嫁取婿取 28

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プレイ回数53難易度(4.5) 4215打 長文
佐々木邦 作

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問題文

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(「おとうさま、おかあさま、ぞんじながらついついごぶさたもうしわけございません。)

「お父さま、お母さま、存じながらついつい御無沙汰申し訳ございません。

(ごけんしょうでなによりぞんじます」とさぶろうくんははあいかわらずかくばっている。)

御健勝で何より存じます」と三郎君はは相変わらず角張っている。

(「どうだね?」「おかげさまでいちどうがんけんにくらしております」)

「どうだね?」「お陰様で一同頑健に暮らして居ります」

(「このあいだはるこがぼうやをみせにきてくれたよ。おおきくなったね」)

「この間春子が坊やを見せに来てくれたよ。大きくなったね」

(「はあ、そのせつはいろいろと」「さあ。くずしなさい。ようふくはきゅうくつだ」「はあ」)

「はあ、その説は色々と」「さあ。崩しなさい。洋服は窮屈だ」「はあ」

(「きょうはのどかだ。ゆっくりはなそう」とやましたさんはもはんをしめしてあぐらをかいた。)

「今日は閑だ。ゆっくり話そう」と山下さんは模範を示して胡坐をかいた。

(しかしさぶろうくんはは「きょう、うかがいましたのはよのぎでもございません」と)

しかし三郎君はは「今日、伺いましたのは余の儀でもございません」と

(さらにあらたまった。これがめいじんだからしかたがない。)

更に改まった。これが名人だから仕方がない。

(「なにだね?」「ごえんだんをもってあがりました」「ははあ。だれのだい?」)

「何だね?」「御縁談を持って上りました」「ははあ。誰のだい?」

(「やすこさんのです」「これはありがたい。つねこや」「それはそれは」と)

「安子さんのです」「これは有難い。常子や」「それはそれは」と

(おかあさんはよていのこうどうだった。「ていだいしゅっしんのけいざいがくしです」)

お母さんは予定の行動だった。「帝大出身の経済学士です」

(「どこへつとめている?」「じかえいぎょうです」「ははあ。なにやだね?」)

「何処へ勤めている?」「自家営業です」「ははあ。何屋だね?」

(「めがねやです」「めがね?」「はあ」「めがねはうれまい」とやましたさんは)

「眼鏡屋です」「眼鏡?」「はあ」「眼鏡は売れまい」と山下さんは

(さっそくだいいちだんをはっした。しかしおさふねくんはすっかりけんきゅうしてきていた。)

早速第一弾を発した。しかし長船君はすっかり研究してきていた。

(「うれます。おとうさんはげんにかけていられます」)

「売れます。お父さんは現にかけていられます」

(「おれはわかいときからだが、せけんにそうそうきんがんはないよ」)

「俺は若い時からだが、世間にそうそう近眼はないよ」

(「いや、ずいぶんあります。どいつのだいがくせいははちじゅうぱーせんとまできんがんです」)

「いや、随分あります。ドイツの大学生は八十パーセントまで近眼です」

(「どいつはどいつ、にほんはにほんさ」)

「ドイツはドイツ、日本は日本さ」

(「にほんのだいがくせいはろくじゅうぱーせんとです」)

「日本の大学生は六十パーセントです」

(「とうけいをしらべてきたのかい?」「はあ」)

「統計を調べて来たのかい?」「はあ」

など

(「しかしせけんいっぱんをみすえ。めがねをかけているひとよりも)

「しかし世間一般を見据え。眼鏡をかけている人よりも

(かけていないひとのほうがおおい」)

かけていない人の方が多い」

(「ちがいます。それはきんがんきょうのばあいです。ろうがんきょうにいたりましてはよんじゅうをこせば)

「違います。それは近眼鏡の場合です。老眼鏡に至りましては四十を超せば

(ひとりのこらずかけます。おとうさんもきんがんきょうとろうがんきょうをりょうほうおつかいでしょう?」)

