半七捕物帳 広重と河獺2
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問題文
(かのじょのみもとがわからないということよりも、まずだいいちにしょじんのあたまを)
彼女の身許がわからないということよりも、まず第一に諸人の頭を
(なやましたのは、このおさないむすめがどうしてこのやしきのおおやねのうえに、)
悩ましたのは、この幼い娘がどうして此の屋敷の大屋根の上に、
(ちいさいなきがらをよこたえていたかというぎもんであった。)
小さい亡骸(なきがら)を横たえていたかという疑問であった。
(くろぬまけはせんにひゃっこくのたいしんで、やしきのうちにはようにん、きゅうにん、)
黒沼家は千二百石の大身(たいしん)で、屋敷のうちには用人、給人、
(ちゅうこしょう、あしがる、ちゅうげんのほかに、うば、こしもと、だいどころばたらきのじょちゅうなどをあわせて、)
中小姓、足軽、中間のほかに、乳母、腰元、台所働きの女中などをあわせて、
(じょうげにじゅういくにんのだんじょがすんでいるが、ひとりもこのむすめのかおを)
上下二十幾人の男女が住んでいるが、一人もこの娘の顔を
(みしっているものはなかった。やしきへふだんでいりするもののけんぞくにも、)
見識っている者はなかった。屋敷へふだん出入りする者の眷属にも、
(こういうかおかたちのむすめはみあたらなかった。みもとふめいのこのむすめが)
こういう顔容(かおかたち)の娘は見あたらなかった。身元不明の此の娘が
(どうしてこのやねのうえにのぼったのか、そのはんだんがなかなかむずかしかった。)
どうして此の屋根のうえに登ったのか、その判断がなかなかむずかしかった。
(ひらやづくりではあるが、ぶけやしきのおおやねはふつうのまちやよりも)
平屋作りではあるが、武家屋敷の大屋根は普通の町家よりも
(よっぽどたかいのであるから、たといながばしごをかけたとしても、)
余っぽど高いのであるから、たとい長梯子を架けたとしても、
(みっつやよっつのおさないものがよういにはいあがれようとはおもわれない。)
三つや四つの幼い者が容易に這い上がれようとは思われない。
(そんならてんからふったのか。あるいはてんぐにさらわれて、)
そんなら天から降ったのか。あるいは天狗にさらわれて、
(ちゅうからなげおとされたのではあるまいか。)
宙から投げ落とされたのではあるまいか。
(きょねんのなつからあきにかけて、えどのそらにはときどきおおきいひかりものがとんだ。)
去年の夏から秋にかけて、江戸の空にはときどき大きい光り物が飛んだ。
(あるものはおおきいうしのようないぎょうのひかりものがちゅうをはしるのを)
ある者は大きい牛のような異形(いぎょう)の光り物が宙を走るのを
(みたとさえつたえられている。しょせんはそういうあやしいものにひっつかまれて、)
見たとさえ伝えられている。所詮はそういう怪しい物に引っ摑まれて
(むすめのしがいはちゅうからなげおとされたのではあるまいかと、)
娘の死骸は宙から投げ落とされたのではあるまいかと、
(さかしらだってせつめいするものもあったが、しゅじんのくろぬままごはちは)
賢(さか)しら立って説明する者もあったが、主人の黒沼孫八は
(そのせつめいにまんぞくしなかった。かれはふだんからてんぐなどというもののそんざいを)
その説明に満足しなかった。彼はふだんから天狗などというものの存在を
(いっさいひにんしようとしているごうきのぶしであった。)
一切否認しようとしている剛気の武士であった。
(「これにはなにかしさいがある」)
「これには何か仔細がある」
(いずれにしてもそのままにはすておかれないので、かれはそのしだいを)
いずれにしても其のままには捨て置かれないので、彼はその次第を
(いちおうはまちぶぎょうしょにもとどけろといった。ぶけやしきないのできごとであるから、)
一応は町奉行所にも届けろと云った。武家屋敷内の出来事であるから、
