半七捕物帳 雪達磨1

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ
宮部みゆきセレクト 其ノ壱

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問題文

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(あらためていうまでもないが、ここにしょうかいしているいくしゅのたんていものがたりに)

【一】改めて云うまでもないが、ここに紹介している幾種の探偵ものがたりに

(なんらかのとくしょくがあるとすれば、それはふつうのたんていてききょうみいがいに、これらのものがたりの)

何等かの特色があるとすれば、それは普通の探偵的興味以外に、これらの物語の

(はいけいをなしているえどのおもかげのいくぶんをうかがいえられるというてんにあらねば)

背景をなしている江戸のおもかげの幾分をうかがい得られるという点にあらねば

(ならない。わたしもちゅういして、はんしちろうじんのだんわひっきをなるべくかきあやまらない)

ならない。わたしも注意して、半七老人の談話筆記をなるべく書き誤らない

(ようにつとめているつもりであるが、そのせつめいがふじゅうぶんのために、おうおうにして)

ように努めているつもりであるが、その説明が不十分のために、往々にして

(どくしゃのまどいをひきおこすばあいがないとはかぎらない。)

読者の惑いを惹き起す場合がないとは限らない。

(これらのものがたりについて、こういうふしんをいだくひとのあることをしばしばきいた。)

これらの物語について、こういう不審をいだく人のある事をしばしば聴いた。

(それはおかっぴきのはんしちがじぶんのなわばりのかんだいがいにふみだしてはたらくことである。)

それは岡っ引きの半七が自分の縄張りの神田以外に踏み出して働くことである。

(おかっぴきにはめいめいのもちばがある。それをむやみにふみこえて、しょほうでかつどう)

岡っ引きにはめいめいの持ち場がある。それをむやみに踏み越えて、諸方で活動

(するのはうそらしいというのである。それはたしかにごもっとものりくつで、おかっぴき)

するのは嘘らしいというのである。それは確かにごもっともの理窟で、岡っ引き

(はげんそくとしてじぶんだけのなわばりないをまもっているべきである。なかまのぎりと)

は原則として自分だけの縄張り内を守っているべきである。仲間の義理と

(しても、ほかのなわばりをあらすのはえんりょしなければならない。しかしほかのなわばりを)

しても、他の縄張りをあらすのは遠慮しなければならない。しかし他の縄張りを

(ぜったいにあらしてはならないというほどのきゅうくつなきそくもやくそくもない。こんにちでも)

絶対に荒らしてはならないというほどの窮屈な規則も約束もない。今日でも

(ぼうくないのはんざいしゃがたくのけいさつのてにあげられるばあいもある。ましてえどの)

某区内の犯罪者が他区の警察の手にあげられる場合もある。まして江戸の

(じだいにおいて、たがいにこうみょうをあらそうこのしゅのしょくぎょうしゃにたいして、ぜったいにその)

時代に於いて、たがいに功名をあらそう此の種の職業者に対して、絶対にその

(しょくむしっこうはんいをせいげんするなどはしょせんできることではない。はんしちがどこへ)

職務執行範囲を制限するなどは所詮できることではない。半七がどこへ

(でしゃばっても、それはうそではないとおもってもらいたい。 「これはわたくしの)

出しゃばっても、それは嘘ではないと思って貰いたい。 「これはわたくしの

(なわばりないですから、いばってはなせますよ」と、はんしちろうじんがわらいながら)

縄張り内ですから、威張って話せますよ」と、半七老人が笑いながら

(はなしだしたのは、ひだりのむかしのはなしである。)

話し出したのは、左の昔の話である。

(ぶんきゅうがんねんのふゆには、えどにいちどもゆきがふらなかった。ふゆじゅうにすこしもゆきを)

文久元年の冬には、江戸に一度も雪が降らなかった。冬じゅうに少しも雪を

など

(みないというのは、ほとんどぜんだいみもんのきせきであるかのように、えどのひとびとが)

