嫁取婿取 10
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問題文
(しかしほかのゆうかぶつとことなってこどもはなまみである。)
しかし他の有価物と異なって子供は生身である。
(くろうをかけることおびただしい。やましたふうふはこころのやすまるまがなかった。)
苦労をかけること夥しい。山下夫婦は心の休まる間がなかった。
(いまだみなちいさかったころはかぜがはやるとじゅんぐりにひいて)
未だ皆小さかった頃は風邪が流行ると順繰りに引いて
(けっきょくこせきめんどおりにまくらがならんだ。はしかをさんにんいちどにやったこともある。)
結局戸籍面通りに枕が並んだ。麻疹を三人一度にやったこともある。
(じふてりやもやった。なんでもひとりですむことはめったにない。)
ジフテリヤもやった。何でも一人で済むことは滅多にない。
(ふじんがまつなんのさんじょくちゅうちょうなんちょうじょがちぶすでにゅういんしたときなぞは)
夫人が末男の産褥中長男長女がチブスで入院した時なぞは
(やましたさん、よのなかがすっかりくらくなってしまった。)
山下さん、世の中がすっかり暗くなってしまった。
(「あれはきいた。あのあとしらががぽつぽつはえてきた」)
「あれは利いた。あの後白髪がポツポツ生えてきた」
(といまだにいっている。じつによくわずらったものである。)
と未だに言っている。実によく患ったものである。
(きせつきせつのしょうにびょうにいたってはけっしてりゅうこうにおくれることがなかった。)
季節々々の小児病に至っては決して流行に後れることがなかった。
(「いえのこはなんでもさきがけをするんでございますからね」とふじんがこぼした。)
「家の子は何でも魁をするんでございますからね」と夫人がこぼした。
(「いや。ときたまとのごをつとめることもあるよ。しかしそういうときは)
「いや。時たま殿後を勤めることもあるよ。しかしそういう時は
(かえっておもいから、やっぱりはやくやってもらうほうがいい」)
却って重いから、やっぱり早くやって貰う方がいい」
(とやましたさんはまぬかれがたいうんめいのようにかんがえていた。)
と山下さんは免れ難い運命のように考えていた。
(かかりつけのおいしゃさんは、「またですか?こんどはどなたです?」と)
かかりつけのお医者さんは、「又ですか?今度は何方です?」と
(ききながら、きのどくそうなかおをしてあがりこんだものだった。)
訊きながら、気の毒そうな顔をして上がり込んだものだった。
(こどもがゆいいつのくったくだからさわぎもおおきい。)
子供が唯一の屈託だから騒ぎも大きい。
(ねつがみっかもつづくとやましたさんはかいしゃのしごとをそっちのけのしてしんさつにたちあう。)
熱が三日も続くと山下さんは会社の仕事をそっち退けのして診察に立ち会う。
(「どうでしょう?だいじょうぶですか?」「りゅうかんですよ」)
「どうでしょう?大丈夫ですか?」「流感ですよ」
(「ちぶすやはいえんのびこうはみえませんか?」とわるいことばかりかんがえる。)
「チブスや肺炎の微候は見えませんか?」と悪い事ばかり考える。
(やましたけのこどもはやみつくのもはやいがてあてがはやいからなおるのもはやい。)
山下家の子供は病みつくのも早いが手当が早いから治るのも早い。
(いしゃはそういうかんかがかきいれだ。)
医者はそういう患家が書き入れだ。
(そのつど、いのちびろいだとおもってありがたがられる。あるとしのくれにやましたふじんは)
その都度、命拾いだと思って有難がられる。或年の暮れに山下夫人は
(「あなた、めずらしいことがございますのよ」とてがらかおにちゅうしんした。)
「あなた、珍しいことがございますのよ」と手柄顔に注進した。
(「なにだい?」「いつにもないことでございます」「さあ、なにだろう?」)
「何だい?」「いつにもないことでございます」「さあ、何だろう?」
