紫式部 源氏物語 夕顔 2 與謝野晶子訳

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問題文

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(「ながいあいだかいふくしないあなたのびょうきをしんぱいしているうちに、こんなふうにあまに)

「長い間恢復しないあなたの病気を心配しているうちに、こんなふうに尼に

(なってしまわれたからざんねんです。ながいきをしてわたくしのしゅっせするときをみてください。)

なってしまわれたから残念です。長生きをして私の出世する時を見てください。

(そのあとでしねばくぼんれんだいのさいじょういにだってうまれることができるでしょう。)

そのあとで死ねば九品蓮台の最上位にだって生まれることができるでしょう。

(このよにすこしでもあきたりないこころをのこすのはよくないということだから」)

この世に少しでも飽き足りない心を残すのはよくないということだから」

(げんじはなみだぐんでいっていた。けってんのあるひとでも、めのとというようなかんけいで)

源氏は涙ぐんで言っていた。欠点のある人でも、乳母というような関係で

(そのひとをあいしているものには、それがひじょうにりっぱなかんぜんなものにみえるので)

その人を愛している者には、それが非常にりっぱな完全なものに見えるので

(あるから、ましてやしないぎみがこのよのだれよりもすぐれたげんじのきみであっては、)

あるから、まして養君がこの世のだれよりもすぐれた源氏の君であっては、

(じしんまでもふつうのものでないようなほこりをおぼえているかのじょであったから、げんじから)

自身までも普通の者でないような誇りを覚えている彼女であったから、源氏から

(こんなことばをきいてはただうれしなきをするばかりであった。むすこやむすめはははの)

こんな言葉を聞いてはただうれし泣きをするばかりであった。息子や娘は母の

(たいどをあきたりないはがゆいもののようにおもって、あまになっていながら)

態度を飽き足りない歯がゆいもののように思って、尼になっていながら

(このよへのみれんをおみせするようなものである、ぞくえんのあったかたにおしんで)

この世への未練をお見せするようなものである、俗縁のあった方に惜しんで

(ないていただくのはともかくもだがというようないみを、ひじをついたり、)

泣いていただくのはともかくもだがというような意味を、肘を突いたり、

(めくばせをしたりしてきょうだいどうしでしめしあっていた。)

目くばせをしたりして兄弟どうしで示し合っていた。

(げんじはめのとをあわれんでいた。 「ははやそぼをはやくなくしたわたくしのために、)

源氏は乳母を憐れんでいた。 「母や祖母を早く失くした私のために、

(せわするやくにんなどはたすうにあっても、わたくしのもっともしたしくおもわれたひとは)

世話する役人などは多数にあっても、私の最も親しく思われた人は

(あなただったのだ。おとなになってからはしょうねんじだいのように、いつもいっしょに)

あなただったのだ。大人になってからは少年時代のように、いつもいっしょに

(いることができず、おもいたつときにすぐにたずねてくるようなことも)

いることができず、思い立つ時にすぐに訪ねてくるようなことも

(できないのですが、いまでもまだあなたとながくあわないでいるとこころぼそいきが)

できないのですが、今でもまだあなたと長く逢わないでいると心細い気が

(するほどなんだから、せいしのわかれというものがなければよいとむかしのひとが)

するほどなんだから、生死の別れというものがなければよいと昔の人が

(いったようなことをわたくしもおもう」 しみじみとはなして、そででなみだをふいているうつくしい)

言ったようなことを私も思う」 しみじみと話して、袖で涙を拭いている美しい

など

(げんじをみては、このかたのめのとでありえたわがははもよいぜんしょうのえんをもったひとに)

源氏を見ては、この方の乳母でありえたわが母もよい前生の縁を持った人に

(ちがいないというきがして、さっきからひなんがましくしていたきょうだいたちも、)

違いないという気がして、さっきから批難がましくしていた兄弟たちも、

(しんみりとしたどうじょうをははへもつようになった。げんじがひきうけて、もっときとうを)

しんみりとした同情を母へ持つようになった。源氏が引き受けて、もっと祈祷を

(たのむことなどをめいじてから、かえろうとするときにこれみつにろうそくをともさせて、)

頼むことなどを命じてから、帰ろうとする時に惟光に蝋燭を点させて、

(さっきゆうがおのはなののせられてきたおうぎをみた。よくつかいこんであって、よいたきものの)

さっき夕顔の花の載せられて来た扇を見た。よく使い込んであって、よい薫物の

(こうのするおうぎに、きれいなじでうたがかかれてある。 )

香のする扇に、きれいな字で歌が書かれてある。

(こころあてにそれかとぞみるしらつゆのひかりそえたるゆうがおのはな )

