大川の水 2

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プレイ回数666難易度(4.2) 2971打 長文 かな
芥川龍之介

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問題文

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(このおおかわのまちにぶあいされるえんがんのまちまちは、みなじぶんにとって、)

この大川の町に撫愛される沿岸の町々は、皆自分にとって、

(わすれがたい、なつかしいまちである。)

忘れ難い、懐かしい町である。

(あづまばしからかわしもならば、こまがた、なみき、くらまえ、だいち、やなぎはし、)

吾妻橋から川下ならば、駒形、並木、蔵前、代地、柳橋、

(あるいはただのやくしまえ、うめぼり、よこあみのかわぎし-どこでもよい。)

あるいは多田の薬師前、うめ彫、横網の川岸-どこでもよい。

(これらのまちまちをとおるひとのみみには、ひをうけたどぞうのしらかべとしらかべのとあいだから、)

これらの町々を通る人の耳には、日をうけた土蔵の白壁と白壁のと間から、

(こうしどづくりのうすぐらいいえといえとのあいだから、あるいはぎんちゃいろのめをふいた、)

格子戸づくりの薄暗い家と家との間から、あるいは銀茶色の芽をふいた、

(やなぎとあかしあとのなみきのあいだから、みがいたがらすいたのように、あおくひかるおおかわのみずは、)

柳とアカシアとの並樹の間から、磨いた硝子板のように、青く光る大川の水は、

(その、ひややかなしおのにおいとともに、むかしながらみなみへながれる、)

その、冷ややかな潮の匀とともに、昔ながら南へ流れる、

(なつかしいひびきをつたえてくれるだろう。)

懐かしいひびきをつたえてくれるだろう。

(ああ、そのみずのこえのなつかしさ、つぶやくように、すねるように、)

ああ、その水の声のなつかしさ、つぶやくように、拗ねるように、

(したうつように、くさのしるをしぼったあおいみずは、)

舌うつように、草の汁をしぼった青い水は、

(ひもよもおなじように、りょうがんのいしがけをあらってゆく。)

日も夜も同じように、両岸の石崖を洗ってゆく。

(はんじょといい、なりひらという、むさしののむかしはしらず、とおくはおおくのえどじょうるりさくしゃ、)

班女といい、業平という、武蔵野の昔は知らず、遠くは多くの江戸浄瑠璃作者、

(ちかくはかわたけもくあみおきなが、せんそうじのかねのねとともに、)

近くは河竹木阿弥翁が、浅草寺の鐘の音とともに、

(そのころしばのしゅちんむんぐを、もっともちからづよくあらわすために、)

その殺し場のシュチンムングを、最も力強く表すために、

(しばしば、そのせわもののなかにもちいたものは、)

しばしば、その世話物の中に用いたものは、

(じつにこのおおかわのさびしいみずのひびきであった。)

実にこの大川のさびしい水の響きであった。

(いざよいせいしんがみをなげたときにも、げんのじょうがとりおいすがたのおこよをみそめたときにも、)

十六夜清心が身をなげた時にも、源之丞が鳥追姿のおこよを見染めた時にも、

(あるいはまた、いかけやまつごろうがかわほりのとびかうなつのゆうぐれに、)

あるいはまた、鋳掛屋松五郎が蝙蝠の飛びかう夏の夕ぐれに、

(てんびんをにないながらりょうごくのはしをとおったときにも、おおかわはいまのごとく、)

天秤をにないながら両国の橋を通った時にも、大川は今のごとく、

など

(ふなやどのさんばしに、きしのあおあしに、)

船宿の桟橋に、岸の青蘆に、

(ちょきぶねのせんぷくにものういささやきをくりかえしていたのである。)

猪牙船の船腹にものういささやきを繰り返していたのである。

(ことにこのみずのおとをなつかしくきくことのできるのは、わたしぶねのなかであろう。)

ことにこの水の音をなつかしく聞くことのできるのは、渡し船の中であろう。

(じぶんのきおくにあやまりがないならば、あづまばしからしんおおはしまでのあいだに、)

