心理試験6/江戸川乱歩

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1 miko 6066 A++ 6.2 97.0% 639.1 3999 122 58 2024/09/08

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問題文

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(そうして、いろいろとじっけんやすいりょうをつづけているうちに、ふきやはふとあるかんがえに)

そうして、色々と実験や推量を続けている内に、蕗屋はふとある考に

(ぶっつかった。それは、れんしゅうというものがしんりしけんのこうかをさまたげはしないか、)

ぶッつかった。それは、練習というものが心理試験の効果を妨げはしないか、

(いいかえれば、おなじしつもんにたいしても、いっかいめよりはにかいめが、にかいめよりは)

云い換えれば、同じ質問に対しても、一回目よりは二回目が、二回目よりは

(さんかいめが、しんけいのはんのうがびじゃくになりはしないかということだった。つまり、)

三回目が、神経の反応が微弱になりはしないかということだった。つまり、

(なれるということだ。これはほかのいろいろのばあいをかんがえてみてもわかるとおり、)

慣れるということだ。これは他の色々の場合を考えて見ても分る通り、

(ずいぶんかのうせいがある。じぶんじしんのじんもんにたいしてはんのうがないというのも、)

随分可能性がある。自分自身の訊問に対して反応がないというのも、

(けっきょくはこれとおなじりくつで、じんもんがはっせられるいぜんに、おのれによきがあるために)

結局はこれと同じ理窟で、訊問が発せられる以前に、己に予期がある為に

(そういない。)

相違ない。

(そこで、かれは「じりん」のなかのなんまんというたんごをひとつものこらずしらべてみて、)

そこで、彼は「辞林」の中の何万という単語を一つも残らず調べて見て、

(すこしでもじんもんされそうなことばをすっかりかきぬいた。そして、いっしゅうかんもかかって、)

少しでも訊問され相な言葉をすっかり書き抜いた。そして、一週間もかかって、

(それにたいするしんけいの「れんしゅう」をやった。)

それに対する神経の「練習」をやった。

(さてつぎには、ことばをつうじてしけんするほうほうだ。これとてもおそれることはない。)

さて次には、言葉を通じて試験する方法だ。これとても恐れることはない。

(いやむしろ、それがことばであるだけごまかしやすいというものだ。これにはいろいろな)

いや寧ろ、それが言葉である丈けごまかし易いというものだ。これには色々な

(ほうほうがあるけれど、もっともよくおこなわれるのは、あのせいしんぶんせきかがびょうにんをみるときに)

方法があるけれど、最もよく行われるのは、あの精神分析家が病人を見る時に

(もちいるのとおなじほうほうで、れんそうしんだんというやつだ。「しょうじ」だとか「つくえ」だとか)

用いるのと同じ方法で、聯想診断という奴だ。「障子」だとか「机」だとか

(「いんき」だとか「ぺん」だとか、なんでもないたんごをいくつもじゅんじに)

「インキ」だとか「ペン」だとか、なんでもない単語をいくつも順次に

(よみきかせて、できるだけはやく、すこしもかんがえないで、それらのたんごについて)

読み聞かせて、出来る丈け早く、少しも考えないで、それらの単語について

(れんそうしたことばをしゃべらせるのだ。たとえば、「しょうじ」にたいしては「まど」とか「しきい」)

聯想した言葉を喋らせるのだ。例えば、「障子」に対しては「窓」とか「敷居」

(とか「と」とかいろいろのれんそうがあるだろうが、どれでもかまわない、そのとき)

とか「戸」とか色々の連想があるだろうが、どれでも構わない、その時

(ふとうかんだことばをいわせる。そして、それらのいみのないたんごのあいだへ、)

ふと浮かんだ言葉を云わせる。そして、それらの意味のない単語の間へ、

など

(「ないふ」だとか「ち」だとか「かね」だとか「さいふ」だとか、はんざいにかんけいのある)

「ナイフ」だとか「血」だとか「金」だとか「財布」だとか、犯罪に関係のある

(たんごを、きづかれぬようにまぜておいて、それにたいするれんそうをしらべるのだ。)

単語を、気づかれぬ様に混ぜて置いて、それに対する聯想を検べるのだ。

(まずだいいちに、もっともしりょのあさいものは、このろうばごろしのじけんでいえば「うえきばち」)

先ず第一に、最も思慮の浅い者は、この老婆殺しの事件で云えば「植木鉢」

(というたんごにたいして、うっかり「かね」とこたえるかもしれない。すなわち「うえきばち」)

という単語に対して、うっかり「金」と答えるかも知れない。即ち「植木鉢」

(のそこから「かね」をぬすんだことがもっともふかくいんしょうされているからだ。そこでかれは)

の底から「金」を盗んだことが最も深く印象されているからだ。そこで彼は

(ざいじょうをじはくしたことになる。だが、すこしかんがえぶかいものだったら、たとい「かね」という)

罪状を自白したことになる。だが、少し考え深い者だったら、仮令「金」という

(ことばがうかんでも、それをおしころして、たとえば「せともの」とこたえるだろう。)

言葉が浮かんでも、それを押し殺して、例えば「瀬戸物」と答えるだろう。

(かようないつわりにたいしてふたつのほうほうがある。ひとつは、いちじゅんしけんしたたんごを、)

