嫁取婿取 31
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問題文
(「あなた、くわしくおはなしください。わたし、しんぱいになりますわ」とはるこさんは)
「あなた、詳しくお話し下さい。私、心配になりますわ」と春子さんは
(ひざをすすめた。「ふたり、おなじつりかわにつかまって、なかよくはなしていた。)
膝を進めた。「二人、同じ吊革に捉って、仲良く話していた。
(しゅういのひとのちゅうもくをひくくらいさ。すわってからはおれとおなじがわだったから)
周囲の人の注目を惹くくらいさ。坐ってからは俺と同じ側だったから
(よくみえなかったが、どうもきになってね」)
よく見えなかったが、どうも気になってね」
(「それからどうなさいましたの?」)
「それからどうなさいましたの?」
(「おれはにじごろまでかえってくるといったがおそかったろう?」「ええ、すこし」)
「俺は二時頃まで帰って来ると言ったが遅かったろう?」「ええ、少し」
(「じつはえきでおりずに、つけていったんだよ。あまりふしぎだったからね」)
「実は駅で降りずに、つけて行ったんだよ。あまり不思議だったからね」
(「どこまでいらしゃって?」「きちじょうじでおりるところをみとどけて)
「何処までいらしゃって?」「吉祥寺で降りるところを見届けて
(すぐにひきかえしてきた。ふたりでいのかしらへいったんだろう」)
直ぐに引き返してきた。二人で井之頭へ行ったんだろう」
(「どんなひと?」「だんぱつにようふくさ。きょくたんなもだんがーるだよ」)
「どんな人?」「断髪に洋服さ。極端なモダン・ガールだよ」
(「きれい?」「うむ。どこかのれいじょうかもしれない」)
「綺麗?」「うむ。何処かの令嬢かも知れない」
(「おともだちのいもうとさんでしょうか?」)
「お友達の妹さんでしょうか?」
(「さあ。でんしゃのなかのようすじゃじょきゅうのたぐいかともかんがえられる」「まあ」)
「さあ。電車の中の様子じゃ女給の類かとも考えられる」「まあ」
(「しょくぎょうふじんともみえる。まるのうちあたりには、あんなのがよくいる」)
「職業婦人とも見える。丸の内あたりには、あんなのがよくいる」
(「いったいいくつぐらい?としは」「にじゅういち、さんし、ごろくかな」)
「一体幾つぐらい?年は」「二十一、三四、五六かな」
(「なにですねえ、あなた」「じっさいそれぐらいのけんとうだもの」と)
「何ですねえ、あなた」「実際それぐらいの見当だもの」と
(さぶろうくんはますますようりょうをえない。「あなたにうかがってもだめですわ」)
三郎君はますます要領を得ない。「あなたに伺っても駄目ですわ」
(「それはおまえむりだよ。ひとのとしがそうせいかくにわかるもんじゃない」)
「それはお前無理だよ。人の年がそう正確に分かるもんじゃない」
(「だいたいのけんとうをおっしゃっていただけばいいのよ」「にじゅうにさんかな?しごかな?」)
「大体の見当を仰って戴けばいいのよ」「二十二三かな?四五かな?」
(「よろしゅうございますよ。いのかしらなら、わたし、これからいってみてまいります」)
「宜しゅうございますよ。井之頭なら、私、これから行って見て参ります」
(「およしおよし」「でもしんぱいじゃございませんか?)
「およしおよし」「でも心配じゃございませんか?
(そんなすじょうもしれないふじんとであるきをなさるようじゃ」)
そんな素性も知れない婦人と出歩きをなさるようじゃ」
(「いや、ぜんいにかいしゃくすれば、ともだちのいえへいくとちゅう)
「いや、善意に解釈すれば、友達の家へ行く途中
(そのいもうとさんにあったともかんがられる」)
その妹さんに会ったとも感がられる」
(「それならよろしゅうございますけれど、あなたはほんとうにそうかんがえていらして?」)
「それなら宜しゅうございますけれど、あなたは本当にそう考えていらして?」
(「さあ。にいさんのじんかくしだいさ」)
「さあ。兄さんの人格次第さ」
(「わたし、やっぱりつきとめてくるほうがいいとおもいますわ」)
「私、やっぱり突き止めて来る方がいいとおもいますわ」
(「およしおよし」「なぜでございますの?」)
「およしおよし」「何故でございますの?」
(「はたしてこうえんへいったかどうかわからない」)
「果たして公園へ行ったかどうか分からない」
(「でもたいていそうでございましょう」)
「でも大抵そうでございましょう」
(「いや。にいさんのじんかくをしんじよう。おれがつけていったのはわるかった」)
「いや。兄さんの人格を信じよう。俺がつけて行ったのは悪かった」
(「わたし、そんないみでもうしあげたんじゃございませんわ」)
「私、そんな意味で申し上げたんじゃございませんわ」
(「ともだちのいもうとならずいぶんしたしいのもあるだろうからね」「はあ」)
「友達の妹なら随分親しいのもあるだろうからね」「はあ」
(「それにしてもこんどざとへいったら、おかあさんに)
「それにしても今度里へ行ったら、お母さんに
