半七捕物帳 お文の魂4
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問題文
(おばたのやしきへゆくとちゅうでもまつむらはいろいろにかんがえた。いもうとは)
【二】 小幡の屋敷へゆく途中でも松村はいろいろに考えた。妹は
(いわゆるおんなこどものたぐいで、もとよりろんにもおよばぬが、じぶんはおとこいっぴき、)
いわゆる女子供のたぐいで、もとより論にも及ばぬが、自分は男一匹、
(しかもだいしょうをたばさむみのうえである。ぶしとぶしとのかけあいに、まがおになって)
しかも大小をたばさむ身の上である。武士と武士との掛け合いに、真顔になって
(ゆうれいのこうしゃくでもあるまい。まつむらひこたろう、いいとしをしてばかなやつだと、)
幽霊の講釈でもあるまい。松村彦太郎、好い年をして馬鹿な奴だと、
(あいてにはらをみられるのもざんねんである。なんとかうまいかけあいのほうはあるまいかと)
相手に腹を見られるのも残念である。なんとか巧い掛け合いの法はあるまいかと
(くふうをこらしたが、もんだいがあまりたんじゅんであるだけに、よこからもたてからも)
工夫を凝らしたが、問題があまり単純であるだけに、横からも縦からも
(はなしのもってゆきようがなかった。)
話の持って行きようがなかった。
(にしえどがわばたのやしきにはしゅじんのおばたいおりがいあわせて、すぐにざしきにとおされた。)
西江戸川端の屋敷には主人の小幡伊織が居合わせて、すぐに座敷に通された。
(じこうのあいさつなどをおわっても、まつむらはじぶんのようむきをいいだすきかいを)
時候の挨拶などを終わっても、松村は自分の用向きを云い出す機会を
(とらえるのにくるしんだ。どうでわらわれるとかくごをしてきたものの、)
とらえるのに苦しんだ。どうで笑われると覚悟をして来たものの、
(さてあいてのかおをみると、どうもゆうれいのはなしはいいだしにくかった。)
さて相手の顔をみると、どうも幽霊の話は云い出しにくかった。
(そのうちにおばたのほうからくちをきった。)
そのうちに小幡の方から口を切った。
(「おみちはきょうおやしきへうかがいませんでしたか」)
「お道はきょう御屋敷へ伺いませんでしたか」
(「まいりました」とはいったが、まつむらはやはりあとのくはつげなかった。)
「まいりました」とは云ったが、松村はやはり後の句は継げなかった。
(「では、おはなしもうしたかしりませんが、おんなこどもはばかなもので、)
「では、お話し申したか知りませんが、女子供は馬鹿なもので、
(なにかこのごろゆうれいがでるとかもうして、ははははは」)
なにかこのごろ幽霊が出るとか申して、ははははは」
(おばたはわらっていた。まつむらもしかたがないのでいっしょにわらった。しかし、わらってばかり)
小幡は笑っていた。松村も仕方がないので一緒に笑った。しかし、笑ってばかり
(いてはすまないばあいであるので、かれはこれをしおにおもいきっておふみのいっけんを)
いては済まない場合であるので、彼はこれを機に思い切っておふみの一件を
(はなした。はなしてしまってからかれはあせをふいた。こうなると、おばたも)
話した。話してしまってから彼は汗を拭いた。こうなると、小幡も
(わらえなくなった。かれはこまったようなかおをしかめて、しばらくだまっていた。)
笑えなくなった。かれは困ったような顔をしかめて、しばらく黙っていた。
(たんにゆうれいがでるというだけのはなしならば、ばかともおくびょうともしかってもわらっても)
単に幽霊が出るというだけの話ならば、馬鹿とも臆病とも叱っても笑っても
(すむが、もんだいがこうめんどうになってあにがりえんのかけあいめいたつかいにくるようでは、)
済むが、問題がこう面倒になって兄が離縁の掛け合いめいた使に来るようでは、
(おばたもまじめになってこのゆうれいもんだいをとりあつかわなければならないことになった。)
小幡もまじめになってこの幽霊問題を取り扱わなければならないことになった。
(「なにしろいちおうせんぎしてみましょう」とおばたはいった。かれのいけんとしては、)
「なにしろ一応詮議して見ましょう」と小幡は云った。彼の意見としては、
(もしこのやしきにゆうれいがでる--ぞくにいうばけものやしきであるならば、)
もしこの屋敷に幽霊が出る--俗にいう化け物屋敷であるならば、
(こんにちまでにだれかそのふしぎにであったものがほかにあるべきはずである。)
こんにちまでに誰かその不思議に出逢ったものが他にあるべき筈である。
(げんにじぶんはこのやしきにうまれてにじゅうはちねんのつきひをおくっているが、)
現に自分はこの屋敷に生まれて二十八年の月日を送っているが、
