人間椅子１

(はじまっているのだった。はてな、では、やっぱりてがみなのかしら、そうおもって、)

始まっているのだった。ハテナ、では、やっぱり手紙なのかしら、そう思って、

(なにげなくにぎょうさんぎょうとめをはしらせていくうちに、かのじょは、そこから、)

何気なく二行三行と目を走らせて行く内に、彼女は、そこから、

(なんとなくいじょうな、みょうにきみわるいものをよかんした。そして、もちまえのこうきしんが、)

何となく異常な、妙に気味悪いものを予感した。そして、持前の好奇心が、

(かのじょをして、ぐんぐん、さきをよませていくのであった。)

彼女をして、ぐんぐん、先を読ませて行くのであった。

(おくさま、)

奥様、

(おくさまのほうでは、すこしもごぞんじのないおとこから、とつぜん、このようなむしつけなおてがみを、)

奥様の方では、少しも御存じのない男から、突然、此様な無躾な御手紙を、

(さしあげますつみを、いくえにもおゆるしくださいませ。)

差し上げます罪を、幾重にもお許し下さいませ。

(こんなことをもうしあげますと、おくさまは、さぞかしびっくりなさることで)

こんなことを申し上げますと、奥様は、さぞかしびっくりなさる事で

(ございましょうが、わたしはいま、あなたのまえに、わたしのおかしてきました、)

御座いましょうが、私は今、あなたの前に、私の犯して来ました、

(よにもふしぎなざいあくを、こくはくしようとしているのでございます。)

世にも不思議な罪悪を、告白しようとしているのでございます。

(わたしはすうかげつのあいだ、まったくにんげんかいからすがたをかくして、ほんとうに、あくまのようなせいかつを)

私は数ヶ月の間、全く人間界から姿を隠して、本当に、悪魔の様な生活を

(つづけてまいりました。もちろん、ひろいせかいにだれひとり、わたしのしょぎょうをしるものは)

続けて参りました。勿論、広い世界に誰一人、私の所業を知るものは

(ありません。もし、なにごともなければ、わたしは、このままえいきゅうに、)

ありません。若し、何事もなければ、私は、このまま永久に、

(にんげんかいにたちかえることはなかったかもしれないのでございます。)

人間界に立ち帰ることはなかったかも知れないのでございます。

(ところが、ちかごろになりまして、わたしのこころにあるふしぎなへんかがおこりました。)

ところが、近頃になりまして、私の心にある不思議な変化が起こりました。

(そして、どうしても、この、わたしのいんがなみのうえを、ざんげしないでは)

そして、どうしても、この、私の因果な身の上を、懺悔しないでは

(いられなくなりました。ただ、かようにもうしましたばかりでは、)

いられなくなりました。ただ、かように申しましたばかりでは、

(いろいろごふしんにおぼしめすてんもございましょうが、どうか、ともかくも、このてがみを)

色々御不審に思し召す点もございましょうが、どうか、兎も角も、この手紙を

(おわりまでごよみくださいませ。そうすれば、なぜ、わたしがそんなきもちに)

終りまで御読み下さいませ。そうすれば、何故、私がそんな気持ちに

(なったのか。またなぜ、このこくはくを、ことさらおくさまにきいていただかねばならぬのか、)

なったのか。又何故、この告白を、殊更奥様に聞いて頂かねばならぬのか、

(それらのことが、ことごとくめいはくになるでございましょう。)

それらのことが、悉く明白になるでございましょう。

(さて、なにからかきはじめたらいいのか、あまりににんげんはなれのした、)

さて、何から書き初めたらいいのか、あまりに人間離れのした、

(きかいせんばんなじじつなので、こうした、にんげんせかいでつかわれる、てがみというような)

奇怪千万な事実なので、こうした、人間世界で使われる、手紙という様な

(ほうほうでは、みょうにおもはゆくて、ふでのにぶるのをおぼえます。でも、まよっていても)

方法では、妙に面はゆくて、筆の鈍るのを覚えます。でも、迷っていても

(しかたがございません。ともかくも、ことのおこりから、じゅんをおって、)

仕方がございません。兎も角も、事の起りから、順を追って、

(かいていくことにいたしましょう。)

書いて行くことに致しましょう。

(わたしはうまれつき、よにもみにくいようぼうのもちぬしでございます。これをどうか、)

私は生まれつき、世にも醜い容貌の持主でございます。これをどうか、

(おおぼえなすっていてくださいませ。そうでないと、もし、あなたが、)

お覚えなすっていて下さいませ。そうでないと、若し、あなたが、

(このぶしつけなねがいをいれて、わたしにおあいくださいましたばあい、たださえみにくい)

この無躾な願いを容れて、私にお逢い下さいました場合、たださえ醜い

(わたしのかおが、ながいつきひのふけんこうなせいかつのために、ふためとみられぬ、)

私の顔が、長い月日の不健康な生活の為に、二た目とみられぬ、

(ひどいすがたになっているのを、なんのよびちしきもなしに、あなたにみられるのは、)

ひどい姿になっているのを、何の予備知識もなしに、あなたに見られるのは、

(わたしとしては、たえがたいことでございます。)

私としては、耐え難いことでございます。