半七捕物帳 奥女中12(終)
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問題文
(いよいよそのほんにんがみつかると、それをどうしてつれてくるか)
いよいよその本人が見付かると、それをどうして連れてくるか
(ということについて、やしきないではぎろんがふたつにわかれた。)
ということについて、屋敷内では議論が二つに分かれた。
(ひとのむすめをむとくしんにつれてくるというのはかどわかしどうようの)
ひとの娘を無得心に連れて来るというのは拐引(かどわかし)同様の
(しかたであるから。ないみつにそのしさいをあかしておとなしくつれてくるが)
仕方であるから。内密にその仔細を明かしておとなしく連れてくるが
(よかろうというおんわないけんもあった。しかしいっぽうにはまたこれにはんたいして、)
よかろうと云う温和な意見もあった。しかし一方には又これに反対して、
(なにをいうにもあいてはちゃみせのおんなどもである。いくらくちどめをしておいても、)
なにを云うにも相手は茶店の女どもである。いくら口止めをして置いても、
(はたしてひみつをまもるかどうかすこぶるふあんしんである。)
果たして秘密を守るかどうか頗(すこぶ)る不安心である。
(またごにちにねだりがましいことなどいいかけられてもめんどうである。)
また後日(ごにち)にねだりがましい事など云いかけられても面倒である。
(すこしうしろぐらいやりかたではあるが、いっそふいにひっさらってくるほうが)
すこしうしろ暗いやり方ではあるが、いっそ不意に引っさらってくる方が
(ぶじであろう。なにごともおいえのがいぶんにはかえられぬというものもあった。)
無事であろう。何事も御家の外聞にはかえられぬと云う者もあった。
(けっきょく、あとのほうのせつがせいりょくをしめて、そのやくめをいいつけられた)
結局、後の方の説が勢力を占めて、その役目を云いつけられた
(さむらいどもは、みぶんがらにもあるまじきかどわかしどうようのしょぎょうを)
武士(さむらい)どもは、身分柄にもあるまじき拐引同様の所行を
(くりかえすことになったのである。)
くり返すことになったのである。
(それほどくしんしたかいがあって、そのけいりゃくはみごとにせいこうした。)
それほど苦心した甲斐があって、その計略は見ごとに成功した。
(ものくるおしいおくがたは、かえだまのおちょうをよるもひるもときどきのぞきにきて、)
物狂おしい奥方は、替え玉のお蝶を夜も昼もときどき覗きに来て、
(しんだひめのたましいがふたたびこのよによびもどされたものとおもっているらしく、)
死んだ姫の魂が再びこの世に呼び戻されたものと思っているらしく、
(それからはわすれたようにおとなしくなった。しかしそれはいちじのことで、)
それからは忘れたようにおとなしくなった。併しそれは一時のことで、
(おちょうのすがたがいくにちもみえないと、かのじょはひめにあわせろといって)
お蝶の姿が幾日もみえないと、彼女は姫にあわせろと云って
(またくるいだした。さりとてひとのむすめをさいげんもなくこうきんしておくことは)
又狂い出した。さりとて人の娘を際限もなく拘禁して置くことは
(できないので、やしきのものもまたこまった。)
できないので、屋敷の者もまた困った。
(そのやさきにまたひとつのあたらしいもんだいがおこった。それはこのとしのしちがつから)
その矢先に又一つの新しい問題が起った。それは此の年の七月から
(あたらしいふれがあって、しょだいみょうのさいじょもきこくかってたるべしということに)
新しい布連(ふれ)があって、諸大名の妻女も帰国勝手たるべしということに
(なったので、どこのはんでもよろこんだ。いっしゅのひとじちとなってたねんえどに)
なったので、どこの藩でも喜んだ。一種の人質となって多年江戸に
(すんでいることをよぎなくされたしょだいみょうのおくがたやしそくたちは、)
住んでいることを余儀なくされた諸大名の奥方や子息たちは、
(われさきにとにげるようにくにもとへひきあげた。もちろん、このやしきでも)
われ先にと逃げるように国許(くにもと)へ引きあげた。勿論、この屋敷でも
(おくがたをりょうちへおくることになったが、らんしんどうようのおくがたがどうちゅうに)
奥方を領地へ送ることになったが、乱心同様の奥方が道中に
(くるいだしたらばどうするか、くにもとへかえってもいまのありさまであったらば)
狂い出したらばどうするか、国許へ帰っても今のありさまであったらば
(どうするか。それがみんなのむねによこたわるくろうのおもいかたまりで)
どうするか。それがみんなの胸に横たわる苦労の重い凝塊(かたまり)で
(あった。そこでひょうぎがまたひらかれた。そのひょうぎのけつろんは、どうしても)
あった。そこで評議がまた開かれた。その評議の結論は、どうしても
(おちょうをとおいくにもとまでつれていくよりほかはないということにきちゃくした。)