一人残らずかけます。お父さんも近眼鏡と老眼鏡を両方お使いでしょう?」

(「それはそうさ」「おかあさんはいかがですか?」)

「それはそうさ」「おかあさんは如何ですか?」

(「さんよねんまえからめがねがないとこまかいものがみえませんのよ」)

「三四年まえから眼鏡がないと細かいものが見えませんのよ」

(「どうでございましょうか?おとうさん。めがねがうれないってことは)

「どうでございましょうか?お父さん。眼鏡が売れないってことは

(ありませんよ」「むろんそうたいてきのはなしさ。うれまいといっただけで)

ありませんよ」「無論相対的の話さ。売れまいと言っただけで

(ぜったいにひていしたんじゃない」)

絶対に否定したんじゃない」

(「そうたいてきのおはなしにしても、めがねはおおいにうれるほうです。)

「相対的のお話にしても、眼鏡は大いに売れる方です。

(てつびんのようにいちどかっただけでいっしょうまにあうものじゃありません」)

鉄瓶のように一度かっただけで一生間に合うものじゃありません」

(「あなた、このあいだのをはるこにはなしたんでございますよ」と)

「あなた、この間のを春子に話したんでございますよ」と

(おかあさんはかんづかれるのをおそれた。)

お母さんは勘づかれるのを恐れた。

(「きんがんでもろうがんでもたびがすすみます。そのつどたまをかいかえなければなりません。)

「近眼でも老眼でも度が進みます。その都度玉を買い替えなければなりません。

(またときどきやぶれます。おとうさんはがくせいじだいからいままでにいくつおかいに)

又時々破れます。お父さんは学生時代から今までに幾つお買いに

(なりましたか?」)

なりましたか?」

(「さあ、じゅうぐらいかっているかもしれない」)

「さあ、十ぐらいかっているかも知れない」

(「きんがんのひとはみなそうです。めがねやにずいぶんほうこうします。しかしおとうさん」)

「近眼の人は皆そうです。眼鏡屋に随分奉公します。しかしお父さん」

(「もうわかった。おまえとぎろんをはじめたらはたしがない」)

「もう分った。お前と議論を始めたら果しがない」

(「きんがんきょうとえんがんきょうをめがねのぜんぱんとおぼしめしになったんじゃおおまちがいですよ。)

「近眼鏡と遠眼鏡を眼鏡の全般と思召しになったんじゃ大間違いですよ。

(ぼうえんきょうとけんびきょうがあります。ぜんしゃはてんもんがくをそうぞういたしました。)

望遠鏡と顕微鏡があります。前者は天文学を創造致しました。

(こうしゃはさいきんがくによっていがくにかくめいをもたらしました」)

後者は細菌学によって医学に革命を齎しました」

(「わかっているよ」「それじゃうれますか?」「うれるうれる」)

「分かっているよ」「それじゃ売れますか?」「売れる売れる」

(「めがねがうれることにさだまらないと、このえんだんはけっしてまとまりません」と)

「眼鏡がうれることに定まらないと、この縁談は決して纏まりません」と

(さぶろうくんはどこまでもろんりてきにこなしていく。)

三郎君は何処までも論理的にこなして行く。

(こうえんじみちのふかさ)

高円寺道の深さ

(「ただいま」といって、さぶろうくんはげんかんのこうしをあけた。)

「唯今」といって、三郎君は玄関の格子を開けた。

(しょうがくせいががっこうからかえったようだが、このただいまにはいわれがある。)

小学生が学校から帰ったようだが、この唯今には謂れがある。

(いぜんは「ただいまもどった」とやったものだ。しかしはるこさんはとつぐとまもなく)

以前は「唯今戻った」とやったものだ。しかし春子さんは嫁ぐと間もなく

(「あなた、ただ「かえったよ」とおっしゃっていただけませんこと?」とちゅうもんした。)

「あなた、唯「帰ったよ」と仰って戴けませんこと?」と註文した。

(「なぜ?」「おしばいのまねみたいでへんじゃございませんか?)