斯様な偽りに対して二つの方法がある。一つは、一巡試験した単語を、

(すこしじかんをおいて、もういちどくりかえすのだ。すると、しぜんにでたこたえはおおくのばあい)

少し時間を置いて、もう一度繰返すのだ。すると、自然に出た答は多くの場合

(ぜんごそういがないのに、こいにつくったこたえは、じっちゅうはっくはさいしょのときとちがってくる。)

前後相違がないのに、故意に作った答は、十中八九は最初の時と違って来る。

(たとえば「うえきばち」にたいしてはさいしょは「せともの」とこたえ、にどめは「つち」と)

例えば「植木鉢」に対しては最初は「瀬戸物」と答え、二度目は「土」と

(こたえるようなものだ。)

答える様なものだ。

(もうひとつのほうほうは、といをはっしてからこたえをえるまでのじかんを、あるそうちによって)

もう一つの方法は、問を発してから答を得るまでの時間を、ある装置によって

(たとえば「しょうじ」にたいして「と」とこたえたじかんがいちびょうかんであったにもかかわらず、)

例えば「障子」に対して「戸」と答えた時間が一秒間であったにも拘らず、

(「うえきばち」にたいして「せともの」とこたえたじかんがさんびょうかんもかかったとすれば)

「植木鉢」に対して「瀬戸物」と答えた時間が三秒間もかかったとすれば

((じっさいはこんなたんじゅんなものではないけれど)それは「うえきばち」についてさいしょに)

(実際はこんな単純なものではないけれど)それは「植木鉢」について最初に

(あらわれたれんそうをおしころすためにじかんをとったので、そのひけんしゃはあやしいということに)

現れた聯想を押し殺す為に時間を取ったので、その被験者は怪しいということに

(なるのだ。このじかんのちえんは、とうめんのたんごにあらわれないで、そのつぎのいみのない)

なるのだ。この時間の遅延は、当面の単語に現れないで、その次の意味のない

(たんごにあらわれることもある。)

単語に現われることもある。

(また、はんざいとうじのじょうきょうをくわしくはなしてきかせて、それをふくしょうさせるほうほうもある。)

又、犯罪当時の状況を詳しく話して聞かせて、それを復誦させる方法もある。

(しんじつのはんにんであったら、ふくしょうするばあいに、びさいなてんで、おもわずはなして)

真実の犯人であったら、復誦する場合に、微細な点で、思わず話して

(きかされたこととちがったしんじつをくちばしってしまうものなのだ。)

聞かされたことと違った真実を口走って了うものなのだ。

((しんりしけんについてしっているどくしゃに、あまりにもはんさなじょじゅつをおわび)

(心理試験について知っている読者に、余りにも煩瑣な叙述をお詫び

(せねばならぬ。が、もしこれをりゃくするときは、そとのどくしゃには、ものがたりぜんたいがあいまいに)

せねばならぬ。が、若しこれを略する時は、外の読者には、物語全体が曖昧に

(なってしまうのだから、じつにやむをえなかったのである))

なって了うのだから、実に止むを得なかったのである)

(このしゅのしけんにたいしては、まえのばあいとおなじく「れんしゅう」がひつようなのはいうまでも)

この種の試験に対しては、前の場合と同じく「練習」が必要なのは云うまでも

(ないが、それよりももっとたいせつなのは、ふきやにいわせると、むじゃきなことだ。)

ないが、それよりももっと大切なのは、蕗屋に云わせると、無邪気なことだ。

(つまらないぎこうをろうしないことだ。「うえきばち」にたいしては、むしろあからさまに)

つまらない技巧を弄しないことだ。「植木鉢」に対しては、寧ろあからさまに

(「かね」または「まつ」とこたえるのが、いちばんあんぜんなほうほうなのだ。というのはふきやは)

「金」又は「松」と答えるのが、一番安全な方法なのだ。というのは蕗屋は

(たといかれがはんにんでなかったとしても、はんじのとりしらべそのほかによって、はんざいじじつを)

仮令彼が犯人でなかったとしても、判事の取調べその他によって、犯罪事実を

(あるていどまでちしつしているのがとうぜんだから。そして、うえきばちのそこにかねがあった)

ある程度まで知悉しているのが当然だから。そして、植木鉢の底に金があった

(というじじつは、さいきんのかつもっともしんこくないんしょうにそういないのだから、れんそうさようが)

という事実は、最近の且つ最も深刻な印象に相違ないのだから、聯想作用が

(そんなふうにはたらくのはしごくあたりまえではないか。)

そんな風に働くのは至極あたり前ではないか。

((また、このしゅだんによれば、げんばのありさまをふくしょうさせられたばあいにもあんぜんなのだ))

(又、この手段によれば、現場の有様を復誦させられた場合にも安全なのだ)

(ただ、もんだいはじかんのてんだ。これにはやはり「れんしゅう」がひつようである。「うえきばち」)

唯、問題は時間の点だ。これには矢張り「練習」が必要である。「植木鉢」

(ときたら、すこしもまごつかないで、「かね」または「まつ」とこたえうるようにれんしゅうして)

と来たら、少しもまごつかないで、「金」又は「松」と答え得る様に練習して

(おくひつようがある。かれはさらにこの「れんしゅう」のためにすうじつをついやした。)

置く必要がある。彼は更らにこの「練習」の為に数日を費やした。

(かようにして、じゅんびはまったくととのった。)

斯様にして、準備は全く整った。

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