心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花

(ちらしがきのじがじょうひんにみえた。すこしいがいだったげんじは、ふうりゅうゆうぎをしかけた)

散らし書きの字が上品に見えた。少し意外だった源氏は、風流遊戯をしかけた

(じょせいにこうかんをおぼえた。これみつに、 「このとなりのいえにはだれがすんでいるのか、)

女性に好感を覚えた。惟光に、 「この隣の家にはだれが住んでいるのか、

(きいたことがあるか」 というと、これみつはあるじのれいのこうしょくへきがでてきたと)

聞いたことがあるか」 と言うと、惟光は主人の例の好色癖が出てきたと

(おもった。 「このご、ろくにちはははのうちにおりますが、びょうにんのせわを)

思った。 「この五、六日母の家におりますが、病人の世話を

(しておりますので、となりのことはまだきいておりません」 これみつがれいたんに)

しておりますので、隣のことはまだ聞いておりません」 惟光が冷淡に

(こたえると、げんじは、 「こんなことをきいたのでおもしろくおもわないんだね。)

答えると、源氏は、 「こんなことを聞いたのでおもしろく思わないんだね。

(でもこのおうぎがわたくしのきょうみをひくのだ。このへんのことにくわしいひとをよんで)

でもこの扇が私の興味をひくのだ。この辺のことに詳しい人を呼んで

(きいてごらん」 といった。はいっていってとなりのばんにんとあってきたこれみつは、)

聞いてごらん」 と言った。はいって行って隣の番人と逢って来た惟光は、

(「ちほうちょうのすけのなだけをいただいているひとのいえでございました。あるじはいなかへ)

「地方庁の介の名だけをいただいている人の家でございました。主人は田舎へ

(いっているそうで、わかいふうりゅうずきなさいくんがいて、にょうぼうづとめをしているその)

行っているそうで、若い風流好きな細君がいて、女房勤めをしているその

(しまいたちがよくでいりするともうします。くわしいことはげにんで、)

姉妹たちがよく出入りすると申します。詳しいことは下人で、

(よくわからないのでございましょう」 とほうこくした。ではそのにょうぼうをしている)

よくわからないのでございましょう」 と報告した。ではその女房をしている

(というおんなたちなのであろうとげんじはかいしゃくして、いいきになって、ものなれたたわむれを)

という女たちなのであろうと源氏は解釈して、いい気になって、物馴れた戯れを

(しかけたものだとおもい、しものしなであろうが、じぶんをひかるげんじとみてよんだうたを)

しかけたものだと思い、下の品であろうが、自分を光源氏と見て詠んだ歌を

(よこされたのにたいして、なにかいわねばならぬというきがした。というのは)

よこされたのに対して、何か言わねばならぬという気がした。というのは

(じょせいにはほだされやすいせいかくだからである。)

女性にはほだされやすい性格だからである。

(かいしにべつじんのようなじたいでかいた。 )

懐紙に別人のような字体で書いた。

(よりてこそそれかともみめたそがれにほのぼのみつるはなのゆうがお )

寄りてこそそれかとも見め黄昏れにほのぼの見つる花の夕顔

(はなをおりにいったずいしんにもたせてやった。ゆうがおのはなのいえのひとはげんじを)

花を折りに行った随身に持たせてやった。夕顔の花の家の人は源氏を

(しらなかったが、となりのいえのしゅじんすじらしいきじんはそれらしくおもわれておくったうたに、)

知らなかったが、隣の家の主人筋らしい貴人はそれらしく思われて贈った歌に、

(へんじのないのにきまりわるさをかんじていたところへ、わざわざつかいにへんかを)

返事のないのにきまり悪さを感じていたところへ、わざわざ使いに返歌を

(もたせてよこされたので、またこれにたいしてなにかいわねばならぬなどとみなで)

持たせてよこされたので、またこれに対して何か言わねばならぬなどと皆で

(いいあったであろうが、みぶんをわきまえないしかただとはんかんをもっていた)

言い合ったであろうが、身分をわきまえないしかただと反感を持っていた

(ずいしんは、わたすものをわたしただけですぐにかえってきた。)

随身は、渡す物を渡しただけですぐに帰って来た。

(ぜんくのものがばじょうでかかげていくたいまつのあかりがほのかにしかひからないで)

前駆の者が馬上で掲げて行く松明の明りがほのかにしか光らないで

(いった。たかまどはもうとがおろしてあった。)

源氏の車は行った。高窓はもう戸がおろしてあった。

(そのすきまからほたるいじょうにかすかなひのひかりがみえた。)

その隙間から蛍以上にかすかな灯の光が見えた。

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