半七捕物帳 湯屋の二階3

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第四話
タイトルの「湯屋」は「ゆうや」と読みます。

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問題文

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(あくるあさはななくさがゆをいわって、はんしちはでがけにはっちょうぼりどうしんのたくへかおをだすと、)

あくる朝は七草粥を祝って、半七は出がけに八丁堀同心の宅へ顔を出すと、

(せけんがこのごろものさわがしいについてひつけとうぞくあらためがいっそうげんじゅうになった、)

世間がこのごろ物騒がしいに就いて火付盗賊改めが一層厳重になった、

(そのつもりでせいぜいごようをつとめろというちゅういがあった。これがはんしちをしげきして、)

その積りで精々御用を勤めろという注意があった。これが半七を刺戟して、

(いよいよかれのちゅういをくまぞうのにかいにむけさせた。かれがそれからすぐにあたごしたの)

いよいよ彼の注意を熊蔵の二階に向けさせた。彼がそれからすぐに愛宕下の

(ゆやへいそいでいったのはあさのよっつはん(じゅういちじ)ごろで、おうらいにはおそいかいれいしゃが)

湯屋へ急いで行ったのは朝の四ツ半(十一時)頃で、往来には遅い回礼者が

(まだあるいていた。ししのはやしもにぎやかにきこえた。)

まだ歩いていた。獅子の囃子も賑やかにきこえた。

(うらぐちからそっとはいると、くまぞうはまっていた。)

裏口からそっとはいると、熊蔵は待っていた。

(「おやぶん、ちょうどいいところです。ひとりのやろうはきています。)

「親分、ちょうど好い処です。一人の野郎は来ています。

(なんでもゆにへえっているようです」)

なんでも湯にへえっているようです」

(「そうか。それじゃあおれもひとっぷろおよいでこようか」)

「そうか。それじゃあ俺も一ッ風呂泳いで来ようか」

(はんしちはさらにおもてへまわって、ふつうのきゃくのようにゆせんをはらってはいると、)

半七は更に表へ廻って、普通の客のように湯銭を払ってはいると、

(まっぴるまのせんとうはすいていた。むしゃえをかいたざくろぐちのなかで)

まっ昼間の銭湯はすいていた。武者絵を描いた柘榴(ざくろ)口のなかで

(どどいつのこえはようきらしくきこえたが、きゃくはし、ごにんに)

都々逸(どどいつ)の声は陽気らしくきこえたが、客は四、五人に

(すぎなかった。はんしちはひとふろあたたまるとすぐにあがってきて、きものをはだに)

過ぎなかった。半七は一と風呂あたたまるとすぐに揚がって来て、着物を肌に

(ひっかけたままでにかいへあがると、くまぞうもあとからそっとついてきた。)

引っ掛けたままで二階へあがると、熊蔵もあとからそっと付いて来た。

(「あのみずぶねにちかいところにいたやつだろう」と、はんしちは)

「あの水槽(みずぶね)に近いところにいた奴だろう」と、半七は

(ちゃをのみながらきいた。)

茶を飲みながら訊いた。

(「そうです、あのわけえやろうです」 「あれはにせものじゃあねえ」)

「そうです、あの若けえ野郎です」 「あれは偽物じゃあねえ」

(「ほんとうのさむれえでしょうか」 「あしをみろ」)

「ほんとうの武士(さむれえ)でしょうか」 「足を見ろ」

(ぶしはつねにおもいだいしょうをさしているので、しぜんのけっかとしてひだりのあしが)

武士は常に重い大小をさしているので、自然の結果として左の足が

など

(ひかくてきにはったつしている。あしくびもみぎよりおおきい。はだかでいるところを)

比較的に発達している。足首も右より大きい。裸でいるところを

(みとどけたのだからまちがいはないとはんしちはいった。)

見届けたのだから間違いはないと半七は云った。

(「じゃあ、ごけにんでしょうか」)

「じゃあ、御家人でしょうか」

(「かみのゆいようがちがう。やっぱりどこかのはんちゅうだろう」)

「髪の結いようが違う。やっぱり何処かの藩中だろう」

(「なるほど」と、くまぞうはうなずいた。「そこでおやぶん。)

「なるほど」と、熊蔵はうなずいた。「そこで親分。

(きょうはあいつらがなんだかふろしきづつみのようなものをおもそうに)

きょうは彼奴(あいつ)らが何だか風呂敷包みのようなものを重そうに

(かかえてきて、おきちにあずけているところをちらりとみたんですが。)

