこころはよるもやすまらない。これもまた、むなしい。)
その心は夜も休まらない。これもまた、むなしい。
(24.ひとには、たべたりのんだりし、じぶんのろうくにまんぞくをみいだすよりほかに、)
24.人には、食べたり飲んだりし、自分の労苦に満足を見いだすよりほかに、
(なにもよいことがない。これもまた、かみのみてによることがわかった。)
何も良いことがない。これもまた、神の御手によることがわかった。
(25.じつに、かみからはなれて、だれがたべ、だれがたのしむことができようか。)
25.実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか。
(26.なぜなら、かみは、みこころにかなうひとには、ちえとちしきとよろこびをあたえ、)
26.なぜなら、神は、みこころにかなう人には、知恵と知識と喜びを与え、
(つみびとには、かみのみこころにかなうものにわたすために、あつめ、)
罪人には、神のみこころにかなう者に渡すために、集め、
(たくわえるしごとをあたえられる。これもまた、むなしく、)
たくわえる仕事を与えられる。これもまた、むなしく、
(かぜをおうようなものだ。)
風を追うようなものだ。