見ないというのは、殆ど前代未聞の奇蹟であるかのように、江戸の人々が

(ふしぎがっていいはやしていると、そのうめあわせというのか、あくるとしの)

不思議がって云いはやしていると、その埋め合わせというのか、あくる年の

(ぶんきゅうにねんのはるには、しょうがつのがんたんからおおゆきがふりだして、さんがにちのあいだふりとおした)

文久二年の春には、正月の元旦から大雪がふり出して、三ガ日の間ふり通した

(けっかは、はっぴゃくやちょうをまっしろにうめてしまった。 ころうのこうひによると、このゆきは)

結果は、八百八町を真っ白に埋めてしまった。 故老の口碑によると、この雪は

(さんじゃくもつもったとつたえられている。えどでさんじゃくのゆき--それはよほどわりびきを)

三尺も積もったと伝えられている。江戸で三尺の雪--それは余ほど割引きを

(してきかなければならないが、ともかくそのゆきがしょうがつのはつかごろまできえのこって)

して聞かなければならないが、ともかく其の雪が正月の二十日頃まで消え残って

(いたというのからおしはかると、かなりのたりょうであったことはそうぞうにかたくない。)

いたというのから推し量ると、かなりの多量であったことは想像に難くない。

(すくなくともえどにおいては、きんねんみぞうのおおゆきであったにそういない。)

少なくとも江戸に於いては、近年未曾有の大雪であったに相違ない。

(それほどのおおゆきにうずめられているあいだに、のんきなえどのひとたちは、たといかいれいに)

それほどの大雪にうずめられている間に、のん気な江戸の人達は、たとい回礼に

(でることをおこたっても、ゆきだるまをこしらえることをわすれなかった。しょほうのつじつじには)

出ることを怠っても、雪達磨をこしらえることを忘れなかった。諸方の辻々には

(おもいおもいのいしょうをこらしたゆきだるまが、もうしあわせたようにたどんのおおきいめを)

思い思いの意匠を凝らした雪達磨が、申し合わせたように炭団の大きい眼を

(むいてざぜんをくんでいた。ことにことしはそのざいりょうがほうふであるので、ばしょに)

むいて座禅をくんでいた。ことに今年はその材料が豊富であるので、場所に

(よってはみあげるばかりのおおだるまが、ゆきどけみちにゆきなやんでいるおうらいのひとびとを)

よっては見あげるばかりの大達磨が、雪解け路に行き悩んでいる往来の人々を

(へいげいしながらすわりこんでいた。 しかもそれらのだいしょうだるまは、いつまでも)

睥睨しながら座り込んでいた。 しかもそれらの大小達磨は、いつまでも

(おおえどのまんなかにのさばりかえってそんざいすることをゆるされなかった。ななくさもすぎ、)

大江戸のまん中にのさばり返って存在することを許されなかった。七草も過ぎ、

(くらびらきのじゅういちにちもすぎてくると、かれらのかげもだんだんにうすれて、ひあたりの)

蔵開きの十一日も過ぎてくると、かれらの影もだんだんに薄れて、日あたりの

(むきによってあたまのうえからとけてくるのもあった。かたのあたりからくずれてくるのも)

向きによって頭の上から融けて来るのもあった。肩のあたりから頽れて来るのも

(あった。こしのぬけたのもあった。こうしてみじめな、みにくいすがたをさらしながら、)

あった。腰のぬけたのもあった。こうして惨めな、みにくい姿を晒しながら、

(くろいめだまばかりをかたみにのこして、かれらのしろいかげはおおえどのちまたからひとつひとつ)

黒い眼玉ばかりを形見に残して、かれらの白い影は大江戸の巷から一つ一つ

(きえていった。 そのきえてゆくうんめいをになっているゆきだるまのうちでも、ひかげに)

消えていった。 その消えてゆく運命を荷っている雪達磨のうちでも、日かげに

(じんどっていたものはひかくてきにながいじゅみょうをたもつことができた。ひとつばしもんがいの)