抱えて来て、お吉に預けている処をちらりと見たんですが。

(ちょいとあらためてみましょうか」)

ちょいと検(あらた)めて見ましょうか」

(「そういえば、おきちはみえねえようだが、どうした」)

「そういえば、お吉は見えねえようだが、どうした」

(「いまじぶんはひまなもんだから、こどものようにおもてへししまいをみに)

「今時分は閑(ひま)なもんだから、子供のように表へ獅子舞を見に

(いったんですよ。ちょうどだれもいねえからいちおうあらためておきましょう。)

行ったんですよ。ちょうど誰もいねえから一応あらためて置きましょう。

(またどんなてがかりがみつからねえともかぎりませんから」)

又どんな手がかりが見付からねえとも限りませんから」

(「そりゃあそうだ」)

「そりゃあそうだ」

(「なんでもおきちがうけとって、かしきりのきものだなのなかへおしこんだよう)

「なんでもお吉が受け取って、貸し切りの着物棚のなかへ押し込んだよう

(でしたが・・・・・・。まあ、おまちなせえ」と、くまぞうはそこらのとだなをさがして、)

でしたが……。まあ、お待ちなせえ」と、熊蔵はそこらの戸棚を探して、

(ひとつのふろしきづつみをもちだしてきた。こいあいぞめのふろしきをあけると、)

一つの風呂敷包みを持ち出して来た。濃い藍染めの風呂敷をあけると、

(なかにはさらにもえぎのふろしきにつつんだにこのはこのようなものが)

中には更に萌黄(もえぎ)の風呂敷につつんだ二個の箱のようなものが

(はいっていた。)

這入っていた。

(「ちょいとしたをみてきますから」)

「ちょいと下を見てきますから」

(くまぞうははしごをおりて、またすぐにのぼってきた。)

熊蔵は階子(はしご)を降りて、又すぐに昇って来た。

(「あいつがもしゆからあがったら、せきばらいをしてしらせるように、)

「あいつがもし湯から揚がったら、咳払いをして知らせるように、

(ばんだいのやつにいいつけておきましたからだいじょうぶです」)

番台の奴に云いつけて置きましたから大丈夫です」

(にじゅうにつつんだふろしきのなかからは、いっしゅのためぬりのようなふるいはこが)

二重につつんだ風呂敷の中からは、一種の溜め塗りのような古い箱が

(にこあらわれた。はこはのうがくのめんをいれるようなもので、)

二個あらわれた。箱は能楽の仮面(めん)を入れるようなもので、

(そこからうすぐろいひらうちのひもをくぐらせて、ふたのうえでじゅうもんじにかたくむすんであった。)

底から薄黒い平打ちの紐をくぐらせて、蓋の上で十文字に固く結んであった。

(いくぶんのこうきしんもてつだって、くまぞうはいそいでそのひとつのはこのひもをといた。)

幾分の好奇心も手伝って、熊蔵は急いでその一つの箱の紐を解いた。

(ふたをあけてもなかみはすぐにわからなかった。なかにしまってあるしなは、)

蓋をあけても中身はすぐに判らなかった。中にしまってある品は、

(さかなのかわともあぶらがみともしょうのえしれないうすきいろいものに)

魚の皮とも油紙とも性(しょう)の得知れない薄黄色いものに

(かたくつつまれていた。)

固く包まれていた。

(「べらぼうにげんじゅうだな」)

「べらぼうに厳重だな」

(つつみをといてくまぞうはおもわずあっとさけんだ。ふたりのめのまえにあらわれたのものは)

包みを解いて熊蔵は思わずあっと叫んだ。ふたりの眼の前にあらわれたのものは

(にんげんのくびであった。しかしそれはいくせんひゃくねんをけいかしたかよういにそうぞうすることを)

人間の首であった。併しそれは幾千百年を経過したか容易に想像することを

(ゆるさないほどにかれきったふるいくびで、ひふのいろはくさったこのはのように)

許さないほどに枯れ切った古い首で、皮膚の色は腐った木の葉のように

(くろくきばんでいた。はんしちやくまぞうのめには、それがおとこかおんなかすらも)

黒く黄ばんでいた。半七や熊蔵の眼には、それが男か女かすらも

(ほとんどはんだんがつかなかった。)

殆ど判断が付かなかった。

(ふたりはいきをのんで、このきかいなくびをしばらくみつめていた。)

二人は息を嚥(の)んで、この奇怪な首をしばらく見つめていた。

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