お蝶を遠い国許まで連れて行くよりほかはないということに帰着した。
(しかしこんどはほとんどえいきゅうてきのもんだいで、さすがにむとくしんでつれだすわけには)
併し今度は殆ど永久的の問題で、さすがに無得心で連れ出すわけには
(いかないので、ともかくもほんにんやおやもとにもそうだんのうえ、いっしょうほうこうのやくそくで)
行かないので、ともかくも本人や親許にも相談の上、一生奉公の約束で
(つれていくことになった。おくじょちゅうのゆきのがそのつかいをうけたまわって、)
連れて行くことになった。奥女中の雪野がその使をうけたまわって、
(きのうもおやもとへたずねてきたのであった。いっそさいしょからあからさまに)
きのうも親許へたずねて来たのであった。いっそ最初からあからさまに
(じじょうをうちあけたら、こっちもまたふんべつのしようがあったかも)
事情を打ち明けたら、こっちもまた分別のしようがあったかも
(しれなかったが、ひたすらにおいえのがいぶんということばかり)
知れなかったが、ひたすらに御家の外聞という事ばかり
(かんがえていたゆきのは、なにごともひみつずくめでそうだんをまとめようと)
考えていた雪野は、何事も秘密ずくめで相談をまとめようと
(あせっていたために、こっちのうたがいはいよいよふかくなった。おまけによこあいから)
焦っていた為に、こっちの疑いはいよいよ深くなった。おまけに横合いから
(おとしのようなにせむかいがあらわれたために、じけんはますますもつれて)
お俊のような偽迎いがあらわれた為に、事件はますます縺(もつ)れて
(しまった。)
しまった。
(そのわけをきいてみると、はんしちもきのどくになった。こゆえにくるうははのこころと、)
そのわけを聴いてみると、半七も気の毒になった。子ゆえに狂う母の心と、
(そのははをとりしずめようとつとめているけらいどものくしんと、)
その母を取り鎮めようと努めている家来どもの苦心と、
(それにたいしてもあまりにつよいこともいわれないはめになった。)
それに対しても余りに強いことも云われない破目になった。
(さんじょうのかくれがからおちょうはそろそろはいだしてきた。かれはもらいなきのめを)
三畳の隠れ家からお蝶はそろそろ這い出して来た。かれは貰い泣きの眼を
(ふきながらいった。)
拭きながら云った。
(「これでなにもかもわかりました。おっかさん、わたくしのようなものでも)
「これで何もかも判りました。阿母(おっか)さん、わたくしのような者でも
(おやくにたつなら、どうぞそのおくにへやってください」)
お役に立つなら、どうぞそのお国へやってください」
(「え。ほんとうにしょうちしていってくださるか」と、ゆきのは)
「え。ほんとうに承知して行ってくださるか」と、雪野は
(おちょうのてをとっておしいただかないばかりにしてれいをいった。)
お蝶の手をとって押し頂かないばかりにして礼を云った。
(めいげつはみなみのそらへまわってきて、にわからうちのなかまでいっぱいに)
名月は南の空へまわって来て、庭から家のなかまで一ぱいに
(あかるくさしこんだ。)
明るく映(さ)し込んだ。
(「おふくろもとうとうしょうちして、むすめをほうこうにやることにきめましたよ」)
…… 「おふくろもとうとう承知して、娘を奉公にやることに決めましたよ」
(と、はんしちろうじんはいった。)
と、半七老人は云った。
(「それからまたはなしがすすんできて、いっそおふくろもいっしょにいったらどうだ)
「それから又話が進んで来て、いっそ阿母(おふくろ)も一緒に行ったらどうだ
(ということになりました。えどにはちかしいしんせきもなし、)
ということになりました。江戸には近しい親戚も無し、
(じぶんもだんだんにとしをとってくるもんですから、おかめもむすめのそばに)
自分もだんだんに年をとって来るもんですから、お亀も娘のそばに
(いったほうがいいというりょうけんになって、せたいをたたんでいっしょにとおいおくにへ)
行った方が好いという料簡になって、世帯をたたんで一緒に遠いお国へ
(いきましたよ。なんでもごじょうかにいっけんのうちをもたせてもらって、)
行きましたよ。なんでも御城下に一軒の家を持たせて貰って、
(らくいんきょのようなふうでよをおわったそうです。めいじになってまもなく、)
楽隠居のようなふうで世を終ったそうです。明治になって間もなく、
(そのおくがたもなくなったもんですから、おちょうははじめておいとまがでて、)
その奥方も亡くなったもんですから、お蝶は初めてお暇(いとま)が出て、
(そのやしきからりっぱにしたくをしてもらって、そうとうのいえへとついだといううわさですが、)
その屋敷から立派に支度をして貰って、相当の家へ嫁いだという噂ですが、
(たぶんまだいきているでしょう。おとしというやつはえどをくいつめて)
多分まだ生きているでしょう。お俊という奴は江戸を食いつめて
(すんぷへながれこんで、そこでおしおきになったとかきいています」)
駿府へ流れ込んで、そこでお仕置きになったとか聞いています」