「何故?」「お芝居の真似みたいで変じゃございませんか?

(このあいだゆうびんやさんがきあわせてわらっていましたわ」「ふうむ」)

この間郵便屋さんが来合せて笑っていましたわ」「ふうむ」

(「じぶんのいえですもの、そんなにあらたまらなくてもよろしいじゃございませんか?」)

「自分の家ですもの、そんなに改まらなくても宜しいじゃございませんか?」

(「しかしおかあさんにぐあいがわるい」「なぜでございますの?」)

「しかしお母さんに具合が悪い」「何故でございますの?」

(「おとうさんもたしかそうおっしゃったようだから、かふうをくずしたくないのさ」と)

「お父さんも確かそう仰ったようだから、家風を崩したくないのさ」と

(さぶろうくんはしゅちょうしたが、けっきょく「ただいま」だけにあらためたのである。)

三郎君は主張したが、結局「唯今」だけに改めたのである。

(しかしおかあさんのすがたがみえると「ただいまもどった」とかんぜんにやりなおしす。)

しかしお母さんの姿が見えると「唯今戻った」と完全にやり直しす。

(「あなた、さとへおいでになったとき「たのもう」とおっしゃるのは)

「あなた、里へおいでになった時「頼もう」と仰るのは

(よしていただけませんこと?」とはるこはまたちゅうもんした。)

よして戴けませんこと?」と春子は又註文した。

(「なぜ?」「みながわらうんですもの」「むずかしいんだね。おまえのさとは」)

「何故?」「皆が笑うんですもの」「むずかしいんだね。お前の里は」

(「あなたがむずかしいことばかりおっしゃるからですわ」)

「あなたがむずかしいことばかり仰るからですわ」

(「それじゃなんといえばいい?」「ただ、「ごめん」とおっしゃっていただきます。)

「それじゃ何と言えばいい?」「唯、「御免」と仰って戴きます。

(このあいだなんかじろうが「ははあい」といってでてきたでしょう」)

この間なんか二郎が「ははあい」と言って出て来たでしょう」

(「あれがせいしきだよ」「からかったんですわ」「よろしくないね」)

「あれが正式だよ」「からかったんですわ」「宜しくないね」

(「あなたがあらたまりすぎるからですわ」)

「あなたが改まり過ぎるからですわ」

(「よしよし」とさぶろうくんはいらいこころがけている。)

「よしよし」と三郎君は以来心掛けている。

(「あなた」「なにだい?」)

「あなた」「何だい?」

(「それからなるべくおくつろぎくださいよ。いえもおなじことですから)

「それから成るべくお寛ぎ下さいよ。家も同じことですから

(ちっともごえんりょはいりませんわ」とはるこさんはちゅうもんがおおい。)

ちっともご遠慮は要りませんわ」と春子さんは註文が多い。

(もっともそのはじめさいとうさんのきゃくまでさんかいにわたるみあいをしたとき)

尤もその初め斎藤さんの客間で三回に亙る見合いをした時

(きのついたことはおたがいにふくぞうなくいってあらためあおうというもうしあわせだった。)

気の付いた事はお互いに腹蔵なく言って改め合おうという申し合わせだった。

(「よしよし」「あなたがおくずしにならないものですから)

「よしよし」「あなたがお崩しにならないものですから

(にいさんやじろうはおしょうばんでいつもしびれがきれるといっていますわ」)

兄さんや二郎はお相伴でいつも痺れが切れると言っていますわ」

(「おれはすわっているほうがらくだけど、これからはなるべくくつろごう。)

「俺は坐っている方が楽だけど、これからは成るべく寛ごう。

(どうもおまえのさとはりゅうぎがあってこまる」)

どうもお前の里は流儀があって困る」

(「あなたこそりゅうぎがあるんですわ」「とにかく、きゅうくつだ」)

「あなたこそ流儀があるんですわ」「兎に角、窮屈だ」

(「あなたのほうがよっぽどきゅうくつがられていますのよ」)

「あなたの方がよっぽど窮屈がられていますのよ」

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