自分の記憶に誤りがないならば、吾妻橋から新大橋までの間に、

(もとはいつつのわたしがあった。そのなかで、こまがたのわたし、ふじみのわたし、)

もとは五つの渡しがあった。その中で、駒形の渡し、富士見の渡し、

(あたかのわたしのみっつは、しだいにひとつずつ、いつとなくすたれて、)

安宅の渡しの三つは、しだいに一つずつ、いつとなく廃れて、

(いまではただいちのはしからはまちょうへわたるはしと、)

今ではただ一の橋から浜町へ渡る橋と、

(みくらばしからすがちょうへわたるわたしが、むかしのままにのこっている。)

御藏橋から須賀町へ渡る渡しが、昔のままに残っている。

(じぶんがこどものときにくらべれば、かわのながれもかわり、ろてきのしげったところどころのすなずも、)

自分が子供の時に比べれば、河の流れも変り、芦荻の茂った所々の砂州も、

(あとかたなくうめられてしまったが、このふたつのわたしだけは、)

跡方なく埋められてしまったが、この二つの渡しだけは、

(おなじようなそこのあさいふねに、おなじようなろうじんのせんどうをのせて、)

同じような底の浅い船に、同じような老人の船頭をのせて、

(きしのやなぎのはのようにあおいかわのみずを、)

岸の柳の葉のように青い河の水を、

(いまもかわりなくひにいくどかよこぎっているのである。)

今も変わりなく日に幾度か横切っているのである。

(じぶんはよく、なんのようもないのに、このわたしふねにのった。みずのうごくのにつれて、)

自分はよく、なんの用もないのに、この渡し船に乗った。水の動くのにつれて、

(ゆりかごのようにかるくからだをゆすられるここちよさ。)

揺籃のように軽く体をゆすられる心地よさ。

(ことにじこくがおそければおそいほど、)

ことに時刻が遅ければ遅いほど、

(わたしぶねのさびしさとうれしさとがしみじみとみにしみる。)

渡し船のさびしさとうれしさとがしみじみと身にしみる。

(-ひくいふなばたのそとはすぐにみどりいろのなめらかなみずで、せいどうのようなにぶいひかりのある、)

-低い舷の外はすぐに緑色のなめらかな水で、青銅のような鈍い光のある、

(はばのひろいかわもは、とおいしんおおはしにさえぎられるまで、ただひとめにみわたされる。)

幅の広い川面は、遠い新大橋に遮られるまで、ただ一目に見渡される。

(りょうがんのいえいえはもう、たそがれのねずみいろにとういつされて、)

両岸の家々はもう、黄昏の鼠色に統一されて、

(そのところどころにしょうじにうつるあかりのひかりさえきいろくもやのなかにうかんでいる。)

その所々に障子にうつる灯の光さえ黄色く靄の中に浮かんでいる。

(あげしおにつれてはいいろのほをなかばはったてんませんが)

上げ潮につれて灰色の帆を半ば貼った伝馬船が

(いっそう、にそうとまれにかわをのぼってくるが、どのふねもひっそりとしずまって、)

一艘、二艘とまれに川を上って来るが、どの船もひっそりと静まって、

(かじをとるひとのうむさえもわからない。)

舵を執る人の有無さえもわからない。

(じぶんはいつもこのしずかなふねのほと、あおくたいらにながれるしおのにおいとにたいして、)

自分はいつもこの静かな船の帆と、青く平らに流れる潮のにおいとに対して、

(なんということもなく、ほふまんすたあるのえあぷにすという)

なんということもなく、ホフマンスタアルのエアプニスという

(しをよんだときのような、いいようのないさびしさをかんずるとともに、)

詩を読んだときのような、言いようのない寂しさを感ずるとともに、

(じぶんのこころのなかにもまた、じょうちょのいろのささやきが、)

自分の心の中にもまた、情緒の色の囁きが、

(もやのそこをながれるおおかわのみずとおなじせんりつをうたっているような)

靄の底を流れる大川の水と同じ旋律をうたっているような

(きがせずにはいられないのである。)

気がせずにはいられないのである。

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