太宰治「容貌」
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問題文
(わたしのかおは、このごろまた、ひとまはりおおきくなつたやうである。)
私の顏は、このごろまた、ひとまはり大きくなつたやうである。
(もとから、ちいさいかおではなかつたが、)
もとから、小さい顏ではなかつたが、
(このごろまた、ひとまはりおおきくなつた。)
このごろまた、ひとまはり大きくなつた。
(びだんしといふものは、)
美男子といふものは、
(かおがちいさくきちんとまとまつているものである。)
顏が小さくきちんとまとまつてゐるものである。
(かおのひじょうにおおきいびだんしといふのは、)
顏の非常に大きい美男子といふのは、
(あまりかんれいがないやうにおもはれる。)
あまり實例が無いやうに思はれる。
(そうぞうすることも、むづかしい。)
想像する事も、むづかしい。
(かおのおおきいひとは、すべてをすなおにあきらめて、)
顏の大きい人は、すべてを素直にあきらめて、
(「りっぱ」あるひは「そうごん」あるひは「せいかん」といふことを)
「立派」あるひは「莊嚴」あるひは「盛觀」といふ事を
(こころがけるよりほかにしようがないやうである。)
心掛けるより他に仕樣がないやうである。
(はまぐちおさちしは、ひじょうにかおのおおきいひとであつた。)
濱口雄幸氏は、非常に顏の大きい人であつた。
(やはりびだんしではなかつた。けれども、せいかんであつた。)
やはり美男子ではなかつた。けれども、盛觀であつた。
(そうごんでさへあつた。)
莊嚴でさへあつた。
(ようぼうについては、)
容貌に就いては、
(ひそかにしゅうようしたこともあつたであらうとおもはれる。)
ひそかに修養した事もあつたであらうと思はれる。
(わたしもかうなれば、はまぐちしになるやうにしゅうようするより)
私もかうなれば、濱口氏になるやうに修養するより
(ほかはないとおもつている。)
他は無いと思つてゐる。
(かおがおおきくなると、)
顏が大きくなると、
(よつぽどきをつけなければ、ひとにごうまんとごかいされる。)
よつぽど氣をつけなければ、人に傲慢と誤解される。
(おおきいつらをしやがつて、いつたい、なんだとおもつているんだなどと、)
大きいつらをしやがつて、いつたい、なんだと思つてゐるんだ等と、
(ふりょのこうげきをうけることもあるものである。)
不慮の攻撃を受ける事もあるものである。
(せんじつ、わたしはしんじゅくのあるみせへはいつて、)
先日、私は新宿の或る店へはひつて、
(ひとりでびいるををのんでいたら、)
ひとりでビイルを飮んでゐたら、
(おんなのこがよびもしないのにかたわらへよつてきて、)
女の子が呼びもしないのに傍へ寄つて來て、
(「あんたは、やねうらのてつじんみたいだね。)
「あんたは、屋根裏の哲人みたいだね。
(ばかにえらさうにしているが、)
ばかに偉さうにしてゐるが、
(おんなには、もてませんね。きざに、げいじゅつかきどりをしたつて、)
女には、もてませんね。きざに、藝術家氣取りをしたつて、
(だめだよ。ゆめをすてることだね。)
だめだよ。夢を捨てる事だね。
(うたはざるしじんかね。よう!ようだ!)
歌はざる詩人かね。よう! ようだ!
(あんたはえらいよ。こんなところへくるにはね、)
あんたは偉いよ。こんなところへ來るにはね、
(まづはいしゃにひとつきかよつてから、おいでなさいだ。」と、)
まづ齒醫者にひとつき通つてから、おいでなさいだ。」と、
(ひどいことをいつた。)
ひどい事を言つた。
(わたしのはは、ぼろぼろにかけているのである。)
私の齒は、ぼろぼろに缺けてゐるのである。
(わたしはへんじにきゅうして、おかんじょうをたのんだ。)
私は返事に窮して、お勘定をたのんだ。
(さすがに、それからご、ろくにち、がいしゅつしたくなかつた。)
さすがに、それから五、六日、外出したくなかつた。
(しずかにいえでどくしょした。)
靜かに家で讀書した。
(はながあかくならなければいいが、ともおもつている。)
鼻が赤くならなければいいが、とも思つてゐる。