(じぶんはもちろんのこと、だれからもそんなうわさすらきいたことがない。じぶんがようしょうの)
自分は勿論のこと、誰からもそんな噂すら聞いたことがない。自分が幼少の
(ときにわかれたそふぼも、はちねんまえにしんだちちも、ろくねんまえにしんだははも、)
ときに別れた祖父母も、八年前に死んだ父も、六年前に死んだ母も、
(かつてそんなはなしをしたこともなかった。それがよねんまえにたけからえんづいて)
かつてそんな話をしたこともなかった。それが四年前に他家から縁付いて
(きたおみちにだけにみえるというのが、だいいちのふしぎである。たといなにかの)
来たお道にだけに見えるというのが、第一の不思議である。たとい何かの
(しさいがあって、とくにおみちにだけにみえるとしても、ここへきてからよねんののちに)
仔細があって、特にお道にだけに見えるとしても、ここへ来てから四年の後に
(はじめてすがたをあらわすというのもふしぎである。しかしこのばあい、ほかにせんぎの)
初めて姿をあらわすというのも不思議である。しかしこの場合、ほかに詮議の
(しようもないから、さしあたってはまずやしきじゅうのものどもをあつめて)
しようもないから、差し当っては先ず屋敷じゅうの者どもを集めて
(といただしてみようというのであった。)
問いただしてみようというのであった。
(「なにぶんおねがいもうす」と、まつむらもどういした。おばたはまずようにんのござえもんを)
「なにぶんお願い申す」と、松村も同意した。小幡は先ず用人の五左衛門を
(よびだしてしらべた。かれはことししじゅういっさいでふだいのけらいであった。)
呼び出して調べた。彼は今年四十一歳で譜代の家来であった。
(「せんとのさまのおだいから、かつてさようなうわさをうけたまわったことはござりませぬ。)
「先殿様の御代から、かつて左様な噂を承ったことはござりませぬ。
(ちちからもなんのはなしもききおよびませぬ」)
父からも何の話も聞き及びませぬ」
(かれはそくざにいいきった。それからわかとうやちゅうげんどもをしらべたが、かれらはしんざんの)
彼は即座に云い切った。それから若党や中間どもを調べたが、かれらは新参の
(わたりもので、もちろんなんにもしらなかった。つぎにじょちゅうどももしらべられたが、)
渡り者で、勿論なんにも知らなかった。次に女中共も調べられたが、
(かれらははじめてそんなはなしをきかされてただふるえあがるばかりであった。)
かれらは初めてそんな話を聞かされて唯ふるえ上がるばかりであった。
(せんぎはすべてふとくようりょうにおわった。)
詮議はすべて不得要領に終わった。
(「そんならいけをさらってみろ」と、おばたはめいれいした。おみちのまくらべにあらわれるおんなが)
「そんなら池を浚ってみろ」と、小幡は命令した。お道の枕辺にあらわれる女が
(ぬれているというのをてがかりに、あるいはいけのそこになにかのひみつがしずんで)
濡れているというのを手がかりに、或いは池の底に何かの秘密が沈んで
(いるのではないかとかんがえられたからであった。おばたのやしきにはひゃくつぼほどの)
いるのではないかと考えられたからであった。小幡の屋敷には百坪ほどの
(ふるいけがあった。)
古池があった。
(あくるひはおおぜいのにんそくをあつめて、そのふるいけのかいぼりをはじめた。おばたもまつむらも)
あくる日は大勢の人足をあつめて、その古池の掻掘をはじめた。小幡も松村も
(たちあってかんししていたが、ふなやこいのほかにはなんのえものもなかった。)
立ち会って監視していたが、鮒や鯉のほかには何の獲物もなかった。
(どろのそこからはおんなのかみひとすじもみつからなかった。おんなのしゅうねんののこっていそうな)
泥の底からは女の髪一と筋も見付からなかった。女の執念の残っていそうな
(くしやかんざしのたぐいもひろいだされなかった。おばたのはつぎでさらにやしきないの)
櫛やかんざしのたぐいも拾い出されなかった。小幡の発議で更に屋敷内の
(いどをさらわせたが、ふかいいどのそこからはあかいどじょうがいっぴきうかびでて)
井戸をさらわせたが、深い井戸の底からは赤い泥鰌が一匹浮かび出て
(おおぜいをめずらしがらせただけで、これもほねおりぞんにおわった。)
大勢を珍しがらせただけで、これも骨折り損に終わった。
(せんぎのつるはもうきれた。)
詮議の蔓はもう切れた。
(こんどはまつむらのはつぎで、いやがるおみちをむりにこのやしきへよびもどして、おはるといっしょに)
今度は松村の発議で、忌がるお道を無理にこの屋敷へ呼び戻して、お春と一緒に
(いつものへやにねかすことにした。まつむらとおばたとはつぎのまにかくれて)
いつもの部屋に寝かすことにした。松村と小幡とは次の間に隠れて
(よるのふけるのをまっていた。)
夜の更けるのを待っていた。