(ごちゅういもうしあげておくほうがいいね」「そういたしましょう」)
ご注意申し上げて置く方がいいね」「そう致しましょう」
(「だんさーってものがあるそうだね?」「あれかもしれない」「いやね」と)
「ダンサーってものがあるそうだね?」「あれかも知れない」「厭ね」と
(はるこさんはまたしんぱいになった。「まあまあ、にいさんのじんかくをしんじることだ」)
春子さんは又心配になった。「まあまあ、兄さんの人格を信じることだ」
(「きょうおかえりにおよりになるようならだいじょうぶですわ」「よらないよ」)
「今日お帰りにお寄りになるようなら大丈夫ですわ」「寄らないよ」
(「そのだんさーといっしょだからですか?」「そういういみじゃないけれど」と)
「そのダンサーと一緒だからですか?」「そういう意味じゃないけれど」と
(さぶろうくんはよほどぎもんにしているようだった。)
三郎君は余程疑問にしているようだった。
(それでつぎのにちようにさとへでかけたはるこさんはしめいをふたつおびていた。)
それで次の日曜に里へ出かけた春子さんは使命を二つ帯びていた。
(ひとつはむろんいもうとのやすこさんのえんだん、もうひとつはにいさんのしゅんいちくんについて)
一つは無論妹の安子さんの縁談、もう一つは兄さんの俊一君について
(それとなくおかあさんにちゅういすることだった。)
それとなくお母さんに注意することだった。
(えんだんのほうはうちあわせておいたから、みなそれぞれのいみでまっていた。)
縁談の方は打ち合わせておいたから、皆それぞれの意味で待っていた。
(「おかあさん、おしゃしんがまいりましたよ。きのうのひるすぎにつきましたの。)
「お母さん、お写真が参りましたよ。昨日の昼過ぎに着きましたの。
(こちらのがいってからおおいそぎでうつしたらしいのよ」とはるこさんは)
此方のが行ってから大急ぎで写したらしいのよ」と春子さんは
(のうがきをのべながらごらんにいれた。「あなた」とおかあさんがまんぞくそうにわたすと)
能書きを述べながら御覧に入れた。「あなた」とお母さんが満足そうに渡すと
(おとうさんも「これはなかなかりっぱなおとこだ」とほめた。「にいさんは?」と)
お父さんも「これはなかなか立派な男だ」と褒めた。「兄さんは?」と
(はるこさんはしゅんいちくんにみてもらいたかった。)
春子さんは俊一君に見て貰いたかった。
(「しゅんいちにはみせてくれるなってちゅうもんだ」「やすこが?」)
「俊一には見せてくれるなって註文だ」「安子が?」
(「うむ。わるくちをいうからだろう。しかしこれはしゅんいちいじょうだよ」と)
「うむ。悪口を言うからだろう。しかしこれは俊一以上だよ」と
(おとうさんはまだみいっていた。「はるこや、おまえからのほうがいいよ」「はあ」)
お父さんはまだ見入っていた。「春子や、お前からの方がいいよ」「はあ」
(「すぐにみせてやっておくれ。わたしからもうすっかりはなしてあるんだから」と)
「直ぐに見せてやっておくれ。私からもうすっかり話してあるんだから」と
(おかあさんはうながした。はるこさんはやすこさんのへやへいって「やすこや」とよんだ。)
お母さんは促した。春子さんは安子さんの部屋へ行って「安子や」と呼んだ。
(「ねえさん、どうぞ」とやすこさんがむかえた。「よしこは?」とはるこさんは)
「姉さん、どうぞ」と安子さんが迎えた。「芳子は?」と春子さんは
(みまわしてねんをおした。ふたりきょうどうのへやである。「だいじょうぶよ」)
見回して念を押した。二人共同の部屋である。「大丈夫よ」
(「あら、おまえまっていたの?」「そういうしだいでもないんですけれど、おほほ」)
「あら、お前待っていたの?」「そういう次第でもないんですけれど、オホホ」
(とやすこさんはいっこうおくしない。「おかあさんからおはなしがありましたろうね?」)
と安子さんは一向臆しない。「お母さんからお話がありましたろうね?」
(「ええ」「わたし、おまえがみかけたことのあるひとだろうとおもっていますのよ」)
「ええ」「私、お前が見かけたことのある人だろうと思っていますのよ」
(「さあ」「このほうよ」とはるこさんはごくむぞうさにしゃしんをひろげてわたした。)
「さあ」「この方よ」と春子さんは極く無造作に写真を拡げて渡した。
(「・・・」「ええ。このほうなら・・・」)
「・・・」「ええ。この方なら・・・」
(「おひがんにぼちでおめにかかったでしょう?」)
「お彼岸に墓地でお目にかかったでしょう?」
(「ええ。きょねんのおぼんにもおめにかかりましたわ。)
「ええ。去年のお盆にもお目にかかりましたわ。
(わたしぐらいのいもうとさんがおありでしょう?」「よくしっているわね」「あら」と)
私ぐらいの妹さんがおありでしょう?」「よく知っているわね」「あら」と
(やすこさんはとつじょたちあがった。「なに?」「よしこよ。そこからのぞいていましたわ」)
安子さんは突如立ち上がった。「何?」「芳子よ。そこから覗いていましたわ」
(「いやなこね」)
「厭な子ね」