半七捕物帳 お文の魂10

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ
半七捕物帳シリーズの第一作目です。

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問題文

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(おじさんはかえりにほんごうのともだちのうちへよると、ともだちはじぶんのしっている)

【四】 おじさんは帰途に本郷の友達の家へ寄ると、友達は自分の識っている

(おどりのししょうのおおさらいがやなぎばしのあるところにひらかれて、これからぎりにかおだしを)

踊りの師匠の大浚いが柳橋の或るところに開かれて、これから義理に顔出しを

(しなければならないから、きこうもいっしょにつきあえといった。おじさんも)

しなければならないから、貴公も一緒に附き合えと云った。おじさんも

(いくらかのもくろくをもっていっしょにいった。きれいなむすめこどものおおぜいあつまっているなかで、)

幾らかの目録を持って一緒に行った。綺麗な娘子供の大勢あつまっている中で、

(あかりのつくころまでわいわいさわいで、おじさんはよいこころもちによってかえった。)

燈火のつく頃までわいわい騒いで、おじさんは好い心持に酔って帰った。

(そんなわけで、そのひはおばたのやしきへたんさくのけっかをほうこくにゆくことが)

そんな訳で、その日は小幡の屋敷へ探索の結果を報告にゆくことが

(できなかった。)

出来なかった。

(あくるひおばたをたずねて、しゅじんのいおりにあった。はんしちのことは)

あくる日小幡をたずねて、主人の伊織に逢った。半七のことは

(なんにもいわずに、おじさんはじぶんひとりでしらべてきたようなかおをして、)

なんにも云わずに、おじさんは自分ひとりで調べてきたような顔をして、

(くさぞうしとぼうずとのひとくだりをじまんらしくほうこくした。それをきいて、)

草双紙と坊主との一条を自慢らしく報告した。それを聴いて、

(おばたのかおいろはみるみるかげった。)

小幡の顔色は見る見る陰った。

(おみちはすぐにおっとのまえによびだされた。しんぺんうすずみぞうしをめのまえに)

お道はすぐに夫の前に呼び出された。新編うす墨草紙を眼の前に

(つきつけられて、おまえのゆめにみるゆうれいのしょうたいはこれかとげんじゅうにぎんみされた。)

突き付けられて、おまえの夢に見る幽霊の正体はこれかと厳重に吟味された。

(おみちはいろをうしなってひとこともなかった。)

お道は色を失って一言もなかった。

(「きけばじょうえんじのじゅうしょくははかいのだらくそうだという。きさまもかれにたぶらかされて、)

「聞けば浄円寺の住職は破戒の堕落僧だという。貴様も彼にたぶらかされて、

(なにかふらちをはたらいているのにそういあるまい。まっすぐにいえ」)

なにか不埒を働いているのに相違あるまい。真っ直ぐに云え」

(おっとにいくらせめられても、おみちはけっしてふらちをはたらいたおぼえはないと)

夫にいくら責められても、お道は決して不埒を働いた覚えはないと

(ないてこうべんした。しかしじぶんにもこころえちがいはある。それはじゅうじゅうおそれいりますと)

泣いて抗弁した。しかし自分にも心得違いはある。それは重々恐れ入りますと

(いって、いっさいのひみつをおっととおじさんのまえではくじょうした。)

云って、一切の秘密を夫とおじさんの前で白状した。

(「このおしょうがつにじょうえんじにごさんけいにまいりますと、おしょうさまはべつまで)

「このお正月に浄円寺に御参詣にまいりますと、和尚さまは別間で

など

(いろいろおはなしのあったすえに、わたくしのかおをつくづくごらんになりまして、)

いろいろお話のあった末に、わたくしの顔をつくづく御覧になりまして、

(しきりにためいきをついておいでになりましたが、やがてひくいこえで「ああ、)

しきりに溜息をついておいでになりましたが、やがて低い声で『ああ、

(ごうんのわるいかただ」とひとりごとのようにおっしゃいました。そのひはそれで)

御運の悪い方だ』と独り言のように仰いました。その日はそれで

(おわかれもうしましたが、にがつにまたおまいりをいたしますと、おしょうさまは)

お別れ申しましたが、二月に又お詣りをいたしますと、和尚さまは

(わたくしのかおをみて、またおなじようなことをいって、ためいきをついておいでに)

わたくしの顔を見て、又同じようなことを云って、溜息をついておいでに

(なりますので、わたくしもなんだかふあんごころになってまいりまして、「それは)

なりますので、わたくしも何だか不安心になってまいりまして、『それは

(どうしたわけでございましょう」と、こわごわうかがいますと、おしょうさまは)