(「やっかがただななえんごじゅっせんですみました」「ふうむ、そういえばこのころは)
「薬価が唯七円五十銭で済みました」「ふうむ、そういえばこの頃は
(びょうにんのくろうがなくなったね。もうそろそろやみぬけるんだろう」)
病人の苦労がなくなったね。もうそろそろ病み抜けるんだろう」
(「みな、おおきくなったからですわ」「それもある。なににしてもありがたいことだ」)
「皆、大きくなったからですわ」「それもある。何にしても有難いことだ」
(とやましたさんはまんぞくだった。やっかはかていのくらさにひれいする。)
と山下さんは満足だった。薬価は家庭の暗さに比例する。
(まつなんのひでひこくんがじんじょうさんねんにすすんだころから、おいしゃさんとほぼえんがきれた。)
末男の英彦君が尋常三年に進んだ頃から、お医者さんと略縁が切れた。
(しかしどうじにべつくちのしんぱいがあたまをもたげていた。)
しかし同時に別口の心配が頭を擡げて居た。
(くろうをしてそだてあげたおんなのこのとうのたたないなかにてばなさなければならない。)
苦労をして育て上げた女の子の薹の立たない中に手放さなければならない。
(そのだいいちはちょうじょのはるこさんだった。)
その第一は長女の春子さんだった。
(じょがっこうをでてせんしゅうかをやっていたから、まだまだとおもっているなかに)
女学校を出て専修科をやっていたから、まだまだと思っている中に
(もうにじゅうに、すてすてはおけない。)
もう二十二、捨て捨ては置けない。
(どうりょうのむすめさんがこんきをのがしてにどめのところへかたづいたときいてから)
同僚の娘さんが婚期を逃して二度目のところへ片付いたと聞いてから
(おかあさんは「はるこや、もううかうかしてはいられませんよ」と)
お母さんは「春子や、もうウカウカしてはいられませんよ」と
(きゅうにあわてはじめた。「なぜ?おかあさん」「およめにいかなければなりませんよ」)
急に慌て始めた。「何故?お母さん」「お嫁にいかなければなりませんよ」
(「わたし、まいりませんわ。がっこうにのこしていただいてせんせいになりますわ」と)
「私、参りませんわ。学校に残して戴いて先生になりますわ」と
(おんなのこはたいていこんなことをいいながら)
女の子は大抵こんなことを言いながら
(ふじんざっしでりょうじんそうじゅうほうをけんきゅうしている。)
婦人雑誌で良人操縦法を研究している。
(はるこさんのしたにはたちのやすこさんとじゅうきゅうのよしこさんがひかえていたから)
春子さんの下に二十の安子さんと十九の芳子さんが控えていたから
(せわずきのしりあいはすでになこうどやくをもうしでたことがたびたびあった。)
世話好きの知り合いは既に仲人役を申し出たことが度々あった。
(しかし、やましたふさいがそのつどていよくことわるのでよほどもちがたかいとほぐされていた。)
しかし、山下夫妻がその都度体よく断るので余程望が高いと解されていた。
(「どうです?ひとつごちゅうもんをおっしゃってください。ごちゅうもんを」と)
「どうです?一つご注文を仰ってください。ご注文を」と
(とくになこうどどうらくのいちちじんはごうをにやすくらいだった。)
特に仲人道楽の一知人は業を煮やすくらいだった。
(「あなた、きぬがささんにおたのみいたしましょうか?」と)
「あなた、衣笠さんにお頼み致しましょうか?」と
(あるばん、やましたふじんはそのひとをおもいだした。「そうさね」と)
或る晩、山下夫人はその人を思い出した。「そうさね」と
(やましたさんもかんがえていたところだった。)
山下さんも考えていたところだった。
(「あのほうならしじゅう、ふたつやみっつこころあたりがおありですよ」)
「あの方なら始終、二つや三つ心当たりがおありですよ」
(「しかしそのまえにこっちのちゅうもんをぐたいてきにさだめておくひつようがある。)
「しかしその前にこっちの注文を具体的に定めて置く必要がある。
(はるこをよんできいてみようか?」)
春子を呼んで訊いて見ようか?」