(おもてむきにしないでもなんとかすむのであるが、かれはそのぎもんをかいけつするために)
表向きにしないでも何とか済むのであるが、彼はその疑問を解決するために
(まちかたのてをかりようとおもいたって、わざとおおやけにそれを)
町方(まちかた)の手を借りようと思い立って、わざと公(おおやけ)にそれを
(はっぴょうしようとしたのであった。)
発表しようとしたのであった。
(「かようなおさないものにおやきょうだいのないはずはない。むすめをうしない、いもうとをうしなって、)
「かような幼い者に親兄弟のない筈はない。娘を失い、妹をうしなって、
(さだめしなげきかなしんでいるものもあろう。そのみもとをよくよくせんぎして、)
さだめし嘆き悲しんでいる者もあろう。その身許をよくよく詮議して、
(せめてなきがらなりともおくりとどけつかわしたい。やしきのがいぶんなど)
せめて亡骸なりとも送りとどけ遣わしたい。屋敷の外聞など
(いとうているべきばあいでない。でいりのものどもにもむすめのにんそうみなりなどを)
厭うているべき場合でない。出入りの者どもにも娘の人相服装などを
(くわしくもうしきかせて、こころあたりをせんさくさせろ」)
くわしく申し聞かせて、心あたりを詮索させろ」
(しゅじんがこういういけんであるいじょう、だれもしいてはんたいするわけにもいかなかった。)
主人がこういう意見である以上、だれも強いて反対するわけにも行かなかった。
(ようにんのふじくらぐんえもんはそのひのひるまえにきょうばしへでむいて、)
用人の藤倉軍右衛門はその日の午前(ひるまえ)に京橋へ出向いて、
(はっちょうぼりどうしんのこやましんべえをやねやしんどうのやしきにたずねた。)
八丁堀同心の小山新兵衛を屋根屋新道の屋敷にたずねた。
(みみのはやいしんべえはもうそのいっけんのあらましをどこからか)
耳の早い新兵衛はもうその一件のあらましを何処からか
(ききこんでいたらしかったが、ぐんえもんはさらにくわしいせつめいをあたえたうえで、)
聞き込んでいたらしかったが、軍右衛門は更にくわしい説明をあたえた上で、
(なんとかしてかのむすめのみもとをあらいだしてくれないかとひざづめでたのんだ。)
なんとかしてかの娘の身許を洗い出してくれないかと膝づめで頼んだ。
(そうして、しょうじきにこういうじじょうもうちあけた。しゅじんはおおやけにそれをはっぴょうしろと)
そうして、正直にこういう事情も打ちあけた。主人は公にそれを発表しろと
(いっているけれども、じぶんのいけんとしてはやはりやしきのがいぶんを)
云っているけれども、自分の意見としてはやはり屋敷の外聞を
(かんがえなければならない。しょうがつそうそうからやしきのやねにえたいのしれない)
考えなければならない。正月早々から屋敷の屋根に得体の知れない
(にんげんのしたいがふってきたなどということは、だいいちにふきつでもあり、)
人間の死体が降って来たなどということは、第一に不吉でもあり、
(せけんにたいしてがいぶんのいいことでもない。ことにせけんのくちは)
世間に対して外聞の好いことでもない。ことに世間の口は
(うるさいものでこれをせけんにふいちょうしたいわけではない。)
煩(うるさ)いものでこれを世間に吹聴したいわけではない。
(かのむすめのみもとがわかって、そのしんるいえんじゃにひきわたせばそれであんしんするので)
かの娘の身許が判って、その親類縁者に引き渡せばそれで安心するので
(あるから、そのつもりでないみつにせんさくしてくださればしごくこうつごうであると、)
あるから、そのつもりで内密に詮索してくだされば至極好都合であると、
(ぐんえもんはこんがんするようにいった。)
軍右衛門は懇願するように云った。
(「よくわかりました。では、なんとかしかるべきようのとりはからいかたを)
「よく判りました。では、なんとか然るべきようの取り計らい方を
(いたしましょう」と、しんべえはすなおにしょうちした。)
致しましょう」と、新兵衛は素直に承知した。