どうした訳でございましょう』と、こわごわ伺いますと、和尚さまは

(きのどくそうに、「どうもあなたはごそうがよろしくない。ごていしゅを)

気の毒そうに、『どうもあなたは御相がよろしくない。御亭主を

(もっていられるといまにもおいのちにもかかわるようなわざわいがくる。)

持っていられると今にもお命にもかかわるような禍いが来る。

(できることならばひとりみにおなりあそばすとよいが、さもないと)

出来ることならば独り身におなり遊ばすとよいが、さもないと

(あなたばかりではない、おじょうさまにも、おそろしいさいなんがおちて)

あなたばかりではない、お嬢さまにも、おそろしい災難が落ちて

(くるかもしれない」とさとすようにおっしゃいました。こうきいてわたしもぞっとしました。)

来るかも知れない』と諭すように仰いました。こう聞いて私もぞっとしました。

(じぶんはともあれ、せめてむすめだけでもさいなんをのがれるくふうはございますまいかと)

自分はともあれ、せめて娘だけでも災難をのがれる工夫はございますまいかと

(おしかえしてうかがいますと、おしょうは「おきのどくであるが、おやこはいったい、あなたが)

押し返して伺いますと、和尚は『お気の毒であるが、母子は一体、あなたが

(わざわいをさけるくふうをしないかぎりは、おじょうさまもしょせんのがれることは)

禍いを避ける工夫をしない限りは、お嬢さまも所詮のがれることは

(できない」と・・・・・・。そういわれたときの・・・・・・わたくしのこころは・・・・・・)

できない』と……。そう云われた時の……わたくしの心は……

(おさっしくださいまし」と、おみちはこえをたててないた。)

お察し下さいまし」と、お道は声を立てて泣いた。

(「いまのおまえたちがきいていたら、ひとくちにめいしんとかばかばかしいとか)

「今のお前たちが聞いていたら、一と口に迷信とか馬鹿々々しいとか

(けなしてしまうだろうが、そのころのにんげん、ことにおんななどはみんな)

蔑してしまうだろうが、その頃の人間、殊に女などはみんな

(そうしたものであったよ」と、おじさんはここでちゅうをいれて、)

そうしたものであったよ」と、おじさんはここで註を入れて、

(わたしにせつめいしてくれた。)

わたしに説明してくれた。

(それをきいてからおみちにはくらいかげがまつわってはなれなかった。)

それを聴いてからお道には暗い影がまつわって離れなかった。

(どんなわざわいがふりかかってこようとも、じぶんだけはぜんせのやくそくともあきらめよう。)

どんな禍いが降りかかって来ようとも、自分だけは前世の約束とも諦めよう。

(しかしかわいいむすめにまでまきぞえのわざわいをきせるということは、ははのみとして)

しかし可愛い娘にまでまきぞえの禍いを着せるということは、母の身として

(かんがえることさえもおそろしかった。あまりにいたいたしかった。おみちにとっては、)

考えることさえも恐ろしかった。あまりに痛々しかった。お道にとっては、

(おっともたいせつにはそういなかったが、むすめはさらにかわいかった。じぶんのいのちよりも)

夫も大切には相違なかったが、娘はさらに可愛かった。自分の命よりも

(いとおしかった。だいいちにむすめをすくい、あわせてじぶんのみをまっとうするには、)

いとおしかった。第一に娘を救い、あわせて自分の身を全うするには、

(あきもあかれもしないおっとのいえをさるよりほかにないとおもった。)

飽きも飽かれもしない夫の家を去るよりほかにないと思った。

(それでもかのじょはいくたびかちゅうちょした。そのうちにがつもすぎて、むすめのおはるの)

それでも彼女は幾たびか躊躇した。そのうち二月も過ぎて、娘のお春の

(せっくがきた。おばたのいえでもひなをかざった。ひももしらもものかげをおぼろにゆるがせる)

節句が来た。小幡の家でも雛を飾った。緋桃白桃の影をおぼろにゆるがせる

(ひなだんのよるのあかりを、おみちはかなしくみつめた。らいねんもさらいねんもぶじに)

雛段の夜の灯を、お道は悲しく見つめた。来年も再来年も無事に

(ひなまつりができるであろうか。むすめはいつまでもぶじであろうか。)

雛祭りが出来るであろうか。娘はいつまでも無事であろうか。

(のろわれたははとむすめとはどちらがさきにわざわいをうけるのであろうか。)

呪われた母と娘とはどちらが先に禍いを受けるのであろうか。

(そんなおそれとかなしみとがかのじょのむねいっぱいにひろがって、あわれなるははは)

そんな恐れと悲しみとが彼女の胸一ぱいに拡がって、あわれなる母は

(ことしのしろざけによえなかった。)

今年の白酒に酔えなかった。

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