陣取っていたものは比較的に長い寿命を保つことが出来た。一ツ橋門外の

(にばんおひよけちのすみにいすわっているゆきだるまも、いっぽうにまがきけのごようやしきを)

二番御火除け地の隅に居据わっている雪だるまも、一方に曲木家の御用屋敷を

(おりまわしているので、しょうがつのじゅうごにちごろまではまんぞくにそのけいがいをたもっていたが、)

折り廻しているので、正月の十五日頃までは満足にその形骸を保っていたが、

(やぶいりもすぎたじゅうしちにちにはあさからさむさがにわかにゆるんだので、もうたまらなく)

藪入りも過ぎた十七日には朝から寒さが俄かにゆるんだので、もう堪らなく

(なってもろくもそのかたちをくずしはじめた。これはたかさろく、しちしゃくのおおきいもので)

なって脆くもその形をくずしはじめた。これは高さ六、七尺の大きいもので

(あったが、それがだんだんとくずれだすとともに、そのしろいかたまりのそこには)

あったが、それがだんだんとくずれ出すと共に、その白いかたまりの底には

(さらにひとりのにんげんがあたかもざぜんをくんだようなかたちをしているのが)

更にひとりの人間があたかも座禅を組んだような形をしているのが

(みいだされた。 「や、ゆきだるまのなかににんげんがうまっていた」)

見いだされた。 「や、雪達磨のなかに人間が埋まっていた」

(このうわさがそれからそれへとひろがって、きんじょのものどもはこのゆきだるまのまわりに)

この噂がそれからそれへと拡がって、近所の者どもはこの雪達磨のまわりに

(あつまった。ゆきのなかにすわっていたのはよんじゅうにさんのおとこで、さのみみぐるしからぬ)

集まった。雪のなかに坐っていたのは四十二三の男で、さのみ見苦しからぬ

(みなりをしていたが、えどのにんげんではないことはすぐにさとられた。おとこのしがいは)

服装をしていたが、江戸の人間ではないことはすぐに覚られた。男の死骸は

(つじばんからさらにきんじょのじしんばんにはこばれて、まちぶぎょうしょからしゅっちょうしたよりきどうしんの)

辻番から更に近所の自身番に運ばれて、町奉行所から出張した与力同心の

(けんしをうけた。 おとこのからだにはちめいしょうともみるべききずのあとは)

検視をうけた。 男のからだには致命傷とも見るべき傷のあとは

(みとめられなかった。はものできずつけたようなあともなかった。しめころしたような)

認められなかった。刃物で傷つけたような跡もなかった。絞め殺したような

(あともみえなかった。かんきのためにとうししたのか、あるいはびょうきのために)

痕も見えなかった。寒気のために凍死したのか、あるいは病気のために

(ゆきだおれとなったのかと、やくにんたちのいけんはまちまちであったが、ふつうのとうしか)

行き倒れとなったのかと、役人たちの意見はまちまちであったが、普通の凍死か

(ゆきだおれであるならば、ゆきだるまのなかにおしこまれているはずがない。これを)

行き倒れであるならば、雪達磨のなかに押し込まれている筈がない。これを

(はっけんしたものはすぐにつじばんかじしんばんへとどけいづべきである。これほどのおおきい)

発見した者はすぐに辻番か自身番へ届けいづべきである。これほどの大きい

(ゆきだるまをわざわざこしらえて、そのなかにしがいをしのばせておくいじょう、それには)

雪達磨をわざわざこしらえて、そのなかに死骸を忍ばせておく以上、それには

(なにかのしさいがなければならない。かれのしいんにはなにかのひみつがまつわっている)

何かの仔細がなければならない。彼の死因には何かの秘密がまつわっている

(ものと、やくにんたちはさいごのだんあんをくだした。)

ものと、役人たちは最後の断案をくだした。

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