嫁取婿取 16
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問題文
(「やましたというおとこはなかなかのねんつかいで、なにをやっても)
「山下という男はなかなかの念使いで、何をやっても
(きゅうばのまにあいません」「ははあ」)
急場の間に合いません」「ははあ」
(「いまだとうぶんてまがかかりましょうよ」)
「未だ当分手間がかかりましょうよ」
(「わたしもべつにいそぐことはございませんが、ははがたいそうきにいりまして)
「私も別に急ぐことはございませんが、母が大層気に入りまして
(しきりにあんじているものですから・・・」)
頻りに案じているものですから・・・」
(「きみのほうのちょうさはもうじゅうぶんいきとどいて)
「君の方の調査はもう充分行き届いて
(もうしぶんないということになっています」「ははあ」)
申し分ないということになっています」「ははあ」
(「きみがかたいというはなしはそもそものはじめからしてあるんですが)
「君が堅いという話はそもそもの初めからしてあるんですが
(やましたというおとこはばかねんをつかいます。)
山下という男は馬鹿念を使います。
(いしばしをたたいてみて、よういにわたりません。)
石橋を叩いて見て、容易に渡りません。
(このいしばしはかたきやにおもうといって、またかんがえなおすくちです」)
この石橋は堅きやに思うと言って、又考え直す口です」
(「わたしがちょうどそのとおりです」「はっは・・・」「はっは・・・」)
「私が丁度その通りです」「ハッハ・・・」「ハッハ・・・」
(「いずれそのなかにみあいということになりましょうが)
「何れその中に見合いということになりましょうが
(じつはまだたたいているらしいです」「なるほど」)
実はまだ叩いているらしいです」「なるほど」
(「そこへもってきて、れいじょうがまたこのころのむすめさんににあわない)
「そこへ持って来て、令嬢が又この頃の娘さんに似合わない
(うちきなかたですからな」「ははあ」)
内気な方ですからな」「ははあ」
(「はずかしがって、いままでのところたんに「わたし、ぞんじませんわ」と)
「恥ずかしがって、今までのところ単に「私、存じませんわ」と
(おっしゃるだけで、いっこうらちがあきません」「なるほど」)
仰るだけで、一向埒が明きません」「なるほど」
(「それでいてきみのしゃしんをてばなさないところをみると)
「それでいて君の写真を手放さないところを見ると
(きにいっているにはそういありません。)
気に入っているには相違ありません。
(これはおかあさんのおことばですから、たしかなものです」「ははあ」)
これはお母さんのお言葉ですから、確かなものです」「ははあ」
(「ようするにしょしんなんですな」「しゅくじょはそうあってほしいです」)
「要するに初心なんですな」「淑女はそうあって欲しいです」
(「このあたりのじじょうをよくもうしあげておかないと)
「この辺りの事情をよく申し上げて置かないと
(ながびくしだいがわまりませんので」)
長引く次第がわまりませんので」
(「いろいろとごはいりょおそれいりました」)
「いろいろと御配慮恐れ入りました」
(「ごりょうかいがねがえれば、ぼくもあんしんしていられます」)
「御了解が願えれば、僕も安心していられます」
(「いくらでもおまちもうしあげます。すいうおかたならこのうえなしです。)
「いくらでもお待ち申し上げます。すいうお方ならこの上なしです。
(はははどなたかともうすと、あたまのふるいほうですから)
母は何方かと申すと、頭の古い方ですから
(このごろのでしゃばりむすめはこのみません」)
この頃の出しゃばり娘は好みません」
(「さっこんはずいぶんきょくたんなのがありますからね」)
「昨今は随分極端なのがありますからね」
(「だんせいかじょせいかわからないようなもだんがーるはぶるぶるですよ」)
「男性か女性か分からないようなモダン・ガールはブルブルですよ」
(「やましたけはしゅじんがかたぞうのうえにおくさんがていしゅくなほうですから)
「山下家は主人が堅造の上に奥さんが貞淑な方ですから
(そせいらんぞうにもかかわらず、おこさんはみなよいようです」と)
粗製乱造にも拘らず、お子さんは皆良いようです」と
(さいとうさんはよろしくおうたいしている。)
斎藤さんは宜しく応対している。
(ふじんはおちゃをいれてたった。しかしのこしていったすきまがひろすぎたので)
夫人はお茶を入れて立った。しかし残して行った隙間が広過ぎたので
(はるこさんはうっかりのぞくとみつかるおそれがあった。)
春子さんはうっかり覗くと見つかる恐れがあった。
(「だめよ」「こうまわってぎゃくにみてごらん。そらそら」と)
「駄目よ」「こう廻って逆に見て御覧。そらそら」と
(おかあさんがちえをつけた。どうもぐあいがわるい。それでもにさんかいのぞいた。)
お母さんが知恵をつけた。どうも具合が悪い。それでもニ三回覗いた。
(「おかあさん」とはるこさんはふあんそうはかおをした。)
「お母さん」と春子さんは不安そうは顔をした。
(「なあに」「あたまがはげていてよ」「そうね」とおかあさんもくびをかしげた。)
「なあに」「頭が剥げていてよ」「そうね」とお母さんも首を傾げた。
(そこへさいとうふじんがもどってきて「いかがでございましたの?」と)
そこへ斎藤夫人が戻って来て「いかがでございましたの?」と
(にこにこしながらきいた。「たったひとめ」)
ニコニコしながら訊いた。「たった一目」
(「なかなかごりっぱでございましょう?」「けれどもおくさま」と)
「なかなか御立派でございましょう?」「けれども奥様」と
(やましたふじんはこしょうがあった。「はあ?」)
山下夫人は故障があった。「はあ?」
(「うしろすがただけでございましたが、だいぶあたまがはげていますわね」)
「後姿だけでございましたが、大分頭が剥げていますわね」
(「あらまあ。おほほ」とさいとうふじんはわらいだしてあわててくちをおおった。)
「あらまあ。オホホ」と斎藤夫人は笑いだして慌てて口を覆った。
(「・・・」「・・・」「なんでございますの?」「あれはしゅじんよ。おほほ」)
「・・・」「・・・」「何でございますの?」「あれは主人よ。オホホ」
(「まあ、おほほ」とふじんもくるしい。「おくさま」「はあ」)
「まあ、オホホ」と夫人も苦しい。「奥様」「はあ」
(「わたし、しゅじんのあたまがはげていることをづけづけいわれたのは)
「私、主人の頭が剥げていることをヅケヅケ言われたのは
(これがはじめてでございますよ」「どうもすみません」)
これが初めてでございますよ」「どうもすみません」
(「おほほ」「おほほ」とふたり、またわらいだす。)
「オホホ」「オホホ」と二人、又笑いだす。
(としごろのはるこさんにいたってはたもとをくわえてつっぷしていた。)
年頃の春子さんに至っては袂を銜えて突っ伏していた。
(「にぎやかだね。おきゃくさまかい?」としゅじんがふすまごしにちゅういした。)
「賑やかだね。お客様かい?」と主人が襖越しに注意した。
(「はあ、ちょっと」とおくさんがとりつくろってこたえた。)
「はあ、一寸」と奥さんが取り繕って答えた。
(ふうふとじょちゅういがいにだれもいないことをおさふねくんはしっている。)
夫婦と女中以外に誰もいないことを長船君は知っている。
(かんづかれてはたいへんとおもって、さいとうさんはわざときいたのだった。)
勘づかれては大変と思って、斎藤さんは態と